10/19(木) 18:53配信
tbc東北放送

9月、宮城県利府町内の路上で10代の女性にわいせつな行為をしたとして、中学校教諭の男が逮捕されました

不同意わいせつの疑いで逮捕されたのは、利府町皆の丘に住む中学校教諭の猪股裕樹容疑者(32)です。

警察によりますと猪股容疑者は、9月7日、利府町内の路上で10代の女性に対し、服の上から胸を触るなどのわいせつな行為をした疑いが持たれています。猪股容疑者と被害に遭った女性との間に面識はないとみられています。猪股容疑者は多賀城市内の中学校に勤務しているということです。

警察は、被害者保護の観点から猪股容疑者の認否を明らかにしていません。警察は、余罪の有無を含め事件の経緯や動機を詳しく調べています。

必死で助けを求めていたのに…自宅玄関で転倒し足を骨折して動けなくなった85歳の母親を一晩そのまま"放置"…59歳娘を保護責任者遺棄容疑で逮捕
10/12(木) 21:42配信
北海道ニュースUHB

 自宅玄関で転倒し身動きが取れなくなった母親を長時間に渡り放置していたとして、59歳の娘が逮捕されました。

 保護責任者遺棄の疑いで逮捕された札幌市西区の自称派遣社員の女は、5月29日夜から翌30日午前までの間、同居する85歳の母親が自宅玄関で転倒し、身動きが取れなくなり救護を求めていたにもかかわらず、放置していた疑いがもたれています。

 母親は29日夜に自ら自宅玄関で転倒したとみられていて、30日朝に2人の自宅を訪問した親族が発見。

 その後救急搬送されていて、大腿骨が折れていたことが分かりました。

 母親を発見した親族が付近の交番に届け出て、事件から4か月以上が経過した10月12日に女は逮捕されました。

 親子は2人暮らしで、事件前までにトラブルに関する相談などは警察へ寄せられていませんでした。

 調べに対し女は容疑を認めていて「助けを求められても無視していた」などと話をしているということです。
千葉・3歳児を布団で巻いて死亡させたシングルマザーが住んでいたアパートの今と「虐待ではない」“しつけ”の代償
10/13(金) 5:02配信
週刊女性PRIME

「夜中に救急車やパトカーが来て、何かあったとは思ったけど、警察に聞いても何も教えてくれなくてね。それで今回、マスコミが取材に来たので、2年前のあの騒動は虐待死だったとやっとわかった」

 と事件現場となったアパートの近隣住民は語る。別の住民も、

「鑑識官のような服装をした人たちが、アパートのまわりをウロウロしていたので、何か怪しいとは思っていたんですけど……」

 と回顧したーー。

 千葉県警捜査一課と同県警我孫子署は9月28日、同県我孫子市に住む自称動画編集業の永沼楓月容疑者(27)を傷害致死の疑いで逮捕した。同容疑者は昨年2月4日午後11時10分ごろ、同市の自宅アパートの室内で、息子の清水奏良ちゃん(当時3)を布団で巻く暴行を加え、死亡させたというもの。

「奏良ちゃんの容体が悪くなったため、みずから119番通報をして救急車を呼んだようです。しかし、奏良ちゃんは病院に搬送されたものの、帰らぬ人となってしまった」(全国紙社会部記者)

 司法解剖によれば、奏良ちゃんの死因は吐しゃ物を吸入したことによる窒息死とみられている。

「1年8か月にわたって慎重に捜査を進めていった結果、傷害致死の容疑で逮捕へとこぎつけたわけです」(捜査関係者)

母親に虐待の気配はなかったが…
 母親の永沼容疑者は、布団で巻いた理由について、

「息子が泣き叫ぶのをやめさせるため」
「しつけのために布団を巻きつけた」

 などと容疑を率直に認めているという。

「奏良ちゃんを布団に巻く虐待は“数ヶ月前からやっていた”とも供述しています。遺体にはほかに傷やあざは特になく、奏良ちゃんが通っていた保育園からも虐待の証言はなかった」(同捜査関係者)

 事件現場となった2階建てのアパートは築21年。永沼容疑者と奏良ちゃんは間取り2DK、家賃月約5万円の部屋に元夫とともに数年前から暮らしていた。永沼容疑者は警察の発表で“動画編集業”となっていたが、

「いわゆるユーチューバーではないようです。容疑者本人は“個人事業主として、会社と契約して、インターネットに掲載する動画の編集をやっている”と話しています」(同・捜査関係者)

