高校時代に付き合っていた彼女・洋子(仮名)に紹介された姉妹校に通う敦子(仮名)
二人は共に静岡県焼津市に住んでいて、中学生時代からの友達だった。当時彼氏のことで悩んでいた敦子を洋子が僕に紹介したのだ。僕は敦子を『妹』として付き合った。そしてその悩みが解決されたあとも、僕は敦子と兄妹として付き合い、時には洋子とのデートに敦子を加えて3人で遊ぶ事もよくあった。
1979年10月、僕と洋子は敦子にコンサートに呼ばれていた。それは吹奏楽部員だった敦子たち3年生部員の卒業コンサートだった。敦子はテナーサックス担当だった。
曲目の中にあった『モンキーマジック(ゴダイゴ)』には敦子のソロ部分が多くて、僕も洋子も感動していた。そして最後に演奏された曲は『アフリカンシンフォニー(ヴァン・マッコイ&ザ・ソウル・シティ・シンフォニー)』は、今でも脳裏に残ってる程興奮した。
その敦子を次に悩ませたのは、一緒に卒業するクラスメイトだった。そのクラスメイトの親の弱みにつけ込んだあるショップのオーナーが、クラスメイトに売春をさせようとし、敦子はそれを助けたかったのだ。
その相談を受けた僕は、そのショップに出向き、店の様子を探った。その店は一見健全に見えたが、怪しい奥部屋を見つけた。僕はお店を出てしばらく外から見張った。すると一人の男性が出てきた。さっき僕が行った時には店内に見当たらなかった顔だ。僕は持っていたバッグの中にあるラジカセの録音ボタンを押し、その男性に声をかけ、一か八か奥部屋で行われていただろう性行為について、あたかも僕自身もそれに加えて欲しい事を装って話を聞いた。すると男性は売春の事を喋ってくれた。僕は男性に本当の目的を話し、男性を最寄りの派出所に連れていき、録音テープも証言として警察に提出した。実は警察も内定していて、その男性の証言と録音テープで、ショップに家宅捜索が入った。そこで売春に関わった人間は逮捕されたが、クラスメイトには売春の実行はなかったため、学校も問題にせず、敦子はクラスメイトと一緒に無事に卒業できた。クラスメイトの親も自己破産申請で問題を解決し、一からやり直す事となった。
高校卒業後、地元の印刷会社の事務員として働いていた敦子。兄妹として僕たちの絆はさらに強くなった。
僕もまた農協加工部で深夜勤務などを頑張っていた。
1983年8月のある朝、1週間の深夜勤務があけた朝、僕は深夜勤務だったことも言わずに、敦子と海に泳ぎに行った。そして次の週末にぶどう狩りに行く約束をして、その日の夜、敦子を家に送り自宅へと車を走らせた。その途中、僕は居眠り運転をしてしまい、事故を起こしてしまった。車を破損してしまい、修理のためにぶどう狩りに行けなくなったことを、電話で敦子に伝えた。事故の原因も話した。すると敦子は自分に責任があると言い出し、「今までありがとう」と言って電話を切った。
それからしばらく、僕たち兄妹は会わなかった。
事故で僕は90日の免許停止。講習を受けて45日に短縮され、その年の10月に入るとすぐに僕の免停はあけた。そして免許証を返してもらったその足でデパートに行き、敦子にチャウチャウのぬいぐるみを買って配送を頼んだ。するとそれが敦子の手元に届いたその日に、敦子から電話が来た。僕が電話に出ると、敦子は泣いていた。
会わなかった一ヶ月半の間に敦子に何があったか。
僕は敦子の元に車を走らせた。
敦子の家の近くの喫茶店に入り、僕は敦子から話を聞いた。
8月後半、僕と敦子が会わなくなると、敦子は同じ会社に勤める男性と恋に落ちた。僕の事故で敦子の心は傷つき、それをその男性が癒したそうだ。
敦子はその男性をどんどん好きになっていった。だから敦子は幸せだった。そして同じ会社の別の部署にいる友達に彼を紹介した。
友達は敦子を祝福してくれた。はずだったのに・・・
ある日残業で帰りが遅くなった敦子。会社を出てすぐのところにある公園のベンチに、抱き合いキスをする見覚えあるふたつの顔があった。友達と彼だった。
そして翌日、彼の口から一方的に別れを告げられた。
敦子には衝撃が大きかった。彼と友達、2人に同時に裏切られたのだ。
まさにそのタイミングで届けられたチャウチャウのぬいぐるみ。
僕・洋子・敦子、三人はカーステレオでサザンオールスターズを聴きながら、運転手交代しながらロングドライブを楽しむ休日が続いた。敦子も洋子も、居眠り運転で事故った僕に気を使って、運転手交代制にしたのだ。
数年後、敦子は本当の幸せを掴み、チャウチャウのぬいぐるみと共にお嫁に行った。
その頃僕と洋子には、前回話したような事があった。
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