たばこ、陸上競技、チャンス | 書いてみたいお年頃

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小説を書いてみたいと憧れる大学生の日記

 ほどよい空気。これならいける。一気にスピードを上げて、一番前へ。僕の前を走る人は誰もいない。風が前へ前へと運んでいってくれる。足がとても軽い。観衆の声は聞こえない。いつの間にか最後のカーブにさしかかった。あっという間のレース。ゴールテープを切る瞬間、僕は懐かしい匂いを感じた。


「明日はとうとう、全国大会だね」

僕が短距離用のスパイクを磨いてホテルに帰る準備をしていると、部室の前でマネージャーに話しかけられた。

「そーだね」

「足の調子はどう?」

「悪くない。ちょっと練習を張り切りすぎて筋肉痛になってるけどね」

僕は乾いた笑いをもらした。彼女は

「明日、頑張ってね」

といって仲間のもとへ向かっていった。


 僕は心底心配だった。明日のレースについて。僕の高校では全国まで行けたのは自分しかいない。期待を一心に集めているのは、他でもない自分が一番感じていた。何がなんでも優勝しなければ。自己ベストは上位に入っているのは分かっている。だが、その期待だとかプレッシャーといったものとは別に心配なことがあった。


観衆、たくさんの応援、チームメイトのまなざし。僕はその状況が苦手なのだ。苦手と言っても、ピーマンが苦手だとか、人前でスピーチするのが苦手だとか、なんとかできるレベルのものではない。足が思い通りに動かなくなってタイムが2、3秒は変わってしまう。短距離では致命的だ。今までは、小さい競技会場や、応援を自重してもらったりして対処できていたが、明日は違う。


全国大会。インターハイ。全国でいちばん足の速い選手を決める大会。その重圧に僕は耐えられるのだろうか。きっと無理だという気持ちを今までかき消してきたけど、日に日に大きくなっている。今にも心が折れそうだ。心の中のかすかな希望が今にも消えそうなのは自分でもわかった。何とかしなければと思えば思うほど、心の中は暗くなった。おぼつかない足取りで、僕は泊まり込んでいるホテルに帰ることにした。


 ホテルに着いて夕食を食べ、激励され、シャワーを浴びて、ベッドに入った。ホテルに着いてからみんなの声援を浴びて余計に緊張してしまった。何を食べたのかも思い出せない。頭の中には明日のレースのことしかなかった。疲れた。もう何も考えたくない。レースに集中するんだ。そう言い聞かせているうちにいつの間にか眠ってしまった。


 くるくるまわる小学生を僕は見ていた。鉄棒で逆上がりをしている。とても得意げにくるくる回り続けている。そう、これは僕だ。夢で昔の自分を見ている。走るのが苦手で、鉄棒は得意だった。よくおじいちゃんに見てもらっていたっけ。

そのおじいちゃんがいなくなってから、僕は走ることを得意にしようと頑張り始めたのだ。おじいちゃんは昔短距離の選手だった。走るのが苦手な僕にコツを教えようとしてくれたのに、ぐずる僕は得意な鉄棒しかしなかった。おじいちゃんのたばこの匂いを今でも思い出せる。鉄棒を回るように走りたい。僕は夢の中で鉄棒を回り続けていた。





 朝早く目が覚めた。時間を持てあましていたので母からもらったお守りを見ようと鞄を漁った。この鞄は昔から使っている。思い出もたくさんある。この鞄をもって全国に行くのは夢だった。それが今日、現実になる。いてもたってもいられなくなってジョギングに出かけた。


きれいな青い空だった。絶好の大会日和。ホテルの周りをぐるっと回ろうと思った。いくぶん乾いた風と太陽の日差しが心地よかった。朝早いのでまだ気温もそんなに上がっていない。程よく汗をかいてきたところで切り上げて部屋に戻ろうとした。喉が渇いた。帰り道に自販機があったのを思い出して、立ち寄ることにした。自販機でスポーツ飲料を買って一息ついて、ふと自販機を見るとたばこも売っていた。最近は年齢の認証がないと買えないはずなのに、この自販機にはなかった。


ふと、たばこを買ってみたくなった。


吸ったこともないし、吸ってみたいとも思ったことは一度もなかったけれど、買いたい衝動が抑えきれなかった。

セブンスター。おじいちゃんの吸っていたたばこだ。自販機から取り出すときに見られてないか心配になりながらも、どきどきしながら封をあけた。懐かしい匂い。 たばこをぎゅっと握りしめた。


 ホテルの自分の部屋に戻ってまたたばこを取り出した。鼻に当ててみる。葉っぱの匂いがした。部屋を見渡すと、床にマッチが落ちていた。マッチを拾い、鞄に忍ばせて試合会場に向かう。


会場に着いて、みんなは僕が緊張しているのを見てひとりになれるように察してくれた。もうすぐ一次予選が始まる。会場の雰囲気は熱気に満ちている。声援が遠くから聞こえる。誰かが誰かを応援している。まだ少しだけ時間はある。会場の外に出て、たばこに火をつけてみた。煙が喉に入っていく。不思議とむせなかった。一息だけ吸って、吸い殻入れに放り投げた。


 がむしゃらに走れるような気がした。緊張はしているけれど、今までとは違う。理由のない自信があった。昨日考えていたことは頭にない。名前の呼び出しがあった。もうすぐレースが始まる。きっと実力の全てを出し切るのは難しいだろう。

全てのレースが終わったときに僕が何を感じるのかは、今はまだ分からない。