 永沼一家は同アパートの住民とは交流がほとんどなく、人柄などの証言を得ることができなかったが、ある近隣住民は夜中に子どもが泣く声は聞いたことがあるという。

「男の子の声か、女の子の声かもわからないし、事件のあった部屋かどうかもわからないけど……」

事件が起きた部屋はいまも空き部屋
 事件後、永沼容疑者は元夫と離婚し、同アパートから8キロメートルほど離れた実家へ戻った。元夫もアパートを出たため、事件が起きた部屋はいまも空き部屋となったままである。

 永沼容疑者の実家は一戸建てで、十数年前に引っ越してきたようだ。容疑者の人となりを知るべく、インターホンを押すも反応はなく、夜になっても明かりさえともらなかった。近所の住民のほとんどは“引っ越しの挨拶ぐらいで家族構成すらわからない”とのことだった。ここでも容疑者の人となりを把握することはできなかった。

 警察の取り調べに対して、永沼容疑者は、

「“(奏良は)可愛い子でした。かわいそうなことをしてしまった”と涙を浮かべながら後悔し、反省していると聞いています」(前出・捜査関係者)

 どんなに悔やんでも、失われた命は二度と戻ってこない。
バケツでトイレ…“嘔吐”の要求も…昼夜問わず暴行 法廷で明らかにされた常軌を逸した虐待 岡山6歳女児虐待死
10/14(土) 23:32配信
FNNプライムオンライン

2022年1月、岡山市で母親と交際相手の男から虐待を受けた当時6歳の女の子が死亡した事件で、逮捕監禁致死などの罪に問われている男の裁判が10月11日、岡山地裁で始まり、常軌を逸する虐待の数々が明らかになった。

6歳の女児を押し入れに放置…死亡させた疑い
逮捕監禁致死などの罪に問われているのは、岡山市南区築港新町の内装工・船橋誠二被告(40)だ。起訴状などによると、船橋被告は2021年9月、交際相手の西田彩被告(35)と共謀し、西田被告の娘の真愛ちゃん(当時5)の髪を引っ張ったり顔を殴ったりしたほか、長時間、椅子に置いた鍋の上に立たせるなど繰り返し暴行。

そして真愛ちゃんが6歳の誕生日を迎えた翌日の9月25日、真愛ちゃんの全身に布団を巻き付けて、逆さまにして押し入れの中に放置し意識不明の状態にし、約4カ月後の2022年1月に低酸素脳症で死亡させたとされている。

西田被告は、末っ子の真愛ちゃんを含む4人の子どもを育てるシングルマザーで、船橋被告は岡山市内で妻と子どもらと暮らしながら、頻繁に西田被告の家に通っていた。

“見守りカメラ”には常習的な虐待の様子が
10月11日に岡山地裁で開かれた初公判。逮捕時に伸びきっていた髪を丸刈りにしてグレーのスーツ姿で法廷に姿を見せた船橋被告は、「全て間違いないです」と起訴内容を認めた。

検察側は冒頭陳述で、マッチングアプリで西田被告と出会った船橋被告が、西田被告の生活全般に関わるようになり、真愛ちゃんが家で食事をすることや排せつをすることを制限したり、殴る蹴るなどの日常的な虐待を繰り返していたと指摘した。

証拠の1つとして提出されたのが、船橋被告が西田被告の家のリビングと寝室に設置していた“見守りカメラ”の映像だった。そこには、昼夜問わず船橋被告が真愛ちゃんに行う虐待行為の様子が残されていた。

2021年9月8日から9月25日の映像には、「船橋被告が真愛ちゃんを殴る、蹴る、噛む様子」「真愛ちゃんが椅子に置いたポリタンクや鍋の上に立たされた状態でうずくまって寝たり、バランスをとりながら食事をする様子」「真愛ちゃんが鍋ごと椅子の上から落下するも、再び自ら椅子の上に立ち続ける様子」「真愛ちゃんの顔面を尿の付いた布で強く拭う様子」が映っていた。
また、「真愛ちゃんにどんぶりを持たせ、『ご飯とパン、出して』『指入れて頑張ってね』などと嘔吐(おうと)するよう要求し、真愛ちゃんが自ら口に指を入れる様子や、船橋被告が嘔吐物を確認し、『全然出てないな』と発言すれば、真愛ちゃんは船橋被告が去っても嘔吐を続ける様子」などもあった。

そして真愛ちゃんは、船橋被告からの命令に従い、時には真愛ちゃんが船橋被告を見つけ、ズボンをつかみ直立不動になる姿も残されていた。
その間、母親の西田被告は、虐待されている真愛ちゃんの近くを通過するも、助けることなく船橋被告の虐待を容認する姿が確認された。

