~山田晶子のドラマチックシリーズ~ 3秒で6年間を捨てた!アサヒビール就職編 | 買ってほしい人に自ずと買われる!マーケティングの「伝える技術」

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アサヒビールで社長表彰を受けたマーケッターが、自ずと売れる!マーケティングの「伝える技術」をお伝えします。

私は高校で理系を選択した。

 

数学と化学と生物が大好きだった。

国語と英語は好きではなく、社会全般に至っては暗記が嫌すぎてヘイトしていたw

 

文系の面白さを、あの頃はなにも分かっていなかったと思うし、

分かりたくもなかった。

文系一辺倒の母(←元高校の英語教師)への反発だったのかもしれん・・・^^;

 

その頃、メディアを賑わせるガンとエイズの蔓延が、自分の身にもヒタヒタと近寄ってくるようでやたら恐ろしかった。

怖いから戦おうとした。

「ガン、エイズなどの不治の病を治す方法を発明して、ノーベル賞をもらう!」と数学の先生(女性)に宣言したことを覚えている 笑

 

その時先生はこう言った。

「あきちゃん、大人になったら、うちの息子のお嫁さんにならない?東大よ!」 爆

 

 

 

 

 

で、まさにそんなことができると、名古屋大学工学部に入学した。

 

 

そこから3年後、私はある研究室に入り、がん細胞の研究をしていた。

扱うのは人間のがん細胞ではなく、ラットのがん細胞だったけど。

 

液体窒素でガチガチに凍結してあるがん細胞を、シャーレで増殖させて、

雨の日も風の日も雪の日も、暗い実験室でがん細胞の数をカウンター片手に数えたり、

磁性微粒子を水流で流して磁石で吸着する実験をしたり、

マスター(院生)の先輩が、実際にラットに植え付けた皮膚ガンを、磁性微粒子を使って治す様子や、

解剖を行う様子を隣で観察して涙を流したりしていた。

 

私なりに一生懸命やったつもりなんだけど、担当の助手から研究室一怒られて、ダメ出しされて、呆れられて、

それを教授が笑ってなだめるという、奇妙な日々だった。

 

はっきり言って、当時ハマっていた焼肉屋のバイトの方が無限大倍楽しくて面白かった。

史上最速でウェイトレスリーダーに昇格し、キャッシャーまで任された。

 

今の私なら、もうこれだけで当時の私に、「ちみ、研究職はだいぶ違うから、さっさと諦めなされ!」と言うのだけれど、

当時は「ガン、エイズを治す方法=研究職」にしがみついていた。

 

ただ、あまりの研究室でのダメ出しと、あまりのバイトの楽しさに、

「大学院に行くのは絶対無理!」という感覚だけははっきりと掴んでいた。

 

 

3年生の終わりから4年生の春まで、就職情報誌についているエントリーハガキを書いては出し、書いては出し、していた。

(当時はハガキよ、ハガキ!!!!)

 

当たって砕けろ精神で、いろんな業種に出した。

基本は理系の仕事で、一番狙ったのは製薬会社だったが、ミーハーにテレビ局にも出した。

(が、自費で東京に面接に来いと言われた時点で「別にそこまでの気持ちじゃない。やっぱナシ!」となったw)

 

 

就職活動をしはじめてから知ったが、製薬会社の研究職は、最低でも院卒でないと採用されなかった。

学部卒で入れるのはMR(営業職)だけだった。

 

MRでは内定をもらった。

でも私は当時、営業という仕事だけは死んでもやりたくなかった。

媚びへつらう、言うことを聞かされる、ペコペコ頭を下げる・・・

そんなイメージしかなかった。絶対無理だった。

 

なのに、「研究職じゃないとダメ?キミ、営業なら取るよ!」と製薬会社の面接官から言われたりした。

「いえ、研究職を希望します!」と言ったら、ソッコー落とされたw

 

 

やりたいことはあるのに、受け入れてもらえない・・・

何かがズレている・・・

 

だいぶ行き詰まっていた。

 

 

そんな時、出しまくっていたハガキの宛先の一つだったアサヒビールから、入社試験の案内がきた。

理系英語のテストと化学工学のテストと面接を、東京都内のビール工場で行うという。

 

フーフー言いながらテストを解き、最後の面接で、私の人生の大方向転換は起きた!

