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愛のカタチ~scene42~
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「部長、この間の香港の話なんですが…」
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一週間の名目上の休暇を終えて、足取り重く向かった会社。
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とりあえず常務に挨拶しなきゃ…。こないだの香港の返事も。
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異動を受けようって。
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結局誰にも相談もする事なく、自分で決めた。 
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『逃げてる』 もうそう思われてもいいや。 
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どう考えても、ここに居場所があるとは思えなかった。
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周りからの目も怖かったし、壱馬も臣もいる場所で、今まで通りなんて。
…そんな事、私にはできっこない。
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「あぁ、あれな。すまんが白紙にさせてくれるか?」
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「えっ?だって…何で」
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「月末にな…登坂、シンガポールに戻るんだ」
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 「えっ?」
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  「いや、ずっとアジア支社からは返して欲しいって言われてたんだけどな、登坂自身がもう少し日本でって言うから…。
 だから君には香港に行ってもらうつもりだったんだけど。
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でもおととい『もう、こっちは結城に任せようと思うんで』って。
だから、君にはあいつから部長を引き継いでもらって…」
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「そんな…どの位の間、あっちに戻るんですか?彼」
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「いや、もう日本には帰ってくるつもりはないらしい」
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何も聞いてない。 シンガポール?
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日本に帰ってくるつもりはない?
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何で…そんな大事な話、私にしてくれたって。
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常務の部屋を後にして向かった営業部のフロア。 
…自動販売機の前でその姿を見つけた。
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「登坂!」
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「おっ?復帰か。おかえり」
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 「そうじゃなくて。 ちょっと」
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スーツの隅っこを引っ張って、会議室へと引き入れた。
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「シンガポールに戻るって何?そんなの聞いてない!」
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 「あぁ、言ってなかったか?」
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「急にそんな」
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「まだ発つまで2週間あるから、お前が困らないようにしっかり引継ぎはするし」
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 「そうじゃない!」
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 「帰ってきて欲しいってうるさいんだわ。 俺の力が必要なんだって。 
それにな、日本の日差しじゃな…俺、物足んないの(笑)」
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「臣!!」
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真剣に聞いてるのに、はぐらかされてる感じがたまらなくて、思わずそう呼んだ。
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私のその声に、目の奥の温度が変わった気がした。 
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「お前を香港には行かせない。壱馬から逃げるなんて、絶対認めない。
このまま香港に行って 『はい、終わり』なんて、そんなの認めないって言ってんの」
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「何…それ」
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「あいつじゃなきゃダメなんだろ?もし、そうじゃないなら、俺はお前をシンガポールに
連れてく。
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壱馬じゃなきゃダメなクセに、逃げるようなそんな事。…ダメだろ?」
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 「でも…」
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覗き込まれた顔。 
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優しく微笑むと、大きな手が私の頭に乗せられた。
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「ちゃんと伝わるまで、言うんだろ? 大切だって。最後まで諦めないのが、お前のいいとこじゃん」
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「臣っ…」
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「引継ぎの資料3日で仕上げとくから、来週頭、時間作っとけよ。 よろしくな。ほら行くぞ」
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ポンて肩を叩かれて、そのまま引き入れられた営業部。
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「カンナ!おかえり!」
チサトの声が聞こえて。

『カンナさん!おかえりなさい』
『早速ですみません、来週のコンペの…』
『ここ、修正したの確認してもらえますか?』

私の周りに、みんなが集まる。
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「ほら、仕事溜まってんだから、さっさとする!休んだ分しっかり働け!」

臣にそう背中を押されみんなの前に立った。
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「みんな、ごめんなさい。ありがとう」
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それしか言えなかった…。
戻ってきやすいこの雰囲気は、臣が作ってくれたんだって、すぐにわかった。
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頭をあげると、フロアを出て行こうとする大きな背中が見えて。
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その後ろ姿に何も言えなかった。 
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「ありがとう」そう伝えたかったのに、泣いちゃいそうだったから。
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ここで泣くのは違う…。臣ならきっとそう言う。
グッと堪えて前を向いた。
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さっき触れられた手の感触が、私を見るその瞳が…優しかった。
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『ちゃんと伝わるまで...』
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もう、聞いてもらえないかもしれない。
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でも、それでも伝えたい思い。
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泣いてでも、縋ってでも。
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『出会えてよかった』
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…それだけは、壱馬に伝えたかった。

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…next
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