さらに、2021年9月25日の映像には、真愛ちゃんが全身を布団で巻き付けられたあとの船橋被告と西田被告の会話が記録されていた。

船橋被告:
扉の中に閉まっとる
西田被告:
きょう(布団で)ぐるぐるだね
船橋被告:
ぐるぐる。ぐるぐるでトンと置いとる
西田被告:
(布団をきつく)絞めてないん?
船橋被告:
あけとる。ゆるめで長期保存考えとるけど、ゆるめだとあいつ暴れるから

睡眠や食事の時間も与えられず続いた虐待は、真愛ちゃんが低酸素脳症で救急搬送されるまで毎日続いた。

弁護側は、虐待の事実関係に争いはないとし、争点は刑の重さに絞られた。

「『なんでーまーちゃん生んだの』と言われた」
10月12日、検察側の証人として、母親の西田被告が出廷した。西田被告は長く伸びた黒髪を1つに束ね、うつむき加減で証人台の前に座った。

西田被告は、「2019年1月末ぐらい、マッチングアプリで知り合い交際を始めた。日曜日以外、週6回来るようになった」と語った。
マッチングアプリで西田被告と知り合った船橋被告は、すぐに西田被告の家族に介入するようになり、発達障害のあった真愛ちゃんへの虐待が始まった。

検察官から「船橋被告の虐待はいつから?」と問われると、西田被告は、「2019年4月頃。その前から、私やまーちゃん(真愛ちゃん)のことを否定したことがあった。『なんでーまーちゃん生んだの』と言われた」と涙ながらに答えた。

検察官:
真愛ちゃんにはどんなことをしていた?
西田被告:
フライ返しや布団たたきで体をたたいたり、延長コードを使って体を巻き付けたり、何回も見たことがあって、布団たたきについては「彩ちゃん(西田被告)もやるんよ」と強要された
検察官:
それであなたもやった?
西田被告:
まーちゃんごめんねと思いながらしました

船橋被告の真愛ちゃんへの虐待は、それだけではなかった。

西田被告は、「山に行ってまーちゃんだけ降ろして車のあとを走らせた」「『きょうからまーちゃんのおうちはここだからね』と、衣装ケースに入れて出さないようにしていた」「トイレに行かせずバケツにさせていた。『バケツのおしっこは捨てないでね』と言われていた」と続けた。

また、真愛ちゃんを椅子に立たせて嘔吐(おうと)させる行為については、「勝手にお菓子を食べたりしたので『食べたものを返してください』という感じで」と語った。

船橋被告と終始電話をつなぎ、室内2カ所のカメラで監視されていたという西田被告は、繰り返される船橋被告の虐待を止めることはできなかった。

西田被告:
児相(児童相談所)に相談に行くことも、まーちゃんを病院に連れて行くこともダメと言われていた。たくさん制限や禁止されていた。私や子どもたち含め、精神が崩壊していた

最後に真愛ちゃんに対しての思いを聞かれた西田被告は、「まーちゃんに対して、残された子どもに対して、守ってあげられなくてごめんという気持ちが大きい」と述べた。

児相の観察中も船橋被告に生活状況を報告
一方、児童相談所に最初に相談があったのは、2019年4月だった。西田被告の次男から「母の友達に真愛がたたかれている」と相談を受けた小学校が連絡した。
児童相談所はその後数回、家庭訪問を行った。2019年6月には真愛ちゃんが迷子になり、警察に保護され、翌月に児童相談所は「ネグレクト」と判定し、観察を開始した。

そんな中、西田被告は生活状況を随時、船橋被告にチャットアプリ(LINE)で報告し、2020年8月5日には、次のようなやりとりもしていた。

西田被告:
どうしようか、ご飯あげてないよ
船橋被告:
夜抜いても死にはしない
西田被告:
話をするか、ほっとくか

お父さん好きか?との問いに「ううん」
2020年9月、「真愛ちゃんが墓地に立たされ叱責が行われている」と通行人から通報があった。児童相談所は真愛ちゃんだけを一時保護し、両被告の面談を数回行った。

翌2021年4月、児童相談所は真愛ちゃんへの面談を行った。真愛ちゃんは「お父さん(船橋被告)に叱られることあるか、怖いか」という質問に対し「うん」と大きくうなずき、「お父さんが好きか」という質問には「ううん」と首を横に振ったという。

この時、西田被告は児童相談所からしつけ等への注意を受けた。それにも関わらず、その後の船橋被告とのLINEのやりとりでは、十分な食事を与えていないことが伺えた。

西田被告(2021年5月4日のLINE):
昼から起きて現状報告。真愛、おなかすいたって泣き叫ぶ。トイレから脱走

西田被告(2021年5月5日のLINE):
子どもたちもそろそろ限界みたいで、真愛にいたっては顔の血色が悪くてしゃべりかけても無反応に近い状態で今日一日ずっと寝たきりだったから、きょうはご飯あげようと思ってる。あげてもよい?

