Meine Welt -2ページ目

Meine Welt

ごく普通の大学生からの視点。
日常だったり、ちょっと考えたことだったり。

「今度ごはん行こうね」「今度のも」



大学生が連発するこれらの誘い文句。

どれくらいが本気で言っているのだろうか。


おそらく8割は挨拶のような感覚で言っているのだろう。

「お疲れさま」や「久しぶり」とのセットメニューである。



ただ、言われる身として嬉しくないわけではない。

すごいクドい言い回しになっているが、感覚的にはこれくらいだ。


言ってもらえるということはそれなりに好意を示してくれているのである。

少なくとも、嫌いな人とごはんに行きたい人はいないはずだ。


それでも、その本気度は人によって異なる。

見極めが難しいのだ。

挨拶のごとく発する人が自分の友達のラインを越えることはきっとない。



本屋で店頭に並ぶベストセラーをなめるように見るだけで、実際に読まない人。

しかし、その人はそれらがベストセラーであることを知っている。

それらの話になればなんとなく話ができてしまう知ったかぶり。

なんだか似ている気がする。


「友達」をさらっと誘いながら実際に実行しない。

それでもその人とは話すことができる。

うん、なんだか似ている。




ただ、誰とごはんに行こうか、飲みに行こうか迷えるほど相手がいることは幸せなのかもしれない。

風車は風を受けることで機能する。

本来は風を受ければ自動的に動くはずである。

しかし、常に風を受け続ける風車もあれば、風を受けているのに動かない風車もある。

この世界はたくさんの動かない風車ばかり。



本当に頭がいい人はあらゆる状況に対する意見を有している。

例えば、言語学者で生成文法を発見したノーム・チョムスキーは民主主義に関しても多くの発言をしており、その影響力が大きい。


もちろんプロフェッショナルの分野に関して意見や考えを持っているのは当然のことである。

その上で真の学問者は与えられた情報を精査し、取捨選択した後に、自らの意見を創り上げる。


ただ単にキレる人との最も大きな違いであるように感じる。

本当に頭がいい、天才と呼ばれるひと握りの人はたゆまず思考する。

新しいことにも興味を向け、それが果たす役割を想像する。



思考へのモチベーションの差はどこで生じるのであろうか。


風車は自分で気づかなければならない。

久々に更新っと。


自分の性格について備忘録的な形で残そうかなと。



最近になってわかったのは自分が負けず嫌いであるということ。

完璧主義とか言われたこともあったけど、それも負けず嫌いから来ていること。


例えば、スポーツなどではどんな小さな競争や勝負も負けたくない。

チーム戦で自らの小さなミスが負けにつながったときは、遊びでもその日中は引きずる。


また、自分の知らない話をしていると、無理にでも首を突っ込んで、わかった気になろうとする。


人がちょっとできることを、自分はもっとできると思い込む。


なんでもできると思い込んでいる。



これはある種いいことでもあり、悪いことでもある。



いい面ではどこまでも向上心があるということである。

一方、悪い面は人を見下しやすくなるということだ。


これは人よりも自分が優れた時の優越感に満たされることを目的としているからである。

つまり、相手との差を認識することで、自らが勝ち誇ったかのような顔をできる。


とにかく何かで負けていることがいやだ。

それは人の良さを見つけることができないのではないかと思っている。

現にできていないのだから…



この性格をうまくやっていくことが大事なんだな。