本田圭佑が「ひかれる存在」…白血病で逝った熊本の25歳警察官、貫いた生き抜く思い 「お礼と引き継ぎを」ぎりぎりまで現場に【記者ノート】
10/17(火) 7:49配信
熊本日日新聞
「私で役に立つことがあるなら、来週会って話をさせていただきます」。8月初旬、白血病が再発し余命わずかと知りながら、警察官の使命を全うしようとしていた熊本県警熊本南署の鬼海涼雅さん(25)は、取材申し込みの電話に応じた。電話先の声は明るくはきはきとして病気の影すら感じさせない。まさかこのときの「4分15秒の通話」が最初で最後の会話となるとは思っていなかった。取材予定日の前日に緊急入院。会えぬまま5日後に帰らぬ人となった。
何か伝えたいことがあったのではないか-。答えを探すために家族や県警関係者を訪ねた。鬼海さんは、幼いころから警察官にあこがれていた。高校卒業後に警察学校に入校し、トップクラスの成績で卒業。「将来は県警を引っ張っていく存在」(県警幹部)と期待されていた。しかし、20歳のときに急性骨髄性白血病を発症する。ドナーが見つかり骨髄移植を受けて治療したが、22歳で再発。姉から造血幹細胞移植を受けて再び職務に復帰していた。
闘病の影響で大腿骨が壊死し、目標にしていた交通機動隊の白バイ隊員をあきらめざるを得なかったが、「交通警察官としてできることはまだまだある」と前向きだった。今年3月からは取り締まりや捜査の業務に携わり、実直な仕事ぶりと人柄は交通だけでなく、刑事部門の同僚からも評価され信頼が厚かった。
しかし病魔は襲いかかる。6月末、医師から再発を告げられた。以前から「3回目は治療法がない」と聞かされていた。残された時間が少ない中、自らの意志でぎりぎりまで警察官として立ち続けていた。「お世話になった先輩にお礼を伝え、しっかり引き継ぎもしようと考えていた」と母の由紀さん(50)。亡くなる数時間前まで周囲への感謝を口にしていた。
9月初旬、鬼海さんの祭壇に手を合わせた。笑顔の遺影のそばには、子どものころに泥棒を逮捕する姿を描いた絵や警察官の専門書などが置いてあった。遺品には未来の達成目標をマスに書き込んだマンダラチャートもあった。「一度きりの人生を熱い気持ちで生きている」「県警を背負う人材になっている」。力強い字で埋まっていた。
サッカー元日本代表の本田圭佑氏ともSNSなどでつながりがあり、8月25日に対面する約束だったがかなわなかった。後日、亡くなったのを知った本田氏が弔問に訪れ、「何かひかれる存在だった。前向きな姿勢に刺激を受けた」と話していたという。
負けず嫌いな性格だった鬼海さんが残した言葉がある。「決して病気に負けたとは思っていない。2勝1敗だけど、残された時間をやりたいように過ごせるだけ幸せだと思う」。25歳の若者が伝えたかったのは、何があっても生き抜く力強さだったと思っている。(藤山裕作)
10/17(火) 7:49配信
熊本日日新聞
「私で役に立つことがあるなら、来週会って話をさせていただきます」。8月初旬、白血病が再発し余命わずかと知りながら、警察官の使命を全うしようとしていた熊本県警熊本南署の鬼海涼雅さん(25)は、取材申し込みの電話に応じた。電話先の声は明るくはきはきとして病気の影すら感じさせない。まさかこのときの「4分15秒の通話」が最初で最後の会話となるとは思っていなかった。取材予定日の前日に緊急入院。会えぬまま5日後に帰らぬ人となった。
何か伝えたいことがあったのではないか-。答えを探すために家族や県警関係者を訪ねた。鬼海さんは、幼いころから警察官にあこがれていた。高校卒業後に警察学校に入校し、トップクラスの成績で卒業。「将来は県警を引っ張っていく存在」(県警幹部)と期待されていた。しかし、20歳のときに急性骨髄性白血病を発症する。ドナーが見つかり骨髄移植を受けて治療したが、22歳で再発。姉から造血幹細胞移植を受けて再び職務に復帰していた。
闘病の影響で大腿骨が壊死し、目標にしていた交通機動隊の白バイ隊員をあきらめざるを得なかったが、「交通警察官としてできることはまだまだある」と前向きだった。今年3月からは取り締まりや捜査の業務に携わり、実直な仕事ぶりと人柄は交通だけでなく、刑事部門の同僚からも評価され信頼が厚かった。
しかし病魔は襲いかかる。6月末、医師から再発を告げられた。以前から「3回目は治療法がない」と聞かされていた。残された時間が少ない中、自らの意志でぎりぎりまで警察官として立ち続けていた。「お世話になった先輩にお礼を伝え、しっかり引き継ぎもしようと考えていた」と母の由紀さん(50)。亡くなる数時間前まで周囲への感謝を口にしていた。
9月初旬、鬼海さんの祭壇に手を合わせた。笑顔の遺影のそばには、子どものころに泥棒を逮捕する姿を描いた絵や警察官の専門書などが置いてあった。遺品には未来の達成目標をマスに書き込んだマンダラチャートもあった。「一度きりの人生を熱い気持ちで生きている」「県警を背負う人材になっている」。力強い字で埋まっていた。
サッカー元日本代表の本田圭佑氏ともSNSなどでつながりがあり、8月25日に対面する約束だったがかなわなかった。後日、亡くなったのを知った本田氏が弔問に訪れ、「何かひかれる存在だった。前向きな姿勢に刺激を受けた」と話していたという。
負けず嫌いな性格だった鬼海さんが残した言葉がある。「決して病気に負けたとは思っていない。2勝1敗だけど、残された時間をやりたいように過ごせるだけ幸せだと思う」。25歳の若者が伝えたかったのは、何があっても生き抜く力強さだったと思っている。(藤山裕作)