船橋被告(2021年6月16日のLINE):
限界ならご飯なんかあげたら。真愛のことは彩ちゃんに任せるよ

児童相談所は、2021年9月の夏休み明け、子どもたちの体重が減少しているという報告を小学校から受けていた。

その後も虐待は続き、全身に布団を巻き付けて押し入れの中に放置された真愛ちゃんは、2022年1月、低酸素脳症で死亡した。

大人の意地の張り合いで失われた小さな命
10月13日、常軌を逸する虐待を繰り返した男は、法廷で“涙ながらに”当時を振り返った。

船橋誠二被告への被告人質問が行われ、証言台に立った船橋被告は、真愛ちゃんへの虐待がエスカレートした経緯を語った。2019年初頭、西田被告と出会った当初から、船橋被告は「何かしてあげなければいけないという気持ちだった」という。

船橋被告:
西田さんが「子どもたちにどう説明したらいいか分からない」、子どもたちも「(母親が)何を言っているか分からない」と言うので、取り持つ感じで説明していた。上の子たちは説明で分かったが、真愛ちゃんは分からず、怖がらせようと思い、暗い場所に連れて行ったりした

そして船橋被告は、「子どもたちが言うことを聞かない時、西田被告に頼まれて“しつけ“ていたのが、叱ったりたたくようになったきっかけだった」と説明した。

こうしたしつけが、なぜ虐待行為へ発展していったのか…。船橋被告は、「西田被告への“当てつけ”だった」と説明した。

船橋被告:
日中面倒を見ず、子どもたちが悪さをする状況を作っていながら、(子どもたちの)悪さを報告され注意だけ自分(船橋被告)がさせられて、「なんでそこだけ自分がやらなければいけないんだ」と思った

また、船橋被告は、「子どもたちが一番大切」と言っていた西田被告に対して、「『大切なら面倒を見るだろう』と真愛ちゃんに手を上げるようになった」として、西田被告への不満やいら立ちの矛先が、立場の弱い真愛ちゃんへ向くようになったと話した。

エスカレートしていったのは2021年8月頃からで、当時その意識はなかったという。

さらに船橋被告は、「真愛ちゃんへの虐待行為はほとんど西田被告に報告していた。(西田被告に)止められるはずが、止めるよう言わないので、『もう知らない』と無責任な気持ちになっていた」と説明した。

そして、「大人の意地の張り合いで真愛ちゃんの命が失われたのか」という質問に対し、船橋被告は小さく「はい」と答えた。

裁判は、10月16日に結審する予定となっている。

(岡山放送)
「私を助けてくれる人は誰もいなかった」3歳から母親をサポート 元ヤングケアラーの女性が講演続け伝えたいこと
10/15(日) 12:02配信
FNNプライムオンライン

本来、大人が担うべき仕事を18歳未満の子どもが行う、いわゆるヤングケアラー。熊本市に幼い頃からヤングケアラーだったという女性がいる。女性は同じような境遇の子どもたちのためにと、自らの名前を公表して講演などの活動を続けている。

顔色うかがい…3歳から母親をサポート
熊本市の塚本陽子さん(36)は、3歳の時に両親が離婚、それを機に一人娘だった塚本さんは自然と母親をサポートし始めたという。

「私がなんとかしなきゃとなって。その頃から顔色をうかがい始めて生活していたような感じ」だと塚本さんは話す。

後に、塚本さんの母親には中度の知的障害があったことが分かった。

塚本陽子さん:
列を作って皆さん順番待ちすると思うが、母親はそれが理解できない。「お母さん一番後ろは向こうだよ」って並び直したり、自分の順番が来ても何も準備ができないので、「お母さん、そろそろ財布を出しておいた方がいいよ」と

母親は感情をコントロールすることができず、かんしゃくをよく起こし、気持ちが収まらず、夜中でも部屋に来て、寝ている塚本さんに物を投げつけることも。「いつ何が来るか分からないという緊張感が毎日続いていて、学校では授業に参加するのも疲れている状態」だっという。

塚本さんが15歳になるまでは、祖母も一緒に暮らしていたが、母親の相手は常に塚本さんだった。テレビの音量調節や声をかけるタイミングなど、母親の機嫌を損ねないようにしたり、外出先では周りの人とトラブルが起きないように、子どもながらに気を遣う日々だった。

