深夜の投稿、失礼します。


そして長いです。










20年。











さて、これは一体なんでしょう!













それは、




















私宮本侑芽が、
たくさんの方々に支えられ
お芝居を続けていられている年数です。




福岡の劇団ひまわりに、
4歳になった5月の頃に入団し
(母談。本人記憶なし)

今年で20年目を迎えます!


5月の何日に入団が決まったのかは
親戚一同誰も覚えておらず、
福岡の劇団ひまわりにいた頃の
大好きだった講師の連絡先も
見失ってしまったので
誰にも確認ができず、、、、、。


なので5月の中日にこうやって
ブログを書いてます。





最初は矢沢永吉さんのように、
パフォーマンスができる方になりたい、
と思い、習い事を決めるように

「歌とダンスがしたい!」

と両親に頼み、
両親はそのどちらもでき、さらに
挨拶がしっかり学べる

劇団ひまわり

を見つけてきてくれました。



今思うとあそこで母が
新聞の見出しでひまわりの広告を
見つけていなければ、

父から矢沢永吉さんの
ライブ映像を
見せてもらっていなければ、


私は今大好きな芝居を
できていなかったかも、しれない。

そう思うと本当に怖いなあ。





子役の頃は週に何回かの
演技・歌・ダンスのレッスンが必須で

年に一回の演技・歌の発表会、、、舞台があり、
年に二回のダンスの発表会もあり、



通常のレッスン


発表会のレッスン


お仕事


幼稚園(小学校)




