Meine Welt

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ごく普通の大学生からの視点。
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「すごいね」

…なにが?どう?


自分も安易に使ってしまうが、言われた時には虚像の言葉でしかないように感じてしまう。

安易に使えてしまうからこそかもしれない。


日本酒が好きなら獺祭が好きだろうというようなかんじ。

獺祭という名を出してみれば、満足するという勘違い。

本当に獺祭が好きな人なら、獺祭かーまぁおいしいけどー…ってなるんじゃないか。



本当にすごい人はすごいと言われることで満足しない。

(自分が本当にすごいと言いたいわけではない)


どこが優れているか、どう人と違うか、そこまではっきりわからなければ満足しない。



人間の価値は自らで決めることができない。

人から言われてやっと認められたと感じることができる

自ら決める人はただの自己満でしかない。


だからこそ、「すごいね」に込められたその真理がわかることが重要なのだ。

リーダーシップの養成が流行っていたりする。

リーダーシップが重要だと言われている。


しかし、そのリーダーシップへの認識は人それぞれ異なる。

ましてや、勘違いしている人が多いように感じる。



少なくとも、自分の成功のためのスキルではない。

集団であったり、プロジェクトであったり、1つの人の固まりが目指す成功に向けて舵をとることができる人のことである。


自分のことばかり考えていると、メンバーのことまで考えることができなくなる。

メンバーの中には出来る人もいれば出来ない人もいる。

分野が少し変われば途端に向き不向きが登場する。

その見極めを行い、出来る人にも出来ない人にもそれぞれ相応の対応をとることが求められる。


相手の考えや行動の背景を読み取り、サポートできなければならない。

それがリーダーシップであるように思う。



相手の気持ちを考えることのできない人はリーダーの資質はない。

それでもうまくいっているのは、きっと誰かが耐えている。

いずれ内部崩壊していく。

耐えるのはリーダーでなければならない。



リーダーシップは人への思いやりと、自分自身がどれだけ負荷に耐えられるか、これらで決まる。

引っ張る力とか、オレについて来いは必要ない。


自分一人がやるより、人の力を引き出したほうが成果も増える。

ボーカル一人ではさみしい。

コーラスや、ギターや、ドラムや、何かしらほかの音のサポートがいたほうがいい。



一番目立つ人だからこそ、陰ではさらに努力しなければならない。

2020年と言えば、日本人の誰もが同じものを想像するだろう。

それは言わずもがな、東京オリンピック。



昨年に東京オリンピック開催が決まってからというもの、いたるところに2020年が出現するようになった。

例えば、2020年には何をしているのかというパーソナルな話であったり、企業の戦略目標などの中期的な指標として設定されたり、1つの潜在的な「基準」となっている。


しかし、あくまで2020年がスタートであり、ゴールではない。


日本が諸外国を惹きつけ、勝利した稀有な事例であるからこそ、2020年の重要性が高いことは確かだ。

オリンピックが政治的なツールになることを批判する人もいるが、それだけ大きなものになってしまったのである。

スポーツではもちろん注目されるが、加えて日本らしさという側面が大きく強調されて海外へと流れていく。

それは良い面も悪い面もである。

日本自体がとりあげられ、注目されることは避けられないのだ。



さて、オリンピックを終わればどうなるのだろうか。

世界の注目は日本からまた違う国へと移るであろう。

そのためには2020年までを考えるのではなく、2021、それ以降を見据えられるようにしなければならない。


2020年で燃え尽きてはいけない。

2020年が日本のゴールではないのだ。




今日は「あの日」から3年。

2020年と同じように日本人に埋め込まれた深い記憶が蘇る日である。


記憶を巡らせるだけでなく、現実を直視し、変えるための努力をしなければならない。

しかし、依然として復興は進んでいない。


だからといって、自分にできることなどたかがれている。

今は今の人に任せるしかない。

将来、自分ができることが増えるように、今から準備することのほうが何倍も今の自分にとっては重要である。



原発デモなどを通して、人々が声を上げても変わらないことがわかってしまった。

現状を変えるには、自分がプレイヤーに直接関わるしかないのだ。


自分には何ができるのだろうか。

今、2020年、そしてその先で。