一、 はじめに
儒教の中心の書物は『論語』である。これは儒教にとって聖典となっている。その『論語』においては、「君子」を最上の価値あるものとしている。「君子」とは「徳」を持った人間のことである。『論語』では「君子」とは政治の指導者としての個人に留まらず、一つの共同体の構成員一人ひとりの個人においても、目指すべきものだとしている。一人の個人が自己の中に作り出す秩序や調和が集合し、最終的に全体の秩序や調和につながっていくのである、と考えた。
孔子以前においては、「徳」とは元々、国を治める君主(王)が保持すべき素養であった。これによって、邑(城壁都市一つで成立する国家)や国(城壁都市の連合)などは平和に成立できたのだった。しかし、孔子の生きた時代においては、それまで権勢を誇っていた周の権威が失墜しており、また君主が臣下に政権を奪われるなどの事件が起きていた。孔子は「道」(政治の正しい方法)が行われていないと嘆くことになる。そして、共同体(国や邑など)の秩序を保つために、孔子は「徳」とは為政者だけでなく、それ以外の個人も持つべき素養として捉えていく。
二、 「法」と「徳」の対立
中国においては、常に法家的な秩序感覚(「法」による統治)と儒家的な秩序感覚(「徳」による統治)とが対立してきた。「法」とは支配者が被支配者に向けて、上から強制するものであり、個人を外から束縛するものである。それに対して、孔子の説いた「徳」とは常に個人の内面から自己を束縛するものである。次の箇所を見てみる。
先生がいわれた、「すぐれた人を見ればおなじようになろうと思い、つまらない人を見たとき にはわれとわが心に反省することだ」
勿論、ここにあげたように、人は自己より優れた人、あるいは「徳」のある人と出会った時、自らの至らなさを反省することがある。これは間違いなく自分の外にいる他者によって引き起こされた「徳化」ではある。しかし、反省しようとする気持ちは間違いなく自分の中から湧き上がってくるものである。勿論、儒教には「礼・楽」という外的なものが存在する。しかし、これは個人が自らの意志で自主的に参加するものである。
「法」が相手にする個人とはのっぺりと顔のない個人である。「法」の相手にする個人とは、「ある行為をしてしまった」個人でしかない。その行為が「法」をどのくらい違反しているかしか問題にしない。しかし一方で、『論語』においては、問題にするものはやはり人間の性質である。
先生がいわれた、「人のあやまちというのは、それぞれその人物の種類に応じておかす。」* 種類に応じておかす―新注は、君子は人情に厚すぎてあやまちをおかし、小人は人情に薄くて あやまちをおかす、と説明する。
右のように、儒教は「あやまちをおかす」個人の性質に目を向けているのだ。常に人を扱う際、その人は顔の見える名前のある人である。それに応じて対応していこうとするのである。
三、 個人中心主義
孔子は「仁」を最も大切だとした。「仁」を簡単に言えば、それは「人を愛すこと」である。これが最上のものだとした。「しかし孔子は仁自体を定義せず、状況に応じ、説く相手にあわせて実践的な心構えを仁の名のもとに使用することが多い。」(『岩波 哲学・思想事典』)例えば、『論語』には次のように書かれている。
先生がいわれた、「人として仁でなければ、礼があってもどうしようぞ。人として仁でなけれ ば、楽があってもどうしようぞ。」
つまり、礼や楽のような外的なものに参加する時でさえも、「仁」という自己の内面からの自発的意志がなければ意味がないとしているのだ。他に「孝」という概念もあるが、これなども「仁」の実践の形の一つだと言える。そしてこの実践の形は個人の他者との関係の数ほどある、多様なものなのだ。
そして「内面の欲求と同じ内容を、他者にも遂げさせることが求められているように、仁は内面に根拠を持ちつつも人間関係へ適応できること、逆に言えば社会的に認知できる内的欲求であることを必須とする。」(『岩波 哲学・思想事典』)「内面の欲求」は学問においても重要視される。勿論、他者への見栄(名誉)などとは説明されない。次の個所を見てみる。
先生がいわれた、「知っているというのは好むのには及ばない。好むというのは楽しむのには 及ばない。」
このように、どんどん自己の内面の原初的な欲求へと降りていくのである。更に、自己の内面の自律的な必要性も、次のように論じている。
「先生の道は忠恕のまごころだけです」(*忠恕―忠は内なるまごころにそむかぬこと、恕は まごころによる他人への思いやり。)
『論語』は共同体の秩序が、常に個人を中心にして保たれるのだと考えている。次の部分を見てみる。
先生がいわれた、「政治をするのに道徳によっていけば、ちょうど北極星が自分の場所にい て、多くの星がその方に向かってあいさつしているようになるものだ」
