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simple〜scene3〜
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「こんばんは、遅くなってすみません」
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「やっと来た。もうちょっと遅かったら帰るとこだったよ」
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「すみません、待っててもらって嬉しいです」
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「ほら、ライムこっち。ん…今日も甘い匂い」
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私の髪に鼻を近づけると、膝の上に手を乗せて。
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『イヤ』
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反射的にそう風に思ってたのは、いつまでだったんだろ。
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膝に置かれた手に水割りの入ったグラスを握らせて、「お待たせしました」って微笑むと満足そうに笑う。
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不動産会社の役員だって言ってたっけ。
ずっと私を指名してくれて、お金も落としてくれる、所謂太客ってやつ。
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ケーキ屋さんでの昼の仕事を終えて、夜はここ。それが私の1日の過ごし方。
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東京を離れるつもりだったけど、やっぱりもう一回、夢を追いたいと。
ゼロから…いや、マイナスからもう一度、そう決めたから。
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※※※


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3年前。
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ほんと、今考えたらよくそんな危険な方法って思うけど。
夜の街をフラフラしてるとすぐに声をかけられた。 カズマの家を出たその日の夜の事。
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「夜のお仕事とか興味ないですか?大丈夫!風俗じゃないから!キャバクラ。
あっ、でも、そんな下品な店じゃないから!ちゃんとしてるキャバクラ。
お酒作って飲んで、ニコニコしてたら、結構稼げるよ?
おねぇさん美人だし。時給5000円!いやっ、7000円!」
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「ほんとですか?7000円?あの…私お金なくて、住むとこも…」
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「えっ?」
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色んな子をスカウトしてきたはずの人にですら「えっ?」って言わせるような事を私は言ってる。
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「お金貯まるまで必死に働くんで、お願いします!」
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そんな私を見て、目をパチパチって2回させると、ふふって笑う。
目じりに深く入る皺が優し気で。
『夜の仕事の人』なんて微塵も感じられない、少年みたいな人だった。
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「そんな子結構いるから、大丈夫。ワケありっていう事ね…。ってか、おねぇさんよかったね、声かけたのが俺で。
ここって、まぁまぁヤバい奴もいるのわかってる?」
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「…夢を叶えたいんで、私。手段は選ばないって決めたんです。ヤバくてもお金になるなら」
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「危なっかしいな、ほんと。とりあえず…名前、教えて?」
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「ライムです」
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「本名…じゃないよね、それ」
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「來たす夢ってかいて『來夢』…本名です」
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「そっか、いい名前だね」
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『…いい名前やん。≪夢が叶うように≫ってそういう事やろ?』
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この名前がずっと嫌いだった。
それを『いい名前』そう言ってくれたのは、カズマと今、 目の前にいるこの人。
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「俺、直人」

「なおと…」
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「直人『さん』な!!呼び捨てにはすんな。絶対俺の方が年上だから(笑)」
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後々年齢を聞いて、自分よりも一回り以上も年上ってきいた時はだいぶ驚いた。
Tシャツに短パンでも履かせたら、その辺りの高校生男子みたいな、そんな感じだったから。
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「ここ、好きに使ってくれていいよ。店の寮だから、一通りのものは何でもある。
あっ…俺、隣の部屋に住んでるから、何かあったら言って」
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「直人さん。…ここの鍵、持ってたり…」
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「バカか、お前。もう一個の鍵は店の金庫。そもそも、間違ってもお前みたいな小娘は襲わない」
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「…(笑)小娘って、言い方がおじ…」
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「あぁっ?!」
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「いやっ、ありがとうございます」
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何の保証もない私をその日からお店で雇ってくれて、住むとこもすぐ準備してくれて。
話しがうまく出来すぎてて、騙されてるのかもと思ったけど。もしそうでも、文句は言えない。
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住むとこもお金がないのも事実だったから。
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「はい、ライム」
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「えっ?」
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目の前に出されたお金。
とりあえずの金が必要だろって、自分の財布から私に渡してくれた30万。
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「毎月少しずつ必ず返せ。利子はいらない」
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「あっ…はい。あのっ、絶対に返します」
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「じゃあ、明日から出勤な?オープンラストで。後、ちょっと大人っぽいメイクで来て?それじゃ、幼すぎる」
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そう言うと、ひらひら手を振って出てくその後ろ姿。
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「あのっ…直人さん?」
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「ん?」
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「私、がんばるんで。いっぱい稼いで、早くお金返して…」
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「ん。そうだな。がんばれ。早く金貯めて、ここから出てけ。…お前にココは似合わない」
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「えっ、じゃあ何で私に声…」
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「何でだろうな…んー直感。『この子、絶対声かけろ!』って天の声が聞こえた(笑)じゃあな」
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ガチャンとドアが閉まると、急に静かになって。
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ぶーんって部屋の隅っこにある、小さな冷蔵庫の音が聞こえる。
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握らされた30万円を見て、このお金の意味を考えた。
直人さんからしたらたった30万円なのかもしれない。
普通によくやる事なのかもしれない。
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…でも、今の私にとっては、『がんばれ』ってそう言ってくれてる気がした。
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…next
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直人さん、3代目の彼です。
來夢ちゃんが壱馬の元を去ってからの3年間のお話にしばしお付き合いを。himawanco