旅の思い出 さざえ堂 猪苗代湖 | 今日のこと・明日のこと

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毎日の暮らしのあれこれや感じたことを書いています。

旅から1か月も経っているのにまだ書いてますイヒ

 

がんになってから、以前に増して

旅は私の大きな楽しみになっています。

 

身体の不調、いつまで続くかわからない治療や

再発、転移の不安は心の隅にいつもありますし

公的軽減措置はありますが、それでも医療費やサプリ等の経済的負担は大きいのですうーん

 

「子供も独り立ちしたし、もう若くないし、もういいかな…」

なんて弱気になる時もありますが

 

治療の間に2、3か月に一度の旅行に出かけ

美しい景色を見たり、住んでいる所とは違う文化に触れたり

美味しい物をいただいたりすると

「生きているって本当に楽しい」

「もう少し生きていたい」という思いがあふれだしてきます。

 

 

前置きが長くなりました。

 

会津白虎隊が自刃した飯盛山。

 

有料のエスカレーターは利用せず

向かって左手にあるなだらかな坂道を上っていくと

この奇妙な建物に出会えます。

 

 

六角3層、高さ16mの「さざえ堂」の中は、二重らせん構造の通路によって構成され、階段が無く、一方通行で昇降別々の通路で建物の中を上下するという構造になっています。

木造でこれだけの物は世界的にも大変珍しいそうです。

 

 

降りていく人の声はするのですが、出会わない。

中を歩いていると不思議な感覚に陥ります。

 

元々は貧しい庶民のために西国三十三番の観音像を収め

「一周すれば後利益がある」とされていたそうですが

明治の廃仏毀釈によって撤去されてしまったそうで今は仏像はありません。

 

沢山の観光客が土足で昇っていきます。

よほど頑丈に作られているのでしょう。

 

 

 

白虎隊のお墓もありましたが

刀でのどを突いて自刃しようとしたものの果たせず、

生き残った飯沼定吉という隊士の存在が心に残りました。

 

彼は生涯、生き残ったことを恥じていたそうですが

その後、逓信省通信技師として国の電信事業に尽くしました。

 

白虎隊は総勢300人以上いて戦争後も8割ほどが生き残ったそうです。

飯盛山で自刃した19人はその内の一部に過ぎず

それも山から見た鶴ヶ城辺りが火に包まれているのを見て

城が焼け落ちたと勘違いした結果でした。

 

白虎隊の16、17歳のまだ子供のような戦士たちが

その頃の教育によって洗脳され、無駄に命を落としていった訳です。

 

文武両道に優れていたとされている会津藩士の事ですから

生きていれば飯沼定吉のよう開かれた国となった日本のために働けたかもしれないのに…

 

 

お昼に美味しいざる蕎麦を食べ、猪苗代湖にに向かいましたくるま2

 

 

 

猪苗代湖は日本では4番目に大きい湖です。

猪苗代盆地の陥没と泥流によるせき止めによってできたといわれています。

湖水は弱酸性で魚類は少ないせいか、鳥の声はほとんどなく、静かな印象でした。

 

遊覧船です。

 

 

湖は静かでしたが遊覧船の中は子供たちが元気に走り回り

案内放送も全く聞こえない状態でしたにひひ

 

あんまり見る所もなかったから、退屈したのでしょうほっこり

 

 

湖の周りを車でぐるりとドライブし

宿へ向かう途中で立ち寄った湖畔の公園。

5月6日に、ソメイヨシノが満開でした桜桜

 

 

長くなりました。

お付き合いくださりありがとうございます。

あと少しですイヒ