先日、久しぶりに友達と遊びに行った娘。今回は初めて、友達とカラオケに行ったようです。地下鉄のカードとお小遣い500バーツを渡して、どうだったかな?と思っていたら、楽しそうに満足顔で帰ってきました。今までは私たち家族が娘のカラオケ行きたい熱に付き合わされることが多かったですが、だんだんそういうことも減っていくのかな~。嬉しいような、寂しいような。

 

 この夏休み、普段は相変わらず家でだらだらお留守番している娘ですが、でもそれはそれで家事を助けてもらえるので、母は助かる。家で娘が何をしているかというと、たいていネットは抜いてしまっているので、絵を描いたり本を読んだりして、その合間に漢字の練習?などもしているよう。娘の友達は塾に通う子が多いようですが、娘が行きたがらないのでこちらも強制せず。

 その理由はただただ、私が子供の頃、親に「勉強しろ」と全く言われずに育ち、それ以外にも何かを強制的にさせられたことが(家事以外は)ほとんどなくて、そのことに本当に感謝しているからなんです。

 

 思えば父と母は、東京の工芸高校という美術系の高校を卒業後、大学には進学せずデザイナーという仕事をしていたせいか、その頃の親にしては一風変わっていました。デザイナーの仕事は忙しくて、平日は鍵っこの私と妹でしたが、当時の団地生活は昔の長屋みたいで近所の人に見守られ、遊び相手にも事欠かず、寂しさはほとんど感じませんでした。そして休みがあれば、長野の、当時おばの持ち物であった山中の別荘に行ったり、夏休みなどの長期休暇には、車で日本一周したり、と、まず、親自身が自分のしたいことを自由にしていて、ま、その点では子供の私たちは親の趣味に付き合わされていたとも言えるのかな?でもその他のことに関しては、私たち子供に対して、自分の価値観や意見を押し付けることはほぼありませんでした。自分が子供だった当時は少し寂しく感じるぐらい、私たちの成績がどうであっても、何も言うことはありませんでした。

 

 もちろん、だらしないことや悪いことをして怒られたことはたくさんあります。体罰は滅多にありませんでしたが、その中で強烈な思い出として今でも覚えているのが、小1?小2?の頃、気まぐれで幼馴染の友達一人を仲間外れにした時に、母に一発ゴツンとやられたゲンコツ。いじめなどの本当にだめなことは、きちんと叱ってくれる親でもありました。

 

 そんなわけで親から何かをしろと、無理やり強制されたことがほとんどなかった私は、勉強も進学も全て、自分で考えて決めてきました。塾も、中3の夏休みに私が頼み込んで、初めて行かせてもらったほど(そして、首都圏の有名進学校を目指す中学生たちの頭のよさにびっくりした)。裕福な家ではなかったので基本的にずっと公立でしたが、それでもその自分が選べる選択肢の中で自由に選べた、という満足感はあります。

 

 私と夫の家庭も、自分が子供の頃と似ているかもしれません。お金はない、けど自由はある。というかなるべく、子供の主体性を妨げたくない、というように考えてはいます。

 夫は若干、子供たちに対して「こうした方がいい」という考えは私より強いかもしれないけれど、でも基本的に同じく強制はしないタイプかな。確かに、私たちにお金がなくてさせてあげられないこともたくさんあるけど、子供には今、自分に与えられた環境の中で自分で考え、行動を選択していく、ということをしてほしいな、と。それは今、私が親に対して最も感謝していることに他ならないからなのです。

 そしてまた私の親がそうであったように、親自身も、自分の人生を楽しむことが大切なのかな、とも思います。