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still…〜scene25〜
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『あの…、紺野茜さんですか?』
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アパートの階段の下、後ろからそう声をかけられて。
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振り返った私は、何も返事もしなくても『そうです』って顔に書いてあったと思う。
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 自分の名前を呼ばれて「違います」 なんてそんなウソ、咄嗟に無理だもん。
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「ランページ、川村壱馬さん…、お付き合いされてますよね?これ…」
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その人が明るくしたスマホを私に向けた。 
街灯も薄暗いそこでは、眩しい位のスマホの光。
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そこに映るのは、私と、壱馬くんが手を繋いでる写真。
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たった一回だけ…。
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 付き合うようになって半年ちょっと。
 一度だけ、外で手をつないだ。 
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…私の誕生日。
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目の前が真っ白になって、「はい」とも「いいえ」とも言えなくて。 
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テレビドラマで見た事があるシーン。
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でも今ここにいるのは、まぎれもなく私。
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「私、フリーのジャーナリストをやってます」 そう言ったのは、40才位の男の人。
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「お二人が一緒にいる写真、ほら、何枚かこれ…」
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見せられたその時の写真。
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「もうそろそろ、あちら側からも何かしらのリアクションがあるとは思うんですけど、… 連絡したんで」
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「えっ…」
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「今日から海外ですよね…、彼。
もし、川村さんとのお付き合いについて、話しできる事があれば。…どうですか?」 
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「私は何もっ、何もないです!」
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前をふさぐように立ったその人の横を、逃げるようにすり抜けて…。
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もう、よく頭の中が整理できないまま、必死に走った。 
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部屋の前について、かばんから鍵を取り出そうとするのに、手が震えてうまく探せなくて。
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ガチャン。
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 鍵が手に触れて、力任せにそれをひっぱると、鞄の中から飛び出したスマホが床に落ちた。
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「あっ…」
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拾ったスマホの画面に右斜めから傷が入って、明かりを灯したその画面に映る甑島の夕日が歪んでる。
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おばちゃんが『キレイだったから送るね』って…。
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その夕焼けは、私と壱馬くんが見たあの日にそっくりだったから、何かお守りみたいな気がして待受にしてた。
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トントントン…。
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背中に感じる、階段を上がってくる足音に我に返って、スマホを握りしめたまま慌てて家の中に入った。
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鍵を閉めると、ちょっと安心して。
足音が遠ざかってくのを確認して、止めてた呼吸を、ゆっくり一回。 
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その足音の主は、多分普通に同じアパートに住んでる人だったんだろうけど、心臓のバクバクって音が自分の耳に響く位で。
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ドアを背にすると、そのまますーって力が抜けてく。
もう一回大きく深呼吸をして、目を閉じた。
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半年付き合って、たった一回だけだよ?
自分の運の悪さに、もう呆れて笑える位。
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運がないっていうか、ひょっとして、ずっと見張られてた?ってそう思ったら、部屋の窓にかかるカーテンを思いっきり引いた。 
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電気をつける事もできなくて。
…ただ怖かった。
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『何かあったら、絶対言うてな』
付き合う事を決めた時、壱馬くんはそう私に言った事があった。
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その『何か』はきっと今。
 彼が心配してるのは、こういう事だったはず。
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なのに、スマホを手に取る事はできなくて。 
そもそも、今は飛行機に乗ってる頃だし。
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「大丈夫、大丈夫だから」
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そうスマホを握りしめて、大きく何度も呼吸をして。 
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部屋の明かりをつける事できないまま、真っ暗な中シャワーを浴びて、隠れるみたいにベットに入った。
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『もう連絡してある』
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スマホの明かりを灯したものの、そこは何も変わりはなくて。 
ただ、さっきの割れた画面が嫌な暗示な気がして。
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 一度割れたそれは二度と戻らないって、そんな風に言われてるような。
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「壱馬くん…」
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呼べない、言葉にできない…届かない。
飲み込むしかできなかった、彼の名前。
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これから先の事…、とても好転するとは思えなくて。
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スマホの電源を落として、ぎゅーって瞼を閉じるしか、できなかった。

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…next
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