文学研究会2 | himajin-onlyのやどかり日記

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一切、関係ありません。
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入会-脱会-再入会1
 
   ~研究者の名前の全部が伏せ字だと、興味を持っても、探し出せないって、突っ込み。一部、名前を公表することになったが、研究者の半数が消えていて、似たような人が別名で戻って来てはいるが、本人か、どうか、わからん。
 
1989年6月=私が修士1年生=日本文芸学会の大会の関西学院大学で入会
   ~新幹線に遅刻して、乗りそびれて、私は関西学院大学に直行したのだが、私の母校の大学の一行は、ホテルに荷物を置いてから、来たので、少し、遅れて、到着したようだった。
   ~懇親会で、泉鏡花の口頭発表をした石田勝啓さん(当時・関西学院大学の院生)から、夏期研究集会を立ち上げる案が出ているから、このノートに住所と名前と電話番号と所属の大学院を書いてって、言われたので、私は夏期研究集会には行かれませんって、お断りしたのだが、一応、立ち上げのメンバーに入れて置くからって、二度押しされた。
   ~夏期研究集会に行かなかったから、か?1989年の機関誌は送られて来なかった上、翌年の1990年の日本文芸学会の大会の案内のDMも届かず、立命館大学に行ったら、もう一度、入会の手続きのやり直しをし直した。昨年、誰が入会の手続きをしましたかって、受付の石田さんに聞かれて、あの、石田さんですって、返事。
   ~結局、1989年の石田さんの論文が掲載された機関誌は送ってもらえず、1990年の母校の大学の恩師の村松定孝先生の論文が掲載された機関誌を2冊、もらうことになった。といっても、石田さんの号の代わりに、村松先生の号の2冊目をもらったのは、1991年の日本文芸学会の大会の園田女子大学の受付の石田さんから、だったが。
   ~あっ、いつも、受付に石田さんが座っているから、石田さんの号がもらえないんだって、いよいよ、文学研究会のすべてを、かなぐり捨てざるを得なくなった1997年の活水の2日目の片づけの時、一瞬、石田さんが受付にいなかった隙に、石田さんの号を買い出しすることにした。会員には配られているはずなのに、どうして、わざわざ、2冊目が必要なのかって、聞かれて、実は翌年の村松先生の号を2冊、もらって、石田さんの号は届かなかったのですって、返事。会員は無料だから、支払はいらないって、いや、村松先生の号の2冊目は、支払ってないので、石田さんの号は支払うべきだと思いますって、なんか、周りがざわざわざわざわしていた。
   ~私は、石田さんの泉鏡花論の感想を、暑中見舞いに書いた。文章が流麗で、難しい内容をわかりやすく、書いてあるから、文学に精通してない一般読者が読んでも、楽しんで読めると思います。ところで、どうして、泉鏡花を選ばれたのですか?私が母校の大学院で、林芙美子のご指導をしてもらっている村松先生が、泉鏡花で博士号を取ったので、石田さんは泉鏡花を選んだのですか?
   ~あれ以降、石田さんは行方不明である。
   ~君子危うきに近づかず。さっき、石田さんがイノランと一緒につるんでいるのを、見かけた。今、文学研究会に行く目的は、私の天草の祖母の口述筆記を手渡すためであって、私が論文を書くためでも、本を読むためでもない。今年2018年の日本文芸学会で、林芙美子の口頭発表をする留学生がいるようだが、いっぱいいっぱいで、行かれない。行かない理由は、留学生の名前が気に食わない。ピテカントロプスなんだっけ?ピテカントロプス・エレクトスか?ピタデヴィだなんて、胸がペッタンコ?留学生の名前で、ヤフー検索したら、貧乳って、項目が出て来た。
 
byみこにゃん