「あなたしかいない」という言葉の重り
しかし、年齢が上がると別の感情も抱くようになったという。

塚本陽子さん:
(母親が)掃除のパートに行っていたが、そこから足音が聞こえてくると「また帰ってきた…」と思って

逃げ出したくなることもあったが、それでも「当時は周りの大人たちに助けを求めても無駄だ」と思い、周りの人に相談することはできなかった。

塚本陽子さん:
小さい時から母の世話をしていて、ほめられると同時に「お母さんにはあなたしかいないんだからね」っていう言葉も数えきれないほど言われていた。自分の中に重りが蓄積されていくような感覚だった

高校卒業後の進路を決める時も、優先したのは「母親の世話」だった。就職していったんは母親と離れたが、母親が一緒に暮らしていた親戚とトラブルを起こし、再び一緒に暮らすようになった。

転機となる夫との出会い 26歳の出来事
塚本さん自身も自殺を考えるほど体調やメンタルを崩してしまうが、夫となる修平さんと出会ってから、次第に自分を取り戻していったという。

26歳の時、忘れられない出来事があった。

塚本陽子さん:
涙がボロボロ出てきて、「みんなお母さんの心配はするのに、なんで私の心配をしてくれる人は誰もいなかったの?私を助けてくれる人は誰もいなかった」って気づいたら叫び終わっていて。「あっ、私いま人生で初めて自分の気持ちを声に出した」って思った瞬間だった。それだけ自分の心の声を表に出すというのを押し込めていて、本音を言うことは自分にとって命がけだった

塚本さんは現在、夫の修平さんと保護犬と暮らしている。

夫・修平さん:
家庭環境が大変というのは後から知ったが、その時は本人が大変で。小さいころの育ちが影響していて、そうなったんだと。(それを聞いて)そうだったんだと思った

塚本陽子さん:
犬の世話をしていて“愛情”ってこういうことなんだと思って。母親と2人だった時は将来は親子2人で道で野垂れ死にするのが関の山と思っていて、こんな一軒家で暮らせるなんて思ってなくて、すごくぜいたくだと思っている

仕事も「母親の世話がしやすい仕事」ではなく、自分がやりたかった仕事を始めた。

多岐にわたるヤングケアラーの実情話す
病気の家族の介護や介助、きょうだいの世話、働く保護者のための家事のほかにも、塚本さんが担ってきた見た目では分かりにくい精神的なサポートなど、ヤングケアラーの形は多岐にわたる。

この実情を知ってもらおうと、塚本さんは大学などで講話を続けている。この日、塚本さんが講話のため訪れたのは、教諭など教育現場の関係者を集めた研修会だ。

塚本陽子さん:
ささいなことで相手を怒鳴りつける母親、それに対して驚いた相手の仲裁に入ることも求められるようになり、私の役割は年を重ねるごとに確実に広がっていきました

塚本さんは学校で助けを求めようとしたが、できなかった経験を話した。

塚本陽子さん:
先生は子どもたちの味方や子どもたちを守ってくれる存在というような、そういう声掛けがあったら、電話をする勇気が湧いていたかもしれないなと感じています

「自分の気持ちを大切にする機会」を
母親はその後、親戚宅に住み、福祉サービスを受けながら落ち着いた生活を送っている。いまでは一緒に旅行を楽しめるようになった。

塚本さんは講演で、子どもたちに寄り添うことの大切さを何度も強調した。初めて研修に参加したという教諭は「自分がどれだけ考えられたかや、これからどう考えていくのかが次につながるので、参加できて非常によかった」と話す。

西南学院大学・社会福祉科の安部計彦教授は、「まずは発見する」ことが大事だと話す。「そうじゃないかな」って気づいたとしても、学校の先生だけでできる問題ではないため、具体的に子どもが担っているケアの相手が、高齢者や障害者、別の子どもなど、対象が違うと連携する相手が違ってくる。いろんな制度を利用したり、サービスをつないでいくことが必要だという。

塚本陽子さん:
当事者の皆さんはもしかしたら、きついなとか、逃げたいなとか、嫌だなとか…。でも自分が世話をやめるわけにはいかない。世話をして当たり前っていう気持ちも、両方持ち合わせていると思う。その気持ちが出てくることは人として当然のことで、全くおかしいことではないので、サポートしてくれる人によって自分の気持ちを大切にする機会が増えて、当事者のアイデンティティーが少しでも育てられるような環境になってくれたらいいなと思っています

(テレビ熊本)