僕のエホバの証人をやっていく上で欠かせないのがこの建設奉仕でした。

そして同じように感じていた建設奉仕者は多くいたと思う。

約13年間、夏の大会時期を抜かして毎月のように建設奉仕に参加してきた。


僕は大好きな大工の仕事が出来るのと、楽しい仲間との交友でとても癒されていた。

監督も職人が多く荒っぽいが融通は効くので居心地はいい。

また会衆では長老として、また若者の先輩としていつも手本にならなければというプレッシャーがあったが、建設奉仕は1奉仕者として黙々と働ける。建物がどんどん形にしていく作業が毎回楽しい。

僕は工業高校の建築課で、そのスキルを生かせるのも良かった。それでフレーム部門(建物の骨組を作る大工)で働いてました。現場で一番目立つ花形の仕事です。


初めは関東A に在籍し、後に関東Cに移ります。

なので東北なのに関東勢といつも奉仕してました。

東北の井の中の蛙の僕は色んな勉強させて貰いました。

千葉の連中(一部)の荒々しさ口が悪さ、これには驚いた、こんな人もエホバの証人でいるんだと眼から鱗。東京の現役大工の差別主義(QB大工見下げる)に耐え、少し知り合ったからといって神奈川の人に根掘り葉掘りプライベートな事聞いたら引かれたり、東北RBCにいた関西人軍団のノリの良さに圧倒されたりと田舎の僕は成長させて貰いました。

今、嫁さん(県外)も言います。僕が東北人ぽくないと‥

多分この建設で色んな地域の人達に出会い揉まれて成長したからだと思います。だいぶ視野が広くなったと思います。


初めの頃は兄弟達がほとんどで、昼休みには軍手でボールを作り草野球したりと野郎で楽しんでました。奉仕後はご当地の名物を食べに行き温泉があれば皆で浸かりお尻を出して写真を撮り満喫してました。

中盤になると独身姉妹達も加わり、もう違う意味で盛り上がります‥可愛い子ちゃん探しです。

僕も浮かれちゃいましたね。

まず服装が変わります、ボロボロの服は着なくなり、寅一のニッカズボンなど着用し、後半はアメリカンスタイルでアメリカの腰袋やハンマーを使ってました。

現場の約30名ほどの奉仕者の半数は姉妹達でした。

勿論、その中からカップルも産まれて行きました。

また、悲しい別れもね‥(僕の事ですが何か)


つづく