【六月博多座大歌舞伎】開場25周年記念 夜の部 | satsukiの日々ブログ

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【六月博多座大歌舞伎】開場25周年記念 夜の部

 







「尾上右近の記念すべき初役を見逃す事勿れ」


通しで見たのを思い出せないほど遠ざかっていた、四谷怪談は定番の怪談=お岩さんということで誰でも知っている話のように思いますが、大体は「お岩様が毒薬を夫の伊右衛門に盛られて顔が崩れて亡くなって、その後恨みに思うお岩様が復讐のため化けて出る」という知識ではないかと勝手ながら思っています。

元禄時代に起きたと言われる事件を元とした創作怪談で、四谷(現在の豊島区雑司ヶ谷)が舞台となっていますがそれを原典とした鶴屋南北の『東海道四谷怪談』は全5幕、1825年(文政8年)、江戸中村座で初演されました。実は忠臣蔵の外伝なのですが、序幕がないこともあり、そういった場合はその設定がわかりにくいと思っています。

実際に起こったお岩さんの話と忠臣蔵設定と共に、不倫の男女が戸板に打ち付けられて川に流されたという話題、隠亡堀に心中者の死体が流れ着いたという話などが取り入れられています。お岩様のお役は、元々は尾上菊五郎だったことから音羽屋のお家芸のひとつとなっているそうです。博多座での22年前は勘九郎時代の勘三郎さんがなさっていたし、今回は尾上右近さん初役でされるし、たまに忘れることもありますが、六代目尾上菊五郎の血筋だったなとイヤホンガイドを聞きながら思い出しました。

伊右衛門は俗にいう色悪という役所で二枚目の色男ですが極悪非道の悪人であり、四谷左門や小仏小平を殺害し、結果お岩様を死に至らしめるというもので、現在の色悪といえば仁左衛門さんだとは思うのですが、なかなかに松也さんの初役の伊右衛門もとても良かったです。(今回のビジュアルポスターもとてもよい出来)

 

≪筋≫

暦応元年(1338年)元塩冶家の家臣、四谷左門の娘・岩は夫である伊右衛門の不行状を理由に実家に連れ戻されていた。伊右衛門は左門に岩との復縁を迫るが、過去の悪事の公金横領を指摘され、辻斬りの仕業に見せかけ左門を殺害。同じ場所で、岩の妹・袖に横恋慕していた薬売

り直助は、袖の夫佐藤与茂七(実は入れ替った別人)を殺害した。ちょうどそこへ岩と袖がやってきて、左門と与茂七の死体を見つける。嘆く2人に伊右衛門と直助は仇を討ってやると言いくるめ直助と袖は同居し、一方伊右衛門と岩は復縁することになる。

田宮家に戻った岩は産後の肥立ちが悪く、病がちになったため、伊右衛門は岩を厭うようになる。

高師直の家臣伊藤喜兵衛の孫の梅は伊右衛門に恋をし、喜兵衛も伊右衛門を婿に望む。

高家への仕官を条件に承諾した伊右衛門は、按摩の宅悦を脅して岩と不義密通を働かせ、それを口実に離縁しようと画策する。喜兵衛から贈られた薬のために容貌が崩れた岩を見て脅えた宅悦は伊右衛門の計画を暴露する。岩は悶え苦しみ、置いてあった刀が首に刺さって死ぬ。伊右衛門は、仕えていた小仏小平を家宝の薬を盗んだ咎で捕らえて押し入れに入れていたので、それを間男に仕立て上げ惨殺。伊右衛門の手下は岩と小平の死体を戸板の表と裏に打ち付けて川に流す。

伊右衛門は伊藤家の婿に入るが、婚礼の晩に幽霊を見て錯乱し、梅と喜兵衛を殺害、逃亡する。

袖は宅悦に姉の死を知らされ、仇討ちを条件に直助に身を許すが、そこへ死んだはずの与茂七が帰ってくる。

結果として不貞を働いた袖はあえて与茂七、直助二人の手にかかり死ぬ。袖の最後の言葉から、直助は袖が実の妹だったことを知り、自害する。

 

