【六月博多座大歌舞伎】博多座開場25周年記念 昼の部 | satsukiの日々ブログ

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【六月博多座大歌舞伎】博多座開場25周年記念

21日に観に行こうと決めていた博多座でしたが千穐楽が17日と知り、急遽日曜に行くことにしました💦







《修禅寺物語》
修善寺物語については、鎌倉殿の13人を放映していた時に、ちょうど同じ時代だから、「頼朝の死」と「修禅寺物語」をすれば良いのに松竹は商売っ気がないなと勝手に思っていました😅

岡本綺堂が修禅寺には頼家の面があることに着想を得て、二代目左團次に当て書きしたもので、ニンが骨太で男っぽくて直線的ですので、夜叉王は彌十郎さんにもとても合っているお役であると思います。
前回はなんと7年前で初世板東好太郎三十七回忌、二世坂東吉弥十三回忌追善狂言で八月納涼歌舞伎で出されました。
今回は彌十郎さんが再演されるということで博多座までやってきました。前回からは状況が大きく変わり、前回三代目猿之助(現猿翁さん)が、お父様の巡業でされた夜叉王を観ていることから、彌十郎さんが演出を依頼され、四代目猿之助が、夜叉王の長女、気位が高く上昇志向の強いお役の桂としてお付き合いされていました。今回は猿翁さんはお亡くなりになっており、桂のお役は前回、妹の楓を好演された新悟さんがなさっていました。全く違う役どころでどうなるのだろうか?と思っていましたが、本当にお上手になられたというか。桂そのものでした。春彦に虎之介さん、頼家は松也さん、家来の下田五郎は鷹之助さん。
前回はもっと直情的なイメージだったのですが、今回はもっと老成されているように感じたことです。鎌倉殿では頼家の祖父を演じた彌十郎さんでした…
私が鎌倉殿を観ていて、その時代背景がより鮮明になった上で観ていたので自分の受け取り方も変わったのかもしれません。

優れた面作師の夜叉王に頼家が面を作るように命じたが、半年経ってもできないことから頼家は夜叉王の家を訪ねます。
夜叉王はどうしても死相が浮かぶのでできないというところ、桂が夜叉王が納得してない面を渡すも頼家は満足する。また、桂を奉公にこさせるように指示し、桂は願ってもないことと喜ぶ。
頼家は桂を得て心痛が癒えたとし、修禅寺で平穏な暮らしがしたいと望むが、北条方の手が迫る。桂は面を付け、肩衣をつけて頼家の身代わりとなり傷を負いながらも息も絶え絶え、夜叉王の家に辿り着くものの、頼家の死を知らされ気を失う。
最後、若い娘の断末魔の叫びを面に写し取るために、瀕死の桂に顔を上げさせ、写し取っているところで幕。娘の死に様までも、描きとめる芸術家であり、職人の業。

前は猿之助さんの顔を上げさせるところで幕となっていたのですが、少し変わったのかしら。それとも気のせいか。また、夜叉王は自分の腕が悪く死相が出ていたのかと思っていたが腕がよいからその死相ですらも面に出ていたのだともっと喜ぶ感情が出ていたように思いましたが今回はあまり喜びを表に出さない抑えた演技のように感じて個人的に解釈が変わりました。
死の淵にいてもなお毅然とした新悟さんの顔つき、猿之助さんの時もハッとさせられましたがこの表情がとても素晴らしいと感じました。
鷹之資さんの立ち廻りも素晴らしい、松也さんの儚さを感じる頼家によく、楓の莟玉さんも、虎之介さんも周りの役者さんの好演も光りました。
次は歌舞伎座での再演を願っています。

個人的に新歌舞伎は静かで照明も暗くらしんどかったのですが、岡本綺堂は克服できたのではなかろうかと思います。
真山青果も長谷川伸も克服したのは、自分の成長ととらえます😌

《身代わり座禅》
右京も玉の井も太郎冠者も修禅寺物語にも出られていた方々が全力で出演💦
玉の井は左團次さんイメージだったのですが、三度目の彌十郎さんの玉の井がとても可愛らしく感情移入してました笑
右近さんは千枝小枝のイメージでしたが太郎冠者初役も軽やかな踊り、松也さん初役の右京もとっても素晴らしかったです。鷹之資さんと莟玉さんの千枝小枝は2人の大きさがよく似ていてシンクロしておりました。

《新口村》
梅玉さんの二役。
忠兵衛はさることながら、孫右衛門の感情の機微をうまく捉え、上方役者で観ることの多かった私は新鮮に拝見することができました。
扇乃丞さんの忠兵衛はさすが上方の役者さんだと😌
梅乃さん、四谷怪談でも印象に残りましたがこの忠三郎女房も存在感を発揮していました。

昼の部3本、ほぼ1時間ずつの充実した演目でした