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simple〜scene18〜
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《台風5号が関東を…》
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そんなニュースをやってた日。
「來夢、今日は早めに閉めよ。これから直撃らしいし。明日も開けられないかな、これじゃ」
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「ですね…。私、後やっとくんで、先にあがって下さい」
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ケーキ店のおじちゃんおばちゃんの家には、まだ小さいお子さんがいて。 警報が出たから早めに下校…そんな話をさっきしてた。
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「じゃあ、お願いね」
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「はい、お疲れさまです」
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2人を見送って、取り出したスマホ。 そこには夜の仕事のグループLINEに、「今日はお休みにします。明日の事もまた連絡します」って直人さんから。
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そうだよね、台風の時にキャバクラなんて…。
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急にできた自分の時間。
雨風が段々強くなってきて、外は薄暗い。
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「あっ…看板」
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これからもっと風も強くなる。お店の外の鉢植えも、仕舞っとかなきゃ…。
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カランカランってドアを開けると、一瞬の強い風に思わずドアを握る手に力が入る。
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「來夢…」
その風と一緒に聞こえたような気がした、私を呼ぶ声。
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「えっ…」
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振り返った視線の先、雨で霞む先にいるのが、壱馬だって事はすぐにわかった。
店の角のとこ傘も持たずに。
長い前髪から雨が落ちてく。
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「えっ?…ちょっと、壱馬?」
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彼へ駆け寄ると、私を見て、口角を右だけあげた。
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「雨は…初やな、來夢と」
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重たい前髪の向こうに見える瞳は、何故か嬉しそうで。
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「何やってっ…雨っ、台風が…」
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ぼそぼそ呟く私の声は聞こえてないのか、すっと一歩近づいてきて、触れられた頬。
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「…やっと、逢えた。來夢?話…聞いて?頼むわ…」
すーって私の視界から落ちてく体。
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「壱馬!」
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彼の体に腕を真っすぐ伸ばした。
なんとか受け止めたけど、私の力では、そのまま2人で地面に座り込む恰好になってしまって。
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私の腕をぎゅって握ると、浅繰り返す呼吸。
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「話…聞いてほしい」
「とりあえず、店の中にっ!」
精一杯の力で彼の体を持ち上げて店の中に。
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「何やってるのよ…バカなの?!自分の立場とかっ!」
そこまで言って、気がつく。
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『壱馬は…自分の立場が、わからない人じゃない…』
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私の…ため?
私なんかのために?何で…。
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「とりあえず…家に帰ろ、ね?」 私がそう言っても「ん」も「んーん」もなくて。
雨に濡れて冷たいはずの体は、触るとわかる位の熱を帯びてた。
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急いで荷物を取って、着替えもままならないまま、壱馬とタクシーに乗った。
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「おうち、変わった?マンション…」
私の問いかけに小さく首を振って。
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「私が知ってる場所であってる?9階?」
『ん』って頷いた。
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「借りるよ?」
壱馬のポケットから取り出したその鍵。
見覚えのあるそれ。 あの日、私の掌に乗せてくれた。
何もなかった私に『ここにいたらいい』って。
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懐かしいその場所に3年ぶりに足を踏み入れた。
記憶の隅にある香り。
壱馬の体を支えてソファにそっと降ろすと、握られた腕…。
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「來夢…?」
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「わかった、話し聞くから。でも、今は…ね?」
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「好きや…來夢。俺はずっと…」
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「壱馬、今は…」
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「めっちゃ好きなんやって…」
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うわごとのように…何度も繰り返してくれる『好き』がウソだなんて、そんな風には絶対に思えなかった。
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「着替えよ?」
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そっと腕を解くと、力尽きたようにそのまま傾いてく体。
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「すぐ、着替え取ってくるからっ」
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クローゼットの右側。クリアケースの一番上が、Tシャツなはず。
すっと引き出したそこには、彼の性格を現すキレイに並んだシャツ。
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「脱いで?」
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その言葉が聞こえてるはずなのに、凭れた体は起きてこなくて。 力の抜けたその体にそっと手を伸ばした。
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「手あげて?」
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なんとか脱がした濡れたシャツをソファの下に落として、タオルで濡れたその体にそっと触れた。
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荒い息遣いと、上下する体。
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「ごめんね、壱馬…」
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私のせい。 あんな雨の中。
きっと忙しい仕事。
なのに、毎日のように私に会いに来てくれてた。
知ってるよ…私。
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「シャツ…これ」
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頭の部分を被せようとしたその瞬間、彼の腕に抱き寄せられた。ギューッて何かを確認するみたいに力の籠る腕。
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「ふふっ(笑)…來夢、かわらんな。相変わらず、ほっそい…うっすい」
耳元でそう言って、小さく笑った。
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「壱馬っ」
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「冷たくて気持ちええわ」
ぎゅって抱きしめられると、そのまま倒れ込んだ。
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「おって…ここに」
小さい呟きと、一瞬だけ強まった腕の力。
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数分後には、ゆっくり緩くなるその力と共に、浅かった呼吸が、少しずつ深く長くなる。
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くるっと向きなおした体。 目の前には、睫毛の長い彼がいて。
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無防備に開いた唇。
引き寄せられるようにそっと触れた。
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「壱馬?
…私に、あなたの側にいる勇気をちょうだい」
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…next
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