タータンチェックの時代から | お天道さまと向日葵畑のミミズくん♪

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家族の日々の暮らし・医療について記しています。

2024年5月12日 日曜日


ベイ・シティ・ローラーズが日本で流行した頃、わたしは、中学へ入学した。

入学式を終え、教室の南の窓側の席に、わたしの机があった。
窓がすこし開いていて、風で髪の毛が乱れるのが気になってしかたない年頃のわたしは、後ろの席の女子に、声をかけた。


「窓、閉めていいですか?」
すると、彼女が小さな声で「ええ」とこたえた。
これが、親友1号と初めて言葉を交わした始まり。
おしとやかな第一印象に、お嬢さまみたい。とおもえた。
「ええ」なんて。


席は、出席簿順に決められていたようで五十音順。
もし、名字が違っていたら、彼女とわたしは、席も違っていたであろう、そんな縁の始まり。


プリントを後ろの席へまわしたりしながら、わたしたちは毎日何気ない話をするようになった。
お昼になると、わたしの椅子を彼女の机へ向けて、一緒にお弁当を食べる仲になっていった。


中学一年生といえば、思春期真っ只中。
箸が転んでも可笑しくてたまらない年頃で、わたしたちは、何を見ても聞いても可笑しくてたまらず、お腹をかかえてヒィーヒィー笑いころげていた。
教員の髪の寝癖や、先生の鼻から毛が出てるだとか、変なことを見つけては、息が止まりそうなくらい笑った。
先生から怒られても、頭を叩かれても、教壇の横へ立たされても、よけいに笑いがとまらなくて、
廊下へ出され、職員室へ呼ばれても、どうにもこうにも可笑しくて困って、苦しかったなあ。


ある時、親友1号と交換日記を始めた。
学校で仲良くするだけでは足りなくて、日記をかいては翌日学校で交換し合う。
夏休みも冬休みも大学ノートを一冊埋めつくすくらい、家でのことや、美味しかったお菓子や、当時聴いていた音楽や、ラジオのオールナイトニッポン、漫画、お洒落なこと、好きな男子への片想いの気持ちを、ひたすら書き綴った。


当時、音楽といえば、ベイ・シティ・ローラーズやビートルズが流行り、わたしが日本の歌謡曲よりも、イギリスのロックばかりを聴いていたのは、彼女の影響が大きかったとおもう。
彼女は、ボーカルのレスリー、わたしはギターのエリック。と、それぞれ違えど、タータンチェックが世の中で一番お洒落!と信じていた時代。


彼女とわたしは、同じ部活に入り、ブラスバンド部でフルートを吹いた。
そこに同じ学年で別のクラスの、クラリネットを吹いていた女子がいた。
彼女が、その後、わたしの親友2号になる。


親友1号の彼女の家へ泊まりに行ったことがある。
彼女のお母さんが夕食に天婦羅を揚げてくれた。
おろしと天つゆが用意されていて本格的だった。
その天婦羅がとっても美味しかったので、何十年経った今でも忘れられない。


彼女の部屋は二階にあって、襖で区切られた向こうの部屋が二つ年上のお兄ちゃんの部屋だった。
ステレオがあって、LPレコードがたくさん置いてあって、ギターがあって、年上の男の人の部屋を初めて見たわたしは、ちょっとドキドキした。
彼女は、「部屋に入ったら兄貴に怒られる~!」なんていいながらも、こっそり部屋に忍び込んで、ビートルズのLPをわたしに見せてくれた。
たった二つ年上なだけなのに、彼女のお兄ちゃんがすごく大人びておもえた。


彼女の部屋がどんなだったのか思い出せない。
勉強机の横に窓があって、二階の窓から見渡す景色が広い!と、感じたことだけをよく覚えている。


夕食後、テレビやソファーが置いてある居間に家族みんなが集まって、
わたしが手土産に持参したシュークリームをみんなで食べていた。
テレビでは、ドリフターズをやっていて、いつもみたいに笑いが止まらなくなったらいけないとおもい、わたしはテレビから気をそらしていた。
ドリフターズだもの、絶対見ちゃいけないやつ。


お父さんがいて、お母さんがいて、お兄ちゃんがいて、彼女がいて、あの家に彼女の家族の姿があった。
あの頃、彼女が暮らしていた家は、今はない。
彼女のお母さんと、お父さんも、今、この世にいない。
天婦羅、本当に美味しかったなあ。。


彼女とは、中学の三年間ずっと同じクラスで、高校にあがると、クラスが別れた。
初めて離ればななれになってしまったけれど、交換日記は、中学、高校と6年間ずっと続けた。


高校を卒業して、彼女とわたしは高知県を離れた。
彼女はコンピューターの専門学校へ通いながら京都で暮らし、わたしはピアノで進学し、関東地方で一人暮らしをはじめた。


あの頃、携帯電話なんてなくて、話すのは固定電話か公衆電話。
県外への電話代がとても高かったので、学生だったわたしたちは文通で互いの近況を知らせ合った。


一度、彼女が住んでいた京都のアパートへ遊びに行ったことがある。
彼女が夕食を用意してくれて、何を作ってくれたか忘れてしまったけれど、一つだけ覚えている。
彼女がその頃好きだった缶詰めのホワイトアスパラガス。
そこへお酢をドバッとかけて食べるというもの。
酸っぱかったなあ。。


彼女とは、何度も喧嘩をした。
絶交もした。
仲直りもしてきた。
わたしは、原因も理由もわからず、
彼女が、ゆるしてきてくれたんだとおもう。


∕タータンチェックの時代から
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ひま