僕は19歳からパートナー生活を14年していた。
パートナーは合計三人(2世)と組んだ。
それぞれ全くタイプが違う、年上のもいれば年下もいる家庭背景も様々。
人間関係の経験値や生活スキルなど色々と勉強になり、実家暮らしよりは自分の人間形成にかなり役に立ったと思う。
色々と交わりとか計画しやすく実家では出来ない楽しい機会にも恵まれた。
今の自分の結婚生活よりも長い期間だ‥
ファーストパートナー
高校卒業後に開拓者となった僕は、地元の会衆で1つ年上の開拓者の兄弟いた。
その兄弟に誘われてパートナー生活を地元で始めた。
その後直ぐに区域の編成があり母親は隣の会衆になり親離れとなった。
自分で働き生活費を稼いで自活するいい経験だった。
とにかくお互い初めてのパートナー生活、近隣の会衆にもやっている人はおらず、手探りでの生活が始まる。
ちなみにこのパートナーは会衆のバリバリの主宰監督(現在でいう調整者)の息子で会衆では若者の年齢トップ。わかりやすい上昇志向の持ち主でリアルに巡回監督を目標にしていた。
霊的エリートを絵に描いたような人だった。
このパートナーとは仕事も同じ新聞配達(同じ店)で群れも一緒だ(彼が群れの監督だった)。
借りてた古い木造アパートは2部屋のみ。
1部屋を2人の寝室にもう1部屋は2人の勉強部屋にしていた。珍しいパターンだったと思う。
食事も一緒、当番制で食費は1ヶ月1万円でやっていた。
そして遊ぶのもほぼ一緒だった。
そう常に一緒なのである今考えると‥
今考えると相当気持ち悪いのである。24時間一緒って‥
そして束縛がけっこうキツかったなぁ。それだけ心配してくれていたのかもしれないが‥逐一連絡しないと注意されたりもした。
しかしパートナー生活の実情を知らないので、そういうもんだと‥あまり考えないで生活していた。あまり深く考えないのがJW人生は長く続けられる(笑)。
今考えたらプライバシーが全く無い生活だった‥
さすがにお風呂は一緒には入らなかったけど‥
洗濯も一緒にしてた、パートナーのパンツとか普通に干してたよ。やたらパンツが多かった。
しかし後に洗濯スタイルについて2番目のパートナーには一緒に洗うのは止めてくれと言われた、2番目からは部屋も別々になり‥そういうものかと理解した。
まぁ色んなタイプがあると思うけどね。
若者たちのたまり場となっていたアパート。
毎週土曜日になると誰かしら泊まりがけで遊びに来ていた。特に2世の男子ね。
よくカレー(激辛でほぼ液体)や餃子(ロシアンルーレット餃子)を皆で作り、たらふく食べた(質より量時代)。いつも一品料理だった。このロシアンルーレット餃子は色んな物入れた、ワサビ、からし、唐辛子、砂糖、などなど‥皆疑心暗鬼で餃子解体して食べてた。
そして超健全!朝方までトランプで盛り上がり遊んだ。
そして隣の住人からうるさいと!クレームがよく来ていた😅
バリバリの長老の息子なので世の事をあまり知らない‥
彼はクラシックばかり聞いており、流行りの音楽には無縁、僕は当時から槇原敬之が好きで聞いており彼も影響を受け特に恋愛曲にハマってた。
悪い影響かと少しヒヤヒヤした。
僕の情報は主宰長老(彼の父親)に筒抜けだから、これも気を遣ったなぁ。
楽しい事も沢山あったが、色々なトラブルもあった。
続く