アジアん
サイズP20
最初にキャンパスをイーゼルに立てかけたのが6月3日…。
いつか沈んでしまうと言われている“ツバルの海”今までにも、構図は違いますが二回描いているので、通常このサイズなら二週間あれば描きあげること出来るはずでした。
“油絵を描くと何かがある”
5年前に49歳で亡くなってしまった、僕の叔母のために描いた“桜”。
描いたことが叔母にとって良かったのか、悪かったのかを最後聞けないまま、叔母は逝ってしまいました。
末期のすい臓ガンで、余命を宣告され、看護師だった叔母は、最後の最後まで看護される末期ガン患者の思いを手記にまとめていました。(実際、本なっていますが。)
今後のケアに役にたって欲しい。と。
自宅のベットで独り…来年の桜を見ることが出来ない叔母に、桜の絵は残酷だったんじゃないか…その疑問。その答を知りたくて、それからは、ことあるごとに、がむしゃらに描いている気がします。
その時から描いた作品は大小含め15枚くらいになるはずですが、描く度、あの叔母に対する思いがさくそうし、息苦しい感じになり、息苦しさや落ち込みが酷くなるんです。
そして何度と無く描けなくなり、また描く。それは描きあげた時に見えるかも知れないから…。と。
【大作や思い入れの強い作品を描いていると必ず何かがある。】
それがジンクスになってしまって、最近は描くことからも遠ざかってしまっていました。
東日本大震災のあった2011年。小田和正さんのライブに足を運び、自分なりに感じた想いをクリスマスに向けて描きました。その頃も浮き沈みが激しく、当時そんな愚痴を聴いてもらっていたカフェの店長の誕生日に、その作品をもらってもらったんですが、人間的な裏切りにあってから、その作品を最後に筆が持てなくなってしまいました。
それから一年半。この【アジアん】を描く前に、僕にとっての居場所を創ってくれた大事な仲間に、その人の【1番大切なもの】を描こうと、ホコリの被った道具を、奥からひっぱり出して、絵の具をパレットに出して…描き始めたものの、やっぱり浮き沈みの波が襲って来ました。
それでも僕的には、その人がどのくらい可愛がっているかを知っていたので、とにかくそんな気持ちが表情(画面)に現せて、手にした時の笑顔を見たい一心で描きあげました。
きっと叔母とのことの答がその笑顔で分かるって想っていましたし。
でも…
僕自身の“おごり”が、大切な仲間のこころを壊してしまって、結果、直接その笑顔を見ることが出来なくなりました。
“もう…描けない”
そんな時に『大丈夫!いつかみんなで笑顔になれるよ!』って励ましてくれる仲間が、オファーをくれたんです。
正直、自信なんて全くなかったので社交辞令的に引き受けました。
もちろん、描いている時にどんな状態になるか解っていたし、果たして完成出来るのかが、まずもって全く見えなかったからですかね…。
それでもたくさんの人に支えられ、その中には僕自身が毛嫌いしていた人からの“元気だして!”の励ましだったり、仕事では影ながら支えてくれた職人さんたちだったり…。
そんな想いで描いていたら、その仲間にも身体的に辛い出来事がありました。
“やっぱり描くべきしゃなかった…”と後悔するも、信じたいたくさんのこと。“人と人の関係で、他をいたわる優しさ”を教えてくれた仲間に描いていることで僕自身が歩けること。それに応えるために描いていた気がします。
一ヶ月半…。
いろんな想いが詰まった、この作品も、次回の色入れで、サインが入れられると想います。
しばらく更新をサボった上に、私事で長文になり申し訳ありません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
そして、先にアップしましたが猫の絵を含め今、次の作品の制作も始めました。
同時に三枚…。
仕上がるのかな…

そしてまた、答を…探します。




