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still…〜scene8〜
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「終わった…。おなかすいた…ビール飲みたい、ラーメン食べたい」
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結局終わったのは、もうフロアに誰もいなくなった時間。 
河村さんもしっかり定時で帰ってったし。
帰り際「これな」ってタクシーチケットを置いて。
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「電車で帰れる時間に帰ります!」って言ったけど、無理だった。
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「終電終わっちゃったなぁ」思ったよりも時間がかかって。
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まぁ、そもそもそんな仕事できるわけでもないから、仕方ないんだけど。
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終電に乗れないってなったら、急ぐ理由なんて何もなくて、タクシーが捕まりそうな大通りまで、のんびりと歩く。
この感じ、嫌いじゃない。
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お酒が入ってればもっといいのにな…なんて。
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ビルの隙間から見えた切り取られた空。 
その真ん中にある、まんまるの月。
明日は天気が悪いんだな…、月の周りがぼんやりぼや けて見える。
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「なんか目玉焼きみたい(笑)…でも悪くない」
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ポケットに手を突っ込んで取り出したスマホ。
指先が触れた紙切れを取り出して、タップした11個の数字。 
何も考えないまま、耳に当てた。
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「声が聞きたいな…」 
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ただそれだけで、そこにそれ以上の理由はなかった。
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「もしもし?」
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ワンコール鳴り終わるまでに、呼び出し音は途切れて。
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『もしもし』 たったそれだけの声に、一瞬で涙が溢れる。
今、その『もしもし』は私だけに向けられた言葉。
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『この線…踏み越えても…』
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「茜さん…やんな?」
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「ん」
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そう返事をしたものの、そこから何を言えばいいかわかんなくて。
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「月がキレイやな…」
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「えっ?」
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「俺もさ…綺麗な月を見たら、そう言える人が欲しいってそう思うから」
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「そっちか(笑)
目玉焼きみたいじゃない?今日の月。…ねぇ、壱馬くん?外にいるの?」
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「ベランダ、家の」
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「そっか…」
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「茜さんは…家?」
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「ん、そう」
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「ウソはあかんて習わんかった?後ろに人の声する」
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ちょうど、隣を酔っぱらったおじさん2人とすれ違ったタイミングで。
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「あっウソでした。…ごめん。今から帰るとこ」
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「何でそんなしょうもないウソつくん」
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「仕事しかしてない、寂しい女だと思われたくない(笑)」
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「どんなこだわりよ、ほんまに。
…今からそこへ行く、俺」
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「...」
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「茜さん?」
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「…ダメ」
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「なんで?」

「何でも!」
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見えないその線の向こうから、私の事をを引っ張ろうと、めいいっぱい手を伸ばしてくれる。
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…私は、その手を掴んでいいの?

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壱馬side
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書きなぐった電話番号を渡してから、半日。
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何時かかってきても大丈夫なように、肌身離さずスマホを持ってる俺はヤバイ奴って、自覚ある。
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「はぁ…何でかかってこんの?壊れとんちゃん」
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『絶対かかってくる』そんな変な自信があったから。
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シャワーを浴びた後、今度は「この部屋、電波遮断されとるんちゃん?」ってなってベランダに出ると、空に浮かぶ月。
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「明日雨かな」
月がぼんやりとした光を放ってた。
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「綺麗な月を見ると、『月がきれいだね』って言いたくなる」
あの日、俺の隣でそう言ってた…。
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『その意味って…そういう事やろ?』
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そう呟いた独り言。
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 その瞬間、握ってたスマホが震え出して、そこに並ぶ登録なしの11個の数字。
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『茜さん』 間違いなくそうだと思った…。
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電話の向こうに聞こえる声に、胸がぎゅーってなる。
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今なら不確かな気持ちじゃない。
ちゃんと言える。
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『俺は茜さんが好きや』って。
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「どこにおるか、言うて」
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「イヤ」
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「じゃあ明日会社に乗り込む」
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「ちょっ、そんなの」
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「できるわけないって思てるやろ?やるで?俺。ほんまに」
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9割脅しのその言葉に教えてくれた、今いる場所。
部屋着のまま帽子だけ被ってタクシーに乗り込んだ。
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先の事なんて何も考えられんくて。 
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冷静な判断からは、きっとかけ離れたとこに今の俺はおる。 
それでも、もう、ここを逃すなんてなくて。
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今のこの気持ちは、今、このタイミングで絶対伝えたかった。
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タクシーを降りた場所から、細い路地の奥。
人気なんてないそこ。
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閉店した店先の小さなオレンジの明かりがあるだけで。
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そのオレンジの下の小さな石垣のとこに俯いた彼女が座ってた。
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「茜さん…」
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俺のその声に上がった顔。
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「何で来ちゃったの…?」
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少し呆れたように、微笑んだ。
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「会いたかったん…他に理由なんてない」
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…next
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