私はダンナさんが私や花(娘、仮名)の今後の生活を考えて自死してしまった時、悲しいからもあるけれどご飯を食べるのもダンナさんに申し訳ないと思っていた。


生命保険のお金を遺してくれても家を遺してくれても

有難いけれどダンナさんが生きてないと意味が無い。


花が中学生なりたて位の時に

「ママはいつ位まで生きたい?」

と聞かれて

「うーん、、花の子供、孫が見られたら良いかなぁ」

と答えたら

「パパと同じ事言う」

と。だから安心していたし当たり前におじいちゃんになるダンナさんを見ると思っていた。


今までも書いたけれど

きっと私が病気になっていなかったら生きている。

私が疲れさせてしまった。

誰もそう言っても肯定しないでくれるけれど。


今の私は昔と変わらずにお喋りするしゲラゲラ笑う。


ダンナさんが亡くなって

周りの人達が

「自分の人生を楽しんでも良いんだよ」と

口々に言ってくれた。


図太い私は時間と共に笑ってるオバチャンになっている。

新しい食べ物が出て食べた時はダンナさんの写真に

「あーあ、こんな美味しい物も食べらんなかったねぇ」

と言う。


けどダンナさんが亡くなる数日前に2人で初めて入ったチェーン店のラーメン屋さんでダンナさんは普段しない冒険したメニューを選んで失敗して

最期のラーメン位美味しいのを食べてから死ねば良いのに次は無くて

そのチェーン店を不意に見かけると辛くて目を背ける。


笑っていても時々色々と思い出してしまう。




では、また(╹◡╹)