みたいな感じで
正直、すんごいハードだったと思います。笑



でも私は小さかったから
パワーは有り余ってたんだよねえ。笑












大変だったのは両親です。




両親は私のこの日々に
全て付き添って送り迎えもしてくれて
それプラス、仕事に、家事。




本当に感謝してます。



小学1.2年生の頃
新宿コマに立たせていただいた機会がありました。


これはすっごく誇らしいことです。

凄かったよ、、

あの劇場の空気、色、裏の導線、楽屋、

裏のエレベーターが
ジブリみたいな古いやつだったこと、

稽古場、

ケンタッキーの建物が近くにあったのか
地下の導線はケンタの香りがしたり、

かつらのことを“ズラ”と呼んで
床山さんに怒られたっけなあ。

自動販売機には「Gokuri」の
グレープフルーツ味があって、
上手くできた日には母が買ってくれました。





セリフも今でも覚えてるし。


本番中に刺されるシーンがあって
刺され倒れた後にカツラが取れて。

でも子供ながらに
「死んでるんだから動いてはダメだ!」
と動かずにじっとしていたら
周りの大人の役者さんたちが
笑いにして助けてくれたり。

かつらの事件は今でも夢に見ます。






そんなとっっっっても大好きだった舞台は
1月2日が初日だったりして。

子供だったからダブルキャストで
2日に1回の出演だったけど
母親は1月の2日から
キャリーケースをガラガラ引いて
舞台にずっとついてきてくれたり。

でも覚えてるんです、
その大きいキャリーケースを引いて
電車で帰ってる時、

母がすごい疲れた顔をしながら
「このキャリーケースの上に座りなさい」
って取っ手のところに座らせてくれて
母はずっと電車で立ちっぱなしでした。




この舞台を経験して、私は、


「絶対これを仕事にして、続ける」


って決めました。




わたしが始めたいと言ったこと。
わたしが楽しんでること。
わたしが好きなこと。



そのためにどれだけ両親が、
マネジャさん達が、

きつい思いをしているか。



幼いながらに、考えていました。



でも両親もマネジャさんも、
わたしの仕事が決まると

すっごく喜んでくれるんです。



幼い頃はそれが不思議で。

不思議だけどすっごく嬉しくて。



もっともっと、喜んでもらおう。



って思って。



半ば意地のように。
小学校中学校と
この仕事を続けてこれてました。


いつしか1人で電車に乗れるようになって。

いつしか1人で
仕事の練習をできるようになって。


そして高校生になって。


このお仕事をどうしていくか、
考えてました。


実際ありがたいことに、
コンスタントに毎年何かしらのお仕事を
いただいていました。


ただ、これからどうしていくんだろう、

って漠然と考えたときに、
すっごく不安でした。


好き、って気持ちだけで
やっていけるものなのだろうか。



その頃に、母親に相談したのを覚えてます。


どうしたらいいかな、って。

母は、

侑芽なら大丈夫よ。

って言ってくれたんです。




そのときすごく、情けなくて情けなくて。


何不安になってるんだ。と。


ずっと支えてくれてる両親がいるじゃないか。と。





そんな両親は今でも
出演作を追いかけてくれて、
ラジオまで聞いてくれて、
呼べる時はイベントにもきてくれます。



本当に、両親には頭が上がりません。



ありがとう。

















そしてね、その、
毎日不安だった高校生の時に、




「GJ部」




という作品に出会いました。





この作品で
私の色んなことが変わっていったと思ってます。





それ以前にも
声のお仕事はさせていただいてましたが、


GJ部という作品で初めて、

キャラソンがあったり、
特番があったり、
イベントがあったり、
ラジオがあったり。



当時の私には初めてのことばかりで
手探りでやってしまっていたこと
ばかりなような気がします。


でもこの作品を通して
アニメ、というコンテンツに関われて
本当によかったなあと思うことが
たくさんあるんです。



それは、アニメの面白さや
お芝居の面白さはもちろん。

キャラソンやラジオ、取材のおかげで
キャラクターのことを深掘りできたり。



でも1番感じていたのは、


これを読んでくださってる、
皆さんたちと、
コミュニケーションが取れること。





これは“話せる”って意味の
コミュニケーションじゃなく、ね。




ラジオでたくさんお便りをいただいて
アニメの感想とかを直接聞けること、

アニメに対する評価で
皆さんがどう思ってるのかが
色んな媒体を通して分かること、


アニメのイベントで、
作品を楽しんでくれてるみなさんの様子が
見られること。




これはすごいことだと思うんです。




すごいことなんだよ。







不安で不安でたまらなかった
高校生だった私が、

ラジオをさせていただくと、

たくさんの応援のお便りをいただいて
キャラクターのことをたくさん愛してくれて。


アニメの放送があると、

作品の感想をたくさん
ファンレターで送ってくれて。


イベントに出てみると、

自分のキャラクターを描いてくれた
大きい色紙に、そのイベントで集まってくれた
ファンの方々から
たくさんのメッセージが書いてあったり、


そこにはすっごく笑顔で
手を振ってくれる皆さんが待ってて。


あの日の光景が忘れられない。


すっごく力をもらったよ。




こんなに応援してくれてる方がいるんだ、



そう思うと、本当に元気が出たんです。





本当に、ありがとうございました。



他の作品も。本当は全作品に触れたい。

あげたらキリがないくらい
同じくたくさんの力をもらいました。


本当に、本当に、
いつもありがとうございます。




おかげで前に進み、
大学の時もたくさん迷ったけど、


様々な作品を通して出会えた
皆さんのおかげで、
このお仕事を楽しく続けられています。




色々なお仕事をしてきた20年、

今この場所にいられることが、

本当に、本当に、

幸せです。




大好きなお芝居。

大好きなこの場所。

大好きな両親、マネージャーさん。

そして、大好きな、みなさん。






この先も、この想いを
ひとつも欠けることなく、

たくさん、恩返しをできるように。




もっともっと、
頑張っていきたいと思います。








これからも!

よろしくお願いします!!!!
















長文を読んでくださって、
ありがとうございました。



わあ、こんな時間だあ。





ではでは、

今日は少しノスタルジックな気分の
ゆめりあるでした。






おやすみなさいっっっ