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注文住宅で家づくりをします!

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土地・住宅問題では、民法の改正が必要だと思います。


例えば、100平方メートルの土地を3人の子供が相続するとなると、33平方メートルずつ3人が持って家を建てる、あるいは話し合いがつかないとどんどん売ってしまい、そのあとに不動産屋がミニ住宅を建てる。


そういうことになると都市の土地は相続の都度一層細分化されて行ってしまいます。


そこで、現在の民法を改正し、土地に関しては、例えば100平方メートル以下のものは均分してはいけないとか、あるいは土地は長男が持ちあとは金で解決しろというようなことを考える必要があるのではないか。


このことを考えないと土地は次第に小さくなってしまいます。


細分化することは、土地の価格をつり上げることであり、都市の土地・注文住宅政策を動きのとれないものにする元凶です。

日本人のアメニティだと考えるならば、同じふるさと計画でも"三つのふるさと"があってよいと思います。


一つのところに"定着"させてしまうのは、人間生活、とくに日本人の生活の発展の論理に矛盾しているように思えます。


すなわち人間は、年をとれぽどこかに住みたいと思うが、その時にはある程度の経済活動をして自分で居住する注文住宅を選択する能力を持っています。


それを若いうちからあくせくして早く家を持つことにだけ、精進するのは21世紀の日本人のイメージではない。

特に最近、若い人が早いうちから注文住宅をかなり無理して住宅ローンで持つ傾向があるが、私はこれは問題だと思います。


三全総にタテつくようで申し訳ないが、我々の持っているような定住性と今の若い世代が持っている定住性とは違うと思います。


20歳代、30歳代の男がその年齢からどこかに家を持って70~80歳までそこにいるとなると、もうそれは役に立たない男になってしまいます。


どこかにまた新しい仕事があって、あるいは南米に行くかもわからない、あるいは中国に行くかも知れないというのが現実の日本人のアクティビィティであり、エネルギーでもあります。
都市に愛知 注文住宅ゾーンのようなものをこしらえ、「都心はいけません」「郊外はよろしい」とうったえる。


そして郊外に建てるものには住宅金融公庫融資も距離が遠くなるにしたがって余計に貸すという、逆の方法をやったらどうでしょうか。


また同時にあまり若い人、20歳代や30歳代で住宅を持つというのは制限をしていく等を実行すれぽ、都市の過密もある程度までは防げると思います。


すなわち、若い第一期の生活は、都心のアパートで、第二期は郊外の住宅へ、そして第三期は一部は都心のアパート(老人用として)に帰るといった、循環方法があってよいと思います。

この点を具体的にいうと、都市の一定の中心部門では土地や住宅を私有させない、つまりそこで分譲住宅を作ることはやめる、どうしてもやるならば都市の周辺でやるようにすべきです。


例えば、私の友人でアメリカのペンシルバニア大学の学長をしている人の話だが、フィラデルフィアなどに行くと都心で個人が公共団体から注文住宅を分譲してもらうということはないし、また住宅金融公庫などが都心に作る住宅に対して融資はしない。


ところが日本ではどこの土地であっても全額公庫が融資をするが、それが都市を一層過密にしてしまっています。


だから、いま、自治体としても、土地、住宅政策について、国等にもっと積極的に主張をする。


そしてそれを建設省か国土庁あたりが法制化して住宅基本法のようなものを作り、それによって自治体が住宅の建設から供給さらには都市問題をも含めて運営できるような仕組みができることが必要なのではないかと思います。

日本人には「住めば都」という哲学があります。


また「貧しいけれど楽しいわが家」という考えもあります。


それは必ずしも注文住宅を所有しなくてもよいという意味にもなる。


皆がエゴイズムに自分の家だけだというふうになると、郊外の田園都市ならよいとしても、東京や大阪の過密の中では、都市経営は全然できなくなってしまいます。


それを基本構想や基本計画の中で一生懸命与えるような印象を持たせているのは、住民を惑わすことだと思います。
これからは、人間にとって家づくりとは何かという哲学を持った住宅政策、そのための基本法を持つべきではないかと思います。


住宅というのは個人の生活の拠点であると同時に、極めて共通性を持つ生活空間であるから、このことをまず認識させなければならないが、そのためにもこれからの自治体はそういう面からのアプローチが必要となる。


例えば、人間は誰でも土地は持ちたいし、住宅は自分のものにしたいと思うが、この東京で一千万人の人に対して全部それが可能かというと不可能です。


それを誰でもできるようなイメージをマイタウン計画で与えているとすれば、それは間違いです。


むしろそうではなくてAからB、BからCへというふうに、生活の状態等によって住宅は変わっていくものだから、住宅は必ずしも所有しないでもよい。
都市と農村とでは同じ"土地"という空間でも、その利用政策は根本的に異なります。


それを国土の全体に、同一に見ているところに、国の政策の天下り性があります。


都市の空間は、限られた中に多数が住むことが原則であるから、その空間の"高度利用"こそが、注文住宅政策、否都市政策の根本です。


いささか理念的になるが、都市生活では、住宅の供給をするということは、都市の中に占める空間をどういうふうに高度に利用するかということに置き換えられる。


すなわち、クリアリングハゥスという言葉があるが、これは住宅について空いたり、滞ったりするのをどう調整するかということであり、コンピューターの利用によって、空間の利用を促進するということです。
現在は、注文住宅を利用する都市の人間の生活実態、それについての調査が非常に不十分だと思います。


例えば、我々のような世代になるとある程度の家を持っています。


広いものを持っています。


しかし、そうかといってそれを貸すほどでもないし、また建て直す資力もない。


そこで例えば、夫婦二人で相当住宅の空間がある者に、国の政策として、ある程度部分的に修繕してやるから貸すとか、あるいは家賃を少し高くするからどうぞお貸しになって下さいとかといったような、そういった都市の無駄に空けている居住空間というものの高度利用という政策があってもいいのではないかと思います。

これは本当に低所得層のどうにもならない人たちの住む昔のスラムになるおそれがあり、中産階級を対象としている公団住宅でもそういうふうになるおそれが十分あるそうです。


そしてそのときになってからでは、地方自治体はといっても手遅れだと思います。


特に今のように人権意識が強い時代となると、「我々は住む権利がある」と主張されると、裁判ざたでも解決は難しくなります。


雨が漏ろうが何が起ころうと「金は出さない」「修繕はしない」でそこに住むとなると、昔のように強制的に出すということも不可能です。


そういうことがもう目前に来ているのが日本の注文住宅政策、特に都市のそれではないかと思います。


賃貸住宅について回転させていく。