政治を行うのに、中心となるのは個人だと言っているのだ。しかし同時に、ここで挙げられている政治の調和とは、必ず集団的なものである。自己の「徳」の営為は個人がその責任をもって行っているのは事実である。事実ではあるが、それは他者の「徳化」がきっかけとなっていることも見逃せない。次の引用を見てみる。
先生は子賤のことをこういわれた、「君子だね、こうした人物は。魯に君子がいなかったら、 この人もどこからその徳を得られたろう。」
そして、個人は他者との関わりの中で、「徳」を身につけていくのだとしている。そして次の文言を見てみる。
先生がいわれた、「道徳のある者は孤立しない。きっと親しいなかまができる。」
自己の営為と他者との営為の揺り動かしの中で得られた「徳」をもった「君子」は必ず他者と共生できるとしているのである。
四、 東洋の個人主義と西洋の個人主義
個人主義(個人を大切にする事)は古今東西を問わず、都市(都市国家)で誕生した。それは中国であろうと、西洋であろうと同じであった。西洋における個人主義は、「神の下の平等」によって保障されている。ルターの考え方にもあるように、個人はそれぞれに神と結びつき、信仰生活が送れるとしている。西欧の個人という概念の形成過程については、「共同体が解体し、」「個人であることと、共同体に帰属していることとの乖離の意識もまた強まっていく」「こうして」「個人という概念が形成されてくる。」(『岩波 哲学・思想事典』)と書かれている。
このように見てくると、西欧の個人とは、共同体の崩壊に連動し、市場などにおいて「匿名の個人」として扱われている。そしてフランス市民革命で成立したフランス憲法のように、市民の集団的な合意で「神との契約」として成立している。西欧について個人を縛るものは「法」と「神」である。常に他律的なもので個人を縛るのだ。
しかし一方で、儒教の個人主義とは、共同体の崩壊を防ぎ、共同体の自立を保障することをその目的としている。儒教では他律的な面(礼・楽など)もありつつ、最も強調されるのは常に自律的であることなのだ。基本的に自己を縛るのは自己によるものだ。
五、 参考文献
① 金谷 治 訳注 『論語』 岩波書店 一九六三年七月
② 編者 廣松 渉 他 『岩波 哲学・思想事典』 岩波書店 一九九八年三月
儒教の中心の書物は『論語』である。これは儒教にとって聖典となっている。その『論語』においては、「君子」を最上の価値あるものとしている。「君子」とは「徳」を持った人間のことである。『論語』では「君子」とは政治の指導者としての個人に留まらず、一つの共同体の構成員一人ひとりの個人においても、目指すべきものだとしている。一人の個人が自己の中に作り出す秩序や調和が集合し、最終的に全体の秩序や調和につながっていくのである、と考えた。
孔子以前においては、「徳」とは元々、国を治める君主(王)が保持すべき素養であった。これによって、邑(城壁都市一つで成立する国家)や国(城壁都市の連合)などは平和に成立できたのだった。しかし、孔子の生きた時代においては、それまで権勢を誇っていた周の権威が失墜しており、また君主が臣下に政権を奪われるなどの事件が起きていた。孔子は「道」(政治の正しい方法)が行われていないと嘆くことになる。そして、共同体(国や邑など)の秩序を保つために、孔子は「徳」とは為政者だけでなく、それ以外の個人も持つべき素養として捉えていく。
二、 「法」と「徳」の対立
中国においては、常に法家的な秩序感覚(「法」による統治)と儒家的な秩序感覚(「徳」による統治)とが対立してきた。「法」とは支配者が被支配者に向けて、上から強制するものであり、個人を外から束縛するものである。それに対して、孔子の説いた「徳」とは常に個人の内面から自己を束縛するものである。次の箇所を見てみる。
先生がいわれた、「すぐれた人を見ればおなじようになろうと思い、つまらない人を見たとき にはわれとわが心に反省することだ」
勿論、ここにあげたように、人は自己より優れた人、あるいは「徳」のある人と出会った時、自らの至らなさを反省することがある。これは間違いなく自分の外にいる他者によって引き起こされた「徳化」ではある。しかし、反省しようとする気持ちは間違いなく自分の中から湧き上がってくるものである。勿論、儒教には「礼・楽」という外的なものが存在する。しかし、これは個人が自らの意志で自主的に参加するものである。
「法」が相手にする個人とはのっぺりと顔のない個人である。「法」の相手にする個人とは、「ある行為をしてしまった」個人でしかない。その行為が「法」をどのくらい違反しているかしか問題にしない。しかし一方で、『論語』においては、問題にするものはやはり人間の性質である。
