今まで回った部署は、
①モバイル事業部(2007年4月~2008年9月)
②インターネット事業部(2008年10月~2009年7月)
③西日本事業部(2009年8月~2011年12月)
④中国事業部(2012年1月~2012年6月)
⑤インドネシア事業部(2012年7月~現在)
合計5つの部署を回り、営業以外に関しても、オフィス立ち上げ業務、人材採用など様々な仕事をやらせてもらいました。その中でもやはり、海外事業と新規事業のミックスジュースは圧倒的に難関な仕事だと感じています。現在のインドネシア事業がそれにあたるのですが、そう言っておきながらジョインしたのはPT. Adways Indonesia(アドウェイズインドネシア)が設立してから1年後のことで(笑)、実は最大に苦しい時期を経験していないのです。
その海外事業と新規事業のミックスジュースの最初の苦い部分を力いっぱい飲み干した人間が、本日8/1に31歳の誕生日を迎えたアドウェイズインドネシアの代表取締役である高野勇斗です。
アドウェイズはアジアを中心に積極展開していますが、会社を買収するか、いくらか出資するかで進出する形が多いです。最低でもそこの国に詳しい人から教えを乞わなければいけません。それなのに、アドウェイズインドネシアは全くのゼロからスタートしました。インドネシアに詳しい人に導かれたわけでもありません。同期で、持ち上げても何にもならないので、純粋な気持ちで書かせて頂きますが、彼でなければこの事業は立ち上がっていなかったと思います。
今日は高野勇斗生誕31周年記念ということで、高野語録を紹介する形で、不可能を可能にした理由を探っていきたいと思います。
「何を売るかなんて、会社じゃなくて社会が決めるもんだろ」
高野は何を売るかも決めずにこのインドネシアにやって来ました。インターネット関係のことをやろうぐらいは考えていたと思いますが、真相は私も知りません(笑)。彼は、人に会って会って会いまくり、人々の声に耳を傾け、ニーズがあったHP制作、ソーシャルメディアマーケティングの事業を立ち上げることで、数字を作っていきました。
「俺は宣言はするが、描くのはメンバー。俺は何一つできない」
ニーズを聞くことができても、高野はプログラマーでもデザイナーでも無いので、何も作ることはできません。エクセルすら使えません(笑)。なので、彼がインドネシアに来て最初にやったことは人材採用です。優秀なメンバーを集めて勉強させ、どんどんチャンスを与えていきました。
「さーせん!って謝って、すぐ学んでキャッチアップしたらいいじゃん!」
どんどんチャンスを与えると言っても、初めてのことに挑戦すると失敗ももちろんあります。しかし、彼は失敗することを奨励し、失敗に対して怒ったことは一度もありませんでした。失敗してもメンバーを鼓舞し、さらにまた大きなチャンスを与えました。インドネシアでは、日本では当たり前に行われていることでも、業界が未成熟のため、毎日がチャレンジャーです。失敗⇒学び⇒成長のサイクルを最高速のスピードでまわすことがキーになります。
「残業って何だ?規定の業務時間?俺達の時間を勝手に規定しないでくれ。俺を規定しうるのは夢だけである。」
会社のトップは、一番に会社のビジョンや価値観を体現する人でなければなりません。高野は「夢」を叶えることを軸に、難しかろうが辛かろうが、主体的に立ち向かう姿を自ら社員に見せて行きました。例えば、毎日の朝礼で、アドリブで英語で何かを話すということも、うちのメンバーから勇敢に見える場合があります。私より語彙数の少ない社長が(笑)、一生懸命英語で知識をシェアしてくれていると。
「会社のビジョンと個人の夢をリンクさせる」
これはサイバーエージェント社長の藤田さんも同じ意味のことをブログで書かれていたと思いますが、個人の能力を最大限に発揮させるには、会社のビジョンと個人の夢をリンクさせることが重要だと高野も言っています。アドウェイズインドネシアのゲーム事業もそこから生まれました。しかし、ただ新規事業でチャンスを与えるだけでは事業として立ち行かなくなります。働きやすい環境を用意し、裏から成功の手助けを行います。それは決して介入であってはいけません。
Happy Birthday…