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Meine Welt

ごく普通の大学生からの視点。
日常だったり、ちょっと考えたことだったり。

自らの存在意義について考えてみた。


つまり、人が生きる意味である。



結論から言ってしまえば

人は他者から代替不可能な存在として認知されること

が生きる意味である。


自分が他者にとって欠かすことのできない存在だということを自覚することが重要である。



だから人と付き合うということは、

お互いが代替不可能な存在であるということが自覚しやすいからこそ、

生きる意味を見出しやすい。



親からの庇護を受けている人は、

親にとって自らが代替不可能なものであることを自覚できていない。

多額の援助を受けているにもかかわらず。



名誉というものも。ある種代替不可能なものである。

それは自らのために与えられたものであるからこそ、わかりやすい。



代替可能な世の中になりつつある現代こそ、代替不可能な自分を作り出すことが生きる意味を見出す近道ではないだろうか。

最近の劣等感はものすごい。


この間、ミヤネ屋に友達が出てた。

とある地方の有名大学の特集だったんだけど、環境の違いに愕然とした。

昨夏にその大学の友達が何人かできたんだけど、みんなこんな環境で学んでいるのかと驚きを隠せなかった。


また、金スマに友達が出てた。

少しずつ、努力して出番を勝ち取っているのが目に見えた。


先日はananに友達が2ページくらいに渡って出てたのを見つけた。

去年何度か話を聞いてあぁ、考え方がすごいしっかりしてる人だと強く思った人だ。

いろんなところで活躍を目にするようになって、とても生き生きして見える。


春休みは海外に行ってる友達も多い。

アメリカだったり、フランスだったり、トルコだったり、韓国だったり…

自分は行くためにお金を貯めようともしない。

英語も勉強しようとしない。


最近ではいろんな学生団体の人と今まで以上に出会うようになった。

皆、目的をしっかり持って活動している。

堂々と自分の活動を話せることはすごいと思う。

特に、同じ学年で主体的に活動している人が意外にも多かった。

その活動は皆、素晴らしいものだと思う。



…うん。

自分って何がしたいんだろう。

自分って何が誇れるんだろう。

自分って何を持っているんだろう。


考えれば考えるほどわからなくて悩んでも答えは全く出てこない。

フィールドは違うじゃないかと言われればそのとおりかもしれないけど、

どこかでかすっていたりはする。

だからこそ、モヤモヤとした劣等感を抱くんだと思う。


少し備忘録的な形になってしまったけど、劣等感ってどこかでは抱くことだと思う。

自分にできないことを他の人ができているんだから。


余計なプライドを捨てる努力をして、劣等感を受け止め、自らの個性を探していきたい。

薄い関係性をどれだけ重視すればいいのだろうか。


もしかしたら薄い関係性を重視したら、その関係性は厚くなるかもしれない。


でもその労力を多くの関係性に費やすことは事実上不可能である。

実際、友達多いよねと言われても、しっくりこないのは薄い関係性ばかりだからだ。

だって厚い関係性をたくさん作ることはできないから。



だから、自分から厚くしようとするとなんか余計な労力を使っているようで嫌だ。

だって相手にとっては自分が厚くしたくない相手かもしれないから。


そしたら相手から近づいてきた人だけを選べば、自分の関係性を厚くする作業ははかどる。

はかどるという言い方はおかしいかもしれないが。


一体、誰がどう自分のことを考えているのか。

友達―そう見える人―は自分をどこに位置づけているのか。

会わなければ、連絡しなければ、まったくわからない。



とりあえず、今の薄い関係は置いておこう。

だって今でさえ薄いのにこれから厚くなるのかさ。

それはならないだろうね。


だから新規開拓がいいのかな。