先生がいわれた、「人のあやまちというのは、それぞれその人物の種類に応じておかす。」* 種類に応じておかす―新注は、君子は人情に厚すぎてあやまちをおかし、小人は人情に薄くて あやまちをおかす、と説明する。
右のように、儒教は「あやまちをおかす」個人の性質に目を向けているのだ。常に人を扱う際、その人は顔の見える名前のある人である。それに応じて対応していこうとするのである。
三、 個人中心主義
孔子は「仁」を最も大切だとした。「仁」を簡単に言えば、それは「人を愛すこと」である。これが最上のものだとした。「しかし孔子は仁自体を定義せず、状況に応じ、説く相手にあわせて実践的な心構えを仁の名のもとに使用することが多い。」(『岩波 哲学・思想事典』)例えば、『論語』には次のように書かれている。
先生がいわれた、「人として仁でなければ、礼があってもどうしようぞ。人として仁でなけれ ば、楽があってもどうしようぞ。」
つまり、礼や楽のような外的なものに参加する時でさえも、「仁」という自己の内面からの自発的意志がなければ意味がないとしているのだ。他に「孝」という概念もあるが、これなども「仁」の実践の形の一つだと言える。そしてこの実践の形は個人の他者との関係の数ほどある、多様なものなのだ。
そして「内面の欲求と同じ内容を、他者にも遂げさせることが求められているように、仁は内面に根拠を持ちつつも人間関係へ適応できること、逆に言えば社会的に認知できる内的欲求であることを必須とする。」(『岩波 哲学・思想事典』)「内面の欲求」は学問においても重要視される。勿論、他者への見栄(名誉)などとは説明されない。次の個所を見てみる。
先生がいわれた、「知っているというのは好むのには及ばない。好むというのは楽しむのには 及ばない。」
このように、どんどん自己の内面の原初的な欲求へと降りていくのである。更に、自己の内面の自律的な必要性も、次のように論じている。
「先生の道は忠恕のまごころだけです」(*忠恕―忠は内なるまごころにそむかぬこと、恕は まごころによる他人への思いやり。)
『論語』は共同体の秩序が、常に個人を中心にして保たれるのだと考えている。次の部分を見てみる。
先生がいわれた、「政治をするのに道徳によっていけば、ちょうど北極星が自分の場所にい て、多くの星がその方に向かってあいさつしているようになるものだ」
政治を行うのに、中心となるのは個人だと言っているのだ。しかし同時に、ここで挙げられている政治の調和とは、必ず集団的なものである。自己の「徳」の営為は個人がその責任をもって行っているのは事実である。事実ではあるが、それは他者の「徳化」がきっかけとなっていることも見逃せない。次の引用を見てみる。
先生は子賤のことをこういわれた、「君子だね、こうした人物は。魯に君子がいなかったら、 この人もどこからその徳を得られたろう。」
そして、個人は他者との関わりの中で、「徳」を身につけていくのだとしている。そして次の文言を見てみる。
先生がいわれた、「道徳のある者は孤立しない。きっと親しいなかまができる。」
自己の営為と他者との営為の揺り動かしの中で得られた「徳」をもった「君子」は必ず他者と共生できるとしているのである。
四、 東洋の個人主義と西洋の個人主義
個人主義(個人を大切にする事)は古今東西を問わず、都市(都市国家)で誕生した。それは中国であろうと、西洋であろうと同じであった。西洋における個人主義は、「神の下の平等」によって保障されている。ルターの考え方にもあるように、個人はそれぞれに神と結びつき、信仰生活が送れるとしている。西欧の個人という概念の形成過程については、「共同体が解体し、」「個人であることと、共同体に帰属していることとの乖離の意識もまた強まっていく」「こうして」「個人という概念が形成されてくる。」(『岩波 哲学・思想事典』)と書かれている。
このように見てくると、西欧の個人とは、共同体の崩壊に連動し、市場などにおいて「匿名の個人」として扱われている。そしてフランス市民革命で成立したフランス憲法のように、市民の集団的な合意で「神との契約」として成立している。西欧について個人を縛るものは「法」と「神」である。常に他律的なもので個人を縛るのだ。
しかし一方で、儒教の個人主義とは、共同体の崩壊を防ぎ、共同体の自立を保障することをその目的としている。儒教では他律的な面(礼・楽など)もありつつ、最も強調されるのは常に自律的であることなのだ。基本的に自己を縛るのは自己によるものだ。
五、 参考文献
① 金谷 治 訳注 『論語』 岩波書店 一九六三年七月
② 編者 廣松 渉 他 『岩波 哲学・思想事典』 岩波書店 一九九八年三月