なぜ「左」ばかりが指摘されるようになったのか
――それは日本の戦後構造の話
最近、
「左ばかりが指摘されている」
「中道やリベラルが疑われるようになった」
そんな空気を感じることが増えた。
でもこれは、
左が急におかしくなったからではない。
もっと根の深い、日本の戦後構造そのものの話だと思っている。
戦後日本は「右を疑う前提」で作られた国だった
日本は戦争に敗れ、
アメリカ合衆国の占領下で国家を再設計された。
そのとき刷り込まれた大きな前提はこれだ。
- 右(国家・軍事・主権)=危険
- 左(平和・反戦・自己否定)=安全で正しい
これは善悪の話ではなく、
再び戦争を起こさせないための思想設計だった。
結果、日本では
「右を疑う」ことが常識になり、
「左は善意」という前提が長く維持された。
左は“疑われない立場”になっていった
教育、メディア、文化、知識人層。
戦後の日本を形作ってきた分野の多くは、
同じ価値観を共有していた。
- 反戦
- 平和
- 人権
- 弱者保護
これらはとても大切な理念だ。
ただし問題は、それが「検証されない常識」になったこと。
- 右の主張 → 危険かもしれないので精査
- 左の主張 → 善意なので前提として受け入れる
この非対称が、長い時間続いた。
左が“空気”になったあとも、構図は変わらなかった
本来、民主主義では
影響力を持つ側こそ検証されるべきだ。
しかし日本では、
- 左的価値観が社会の空気になり
- 発言力・発信力を持つ側になったあとも
- なお「少数派」「被害者」の立場を維持できた
結果、
実質的に強い側なのに、疑われない
という歪みが固定化された。
日本は「中立」ではなく、すでに現実的に右寄りだ
ここで無視されがちな事実がある。
日本はすでに
- 英語を義務教育にしている
- 安全保障を 日米安全保障条約 に依存している
- 核を持たず、その代わりに米国の抑止力に頼っている
つまり日本は
理念として中立でも、構造としては同盟国家。
この状態で
「右寄りであること自体が異常」とされる方が、
むしろ不自然だ。
日本は、元から右寄り。
今起きているのは「反動」ではなく「是正」
最近になって左が指摘されるようになったのは、
- 左が力を持ってきた現実
- 中道という言葉の曖昧さ
- 理念と現実のズレ
これらに、多くの人が
「おかしくない?」と感じ始めただけ。
左が悪になったのではない。
左も右も、同じ土俵で検証され始めただけ。
右でも左でもなく、問うべきは「責任の所在」
本当に大切なのは、
- 誰が影響力を持っているのか
- 誰の言葉が政策や空気を動かしているのか
- その責任がきちんと検証されているか
右か左かではない。
力を持つ側が、疑われずに済んでいないか。
それを問うことこそが、
健全な民主主義だと思う。
おわりに
極端な右も嫌だ。
極端な左も嫌だ。
でも、
現実から目を逸らした「綺麗な中道」には、
もう納得できない人が増えている。
それだけの話だ。