~末国さんが勤務する学習塾のタクシー券があった。3人の中で、大学の教授になれるのは、ひとりだけである。さっき、多数決で、大国さんが選ばれたのだから、大国さんをそのように、扱いたいって、末国さんか私かのどちらかが、大国さんをタクシーで送って行かなくてはって、無理矢理、私はタクシーに同乗することになり、そのまま、大国さんの自宅に1泊することになった。大国さんが末国さんに、タクシー券の御礼に手作りのクッキーを焼いて渡して、そのお返しにって、大国さんが現代文学会で口頭発表した日に、末国さんは薔薇の花束を手渡したそうだが、大国さんに、その後の展開を聞くと、2006年で、現代文学会が自然消滅すると、末国さんを見かけなくなったって。
~1997年に、大国さんは東京学芸大学連合大学院に院生として、通い始まる。東京学芸大学と一橋大学と東京農工大学と電気通信大学と東京外国語大学の多摩地区5国立大学単位互換制度を使って、5国立大学の好きな授業を自由に受講できるようになったのだ。余談ですが、山田有策先生は、私の母校の大学院の非常勤だが、常勤で勤務しているのは、東京学芸大学だった。それに、電通大はアドちゃんが通っていたので、調布の電通大の文化祭に遊びに行ったことがあった。
~大国さんが、東京学芸大学連合大学院に進学すると、聞いて、母校の大学院で助手をしていた私の前の学年のクラスメイトが、最終学歴がうちの大学じゃなくなるから、もう、うちの大学には勤務できないわねって、ものすごく、揉めた。大国さんは、私の母校の大学の中高大修博って、5回連続、いや、中高一貫の途中からって聞いたような。高大修博の4回連続で、学長賞を取っていたので、その割には、自由すぎるわねって、向こうを卒業後、母校には戻れないのに、どうするつもりかしらって。つまり、大国さんには、東京学芸大学連合大学院に進学を断念して、母校の大学で助手をしながら、研究者と結婚し、出産し、その代わりに、論文は今程、多くは書けてないかもって、人生を選ぶべきって、求められていた。母校への御礼奉公って、言うのだが。
☆末国善己「書評:古川日出男著『ミライミライ』-もう一つの戦後から「今」を見る-」(「朝日新聞」2018.3..25)
byみこにゃん
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