 

塩冶家浪人四谷左門の娘、お岩とお袖の姉妹を巡る話ではありますが、上演する場によってはお袖の印象が薄いものになっているような気が。伊右衛門を孫娘の婿に迎えたい伊藤喜兵衛が乳母に持たせた血の道の薬と偽った毒薬によってお岩の顔が変わり恨みを残して死んでいく、元伊右衛門浪宅の場が有名なためなのでしょうか。

伊右衛門はあくまで毒薬であることを知らず、真相を聞いたときには絶句していました。この辺りも、ちゃんと話を知らないと勘違いするところなんだろうなと思います。

伊右衛門浪宅の場で毒薬によって顔が醜くなったお岩様が独吟の瑠璃の合方が流れる中で鉄漿施し櫛で髪を梳く「髪梳き」では梳かれるたびに髪や肉が抜け落ちていくもので、独吟はお岩様の恨みだけなく裏切られた悲しさをも表現しているようでした。この場面は四谷怪談の最大の見所と言えます。菊之助さんや愛之助さんが直近で通しに近いものをされているので、菊之助に習ったのかと思いきや、勘九郎さんに習われたようです。やはり1人何役などの演出の違いからでしょうか。


幽霊となったお岩を表現するための仕掛けをこれでもかというほどやってくれてサービス精神を感じます。そして若いし体力が素晴らしい。ある意味これも体力勝負の演目なんでしょうね。

隠亡堀で釣りをする伊右衛門の前に流れついた戸板に殺されたお岩と小平の死体が表裏に打ち付けられており、戸板返しはこの2役を1人の役者が演じるための仕掛けになっています。それぞれの役の衣裳が予め板の表裏に準備されていて、戸板にあけられた穴から顔だけを出せるようになっているそうで、戸板を裏返すと同時に早替りができるということなのだそうです。

また、蛇山庵室の場ではお岩の幽霊が燃える提燈から出てくる提灯抜け、仏壇の中に人を引き入れる仏壇返しなどの多くの仕掛けがありました。また客席降りもあり、あちらこちらの席から悲鳴が上がっていました。

 

隠亡堀の場の幕切付近で暗闇の中で伊右衛門、直助権兵衛、与茂七、お袖が露は尾花に載せた、だんまりで与茂七の落とした書状は直助が拾い、直助が持っていた鰻かきは与茂七の手へと渡っていきます。

 

舞台装置転換の場面では、亀蔵さんが話し手として空白の時間を埋めていました。お話によると、三角屋敷の場は話しが長くて、夜の部だけでは収まらないため割愛とのことでした。笑

 

お岩の幽霊がさまざまな場面で伊右衛門を悩まし伊右衛門の母や仲間を次々に死へ誘います。蛇山の庵室で伊右衛門は岩の幽霊と鼠(なんで鼠なんだろうか?と思いましたら、お岩さんが子年生まれのためだそうで)に苦しめられて狂乱するのですが、そこへ真相を知った与茂七が来て、舅と義姉の敵である伊右衛門を討ちます。

この立ち廻りを見て仮名手本忠臣蔵の十一段目を思い出してしまいました。深々と降る雪の中、切り結ぶ。この二人は刀剣乱舞でも御馴染ですが、非常に上手でありまた若いので勢いがあってとてもいいと思いました。

終りは私の好きな切り口上「まずはこれ切り~」。カーテンコールはあるかどうかといったところですが、古典歌舞伎らしく、そういったことはありませんでした。これでいいのです。何度も何度ものカーテンコールはしんどくなることがありますので。

 

それにしても、今回も若手方々がとてもお上手で頼もしく、ちょっと歌舞伎から遠ざかっていたのですけど、また楽しみができました。

今年はあと7月に松竹座を予定していてそれで今年は終了かなといったところですが、役者さんによっては要検討と考え直しました。