 

 

いくつかの質問の後、面接官は言った。

 

面接官「アサヒビールに入社してやりたいことはなんですか?」

 

私(うーむ、、、ビール会社でがんの研究とかできるわけないし・・・ビール会社でやりたいことと言ったら1つしかない!)

「商品開発です!」

( )は心の声

 

面接官「・・・」←ここで確かに間が空いた。この時きっと彼の感性が働いたのだと思う。技術系採用試験に来た学生に、普通こんなこと聞かない。

   「商品開発といっても2種類あるんです。例えばどの酵母を使うといいかとか、発酵温度はどうするとか、どんな原材料の組み合わせがいいかとかを研究する、技術的な意味の商品開発と、もう1つ。コンセプトを決めたり、デザインを作ったり、宣伝を考えたり、お客さんの声を聞きながら商品を作って売っていくマーケティング的な意味の商品開発と。あなたがやりたいのは、どちらの商品開発ですか?」

 

私(え・・・!!!いやもうそれは、どう考えても後者でしょ!絶対面白そうでしょ!なんかちょっとこの後危険な香りがするけども・・・エイッ)

「マーケティング的な意味の商品開発です!」

 

面接官「え・・・・・」←いやいや、聞いたのあなたですw

   「マーケティングをやりたいなら文系就職するということになりますよ。文系就職すると、最初は営業からやることになります。あなた、営業やりますか?」

 

私「・・・(3秒間)」

 ここだ、この3秒間!頭だけじゃない。心と体に体感として刻まれている強烈な記憶。

 

 文系就職するって、今までの理系の6年間を捨てちゃうってことだよね・・・

 しかも世の中で一番やりたくない営業をやるなんて・・・

 

 でも「マーケティング的な意味の商品開発」にどうしようもなく心惹かれる!

 

 どうする?どうするよ、晶子!!

 娘が理系を、研究職を選んで嬉しそうだった父の顔が浮かんだ、母の顔が浮かんだ。ノーベル賞宣言のシーンが浮かんだ。

 なかなかに大変だった授業や実験や試験を3年間通過してきたこと。苦手だなと感じながらしがみついている研究室。

 6年間のシーンが一瞬で頭を通り過ぎた後、私の肚は決まった。

 

 「やります!」

 

面接官「え・・・・・」←いやいや、聞いたのあなたですw

   「そうですか。今日のこの試験は技術系採用のためのもので、文系採用は求めるものが全く異なるのでルートが違うんです。そちらに回しますね。後日また連絡します。」

 

 

この後すぐに連絡がきて、名古屋支社の社員と二人立て続けに会い、そこからすぐに本社に呼ばれ、当時の人事課長(現アサヒHDの会長)と面接した後、フワフワの絨毯の上を歩いてすんごい立派な会議室に通されて、専務だか副社長だかと握手をして、内定と相成りました。

 

今思ったけど、夫の時といい、今回といい、コトが動くときは「強くて早い勢い」に乗っているんだなーーー

 

 

あ、そうそう、研究室で最もダメダメだった私ですが、なんと卒業論文賞をもらいました。

みんなビックリしてたけど、一番ビックリしたのはこの私。

 

教授に「え?え?なんで私なんですか?」と聞いたらば、なんて言ったと思う??

 

「プレゼンが良かったから!」

 

「えーーーーー、それ、内容カンケーないじゃん・・・」

ズッコケた私。

大笑いのみんな。

 

 

やっぱ強みは使わなくちゃねww

チャンチャン♡

 

 

 

p.s.

夫が最近会社で見つけたという、私の入社時の写真・・・

く、暗いんですけど^^;

コワイヨーーー

 

 

あれから20年後↓(夫撮影)

今はアホが4倍に増殖してますww