「文化は、一瞬で燃える」──火事のニュースを見ながら考えたこと


最近、山火事や寺の火事、養豚場の火災など、“火”に関するニュースをやたら見る気がする。


もちろん事故もあるだろう。

老朽化や漏電、管理不足、ただの偶然。

全部が誰かの陰謀だとは思っていない。


でも、あまりにも続くと、人は不安になる。


「これは何なんだろう」と。


そして私は、かなり突飛なことを考えた。


もしかしてこれは、“戦争”に近い感覚なのではないか、と。


もちろん、ミサイルが飛んでくるような戦争ではない。

人を直接殺すものでもない。


けれど、何百年も続いた寺や文化、景色、空気感。

そういう“国の記憶”みたいなものが、火によって一瞬で消えていく。


300年積み重ねたものが、たった1日で灰になる。


それを見た時、人はただ「建物が燃えた」とは思わない。

「歴史が消えた」と感じる。


そして、その価値が分かるのは、ある程度の教養や文化への理解がある人だけだったりする。


だからこそ怖い。


壊す側にとっては、ただ燃やしただけ。

でも守る側にとっては、“積み重ねそのもの”が消える。


私はそこに、戦争に似たものを感じた。


人を殺すのではなく、文化を削っていく戦争。


少しずつ。

じわじわと。


もちろん、ここで「全部○○人のせいだ」と断定したいわけじゃない。


不安な時、人は“敵”を作りたくなる。

「きっとあいつらだ」と言えば、恐怖に名前がつくから。


でも現実はもっと複雑だ。

事故もあるし、愉快犯もいるし、精神的に壊れた人もいる。


だから私は、「これは妄想かもしれない」と自分でブレーキをかけている。


ただ、それでも思ってしまった。


もし、日本という空気そのものが壊れていったらどうなるんだろう、と。


日本人が海外へ逃げたとして、いつか戻ってきたら元通りになるのか。


きっと、ならない。


建物は再建できても、“空気”は再建できない。


昭和が戻らないように。

平成初期の感覚が戻らないように。

昔の街並みや、人との距離感が戻らないように。


文化って、壊れる時は本当に一瞬なのだと思う。


だからこそ、「日本らしさ」を守りたいと思う人がいるのも分かる。


でも同時に、その不安が強すぎると、人は他人を雑に敵認定し始める。


外国人。

宗教。

移民。

価値観の違う人。


恐怖は、世界を単純化したがる。


けれど本当は、文化を守るというのは、“誰かを憎むこと”だけでは成立しない。


日常を大事にするとか、

歴史を知るとか、

地域を好きでいるとか、

そういう地味な積み重ねの方が、本当は文化を延命している。


火は一瞬だ。


でも文化は、本来、長い時間をかけて育つものだから。