【イスラム教① 】のつづき
どうにか話の流れを変えようと
タイミングよく礼拝時間に訪問し
中に入らせてもらった。
男性と女性の礼拝所は別々になっている。
男性は1階
ここで久しぶりにアザーンを聞いた。
アザーンの心に響いてくる声が好きで
アザーンを聞くと
宇宙に繋がったように背筋がピンッとなるのである。
最初は誰も居なかったが
そのうち女性が子供を連れて入ってきた
正座をしていたオイラに
一緒にお祈りをしようと身振りで誘ってきたのだ
彼女のマネをしながら
初めてイスラム教のお祈りを体験することができた。
オイラがイスラム教徒ではないことをわかっている上で
お祈りの仕方を教えてくれた彼女に感謝を感じた。
その後
少し話をしてみることに。
彼女はインド人で
このモスクの主となる人が旦那さんだそうだ。
なんでモスクに来たのか
なんでイスラム教を知ったのか聞かれ
インドの話ももちろんした。
15分ほど話した後に
彼女から出た言葉は「ドネーション」
喜捨(ザカート)である。
イスラム教だけでなく、キリスト教もそうだが
裕福な人が
貧しい人の為にお金を寄付するのである
なんだか怪しい雰囲気を感じ
「わかった、じゃ~下の箱に入れておく」と言って
部屋を出ようとすると、手を取られ
「私に下さい。1000円ください。」
正直、『でた』と思ってしまった。
インド人とは言え
彼女も子供もステキに着飾った服を着ている。
ましてや
旦那さんはこのモスクの主的な人
貧しい家だとは思えない。
でも
なんだか面倒くさくて
旅をしていた時のような強さはなくて
そのまま1000円を彼女に渡して出てきた。
せっかくモスクに来れて
心が洗われるような気分になれたのに
泣きたいくらい悲しくなってしまった。
そんなオイラに気付いた友達に
モスクの中であった出来事を話してみた
「同じイスラム教徒として恥ずかしい。
ザカート(喜捨)はそんな風に使うものじゃないだよ。
体が不自由だったり、病気だったりして
仕事ができなくて
生きていくことも困難な人の為にあるものであって
五体満足、健康で
モスクまで歩いてこれて
ちゃんとした格好をしている人がすることじゃない
本当にイスラム教徒なのかって言ってやりたい」
こんな風に言ってくれた彼の言葉に
救われた気がする
それはやっぱり…
インド人的なものなのか。。。
と考えてしまうオイラも居て
でも
オイラのインド人の友達は
全然そんな人じゃなくって
自分のため以上に
他人のためを想う人たちだから
『インド人』というくくりにもしたくなくって
なんだか
この夜はいろんな事を考えて考えて眠れず
日本人の友達に救いを求めた夜でした
1日目から濃いぜ~
ひまわり