秋の日はつるべおとし

考え事をしながら
刑事の散らした花びらを片付けたら
雑草が目につき

いつしか草むしりに没頭していました

視界に影がさし
手足が冷たくなってきて

思ったより長い時間が経った事に気付きました

陽ざしはすでに傾き
あたりの空気は冷気を帯び始めていました

かがんだ姿勢に固まった腰をゆっくりと伸ばし
草のつゆで汚れた手を
外付けの水道で洗いました

甘いミルクティーが
無性に飲みたくなり
部屋にもどりました

牛乳をホーローの小鍋に入れ
ティーバックの紅茶を一つ落として火にかけました

ゴーっという鍋のうなりに

「ひとりでいる方が快適なのか」
という昼間の刑事の声が蘇りました

こんな心もとない夜を
何回と何百回と何千回と繰り返す「快適」さを
進んで手に入れた覚えなどありませんでした

キッチンテーブルでミルクティーをすすり

向かい側の空席に足をのせ
足の指をゴニョゴニョ動かし
スリッパを下に落としました

ミルクティーの味覚が記憶を
鮮明にしました


一年半の笹倉さんとのやりとりを
引き出し、並べて、なぞってゆきました


穏やかで、はにかみやで
自分をアピールするのが下手

それが私の知る笹倉さんでした
彼が豹変したり
憎悪を人に向けたりする事など想像もつきませんでした

一方
不自然すぎるほどのガードで
自分の身元をあかさなかった事も事実でした

「水曜日のこのくらいの時間滞だったら自由になるんです
あなたの都合が許したら
またここでお会いしましょう」
「できれば、普段の生活から切り離した時間を
ここですごしませんか?」

それが私達の始まりでした

さりげなく彼の作ったルールに乗っていた私がいました

その線引きの内側に一歩でも踏み込んだら
とたんに彼は消えてしまうだろうと
本能的に感じていたからです

私はその訳を
すでに彼にはパートナーがいるためだと思っていました

でも違う理由だったら?


もし入澤さんが会っていたのが別の日の笹倉さんだったら…

「日曜日の夜10時過ぎなら自由になるんです」

入澤さんに囁く声が聞こえました

「ちょっと外に出ないか?
静かでいい場所があるんだ」

頷く入澤さんが見えました

店の外に出て
くぬぎ山へ並んで歩くふたり…
ハッとして自分に身震いしました

かめやに置き去りにされた私は
犯人に選ばれた入澤さんを
まるでうらやんでいるようだと気付きゾッとしました

こんな夜は

ひとりでいると
ろくな考えは浮かばない

時計は夜七時を回った所でした

ご無沙汰したアサさんに
電話をかけてみる事にしました


「…はい」
七回コールしたところで
アサさんの声が聞こえました

「ご無沙汰しています
輪子です」

「…」

思ったより長い間があきました

「アサさん?」

「あっああ…輪ちゃん?
お元気?」

「はい
アサさんお変わりありませんか?」

「はいはい」

「何ということはないけれど、アサさんの声が聞きたくなったの」

「はいはい」

「アサさん大丈夫?」

「輪ちゃん
悪いわねぇ、
何だか私眠くって
眠くって…」

「あっそうなの
ごめんごめん!
暖かくしてゆっくり眠ってね!」
慌てて言いました

「はい
輪ちゃんもね
おやすみなさい」
アサさんは本当に眠そうな声でした

「おやすみなさい」

静かに電話が切れて


私は益々寂しくなりました


「よくないよくない」
私は邪気を払うように
まわりの空気をぐちゃぐちゃとかき混ぜました


「こんな時は…」

こんな時は行動のパターンを
変えてみよう!

小滝刑事には
夜外出する事もあると言いましたが

本当は家の近くのコンビニがせいぜいで
ほとんど夜の外出はしませんでした

お年寄りの多く住むこの地域は駅周辺の繁華街からは遠い
静かな住宅街でしたし
夜の街に出掛ける理由もありませんでした


でも今日は
入澤さんの様に
敢えて外に出てみようと思いました

思えば今日一日
食事らしいものを食べていませんでしたから

何か普段は食べない
おいしいものを食べてみるのもいい


とりあえず
熱いシャワーを浴びて
急いで髪を乾かし

グレーのハイネックにジーンズ、フェイクファーのついた暖かな黒のカーディガンを羽織りました


本棚を指でたどり
椎名誠の「水域」を抜き出し

小脇にはさむと
休日の時刻表に合わせ
夜のバス停に向かいました

(続く)
小滝刑事はこちらの許可も待たず
腕を伸ばして門の内側のかんぬきを持ち上げると
ひょこひょこと庭に入ってきました

「いゃあ
行き詰まりましてねぇ」

顔を両手でゴシゴシこすって
ウッドデッキの端に腰掛けた刑事を
横に立てかけてある竹ぼうきで叩き出してやりたい衝動にかられました

無神経を絵に描いたような小滝刑事は

そんな私の怒りなど気にも留めず
我が道を進み始めました

「入澤さん、
あの遺体の女性ね
ちょっとおじさんにはわからない行動パターンがありましてね
ご意見うかがいたくて
捜査協力願います
お時間あります?」

事件についての好奇心が
怒りに待ったをかけました

汗をかいたビールをとりあえず脇におき
頷くと

小滝刑事はB4サイズの印刷物をポケットから引っ張り出しながら
「今から話す事は捜査に関わる事なんでご内密に…」
と一旦鋭い視線をこちらに向けて

ウッドデッキに紙を広げると
指差しながらしゃべり始めました

「マンションのエレベーターに防犯カメラついてまして
なくなる前3ヶ月分の入澤さんの出入りの時間がはっきりわかったんですけどね
ほらこれ
日曜日の夜
10時すぎに出かけて12時前後に帰って来る
ほらこの日も、ね
ほぼ毎週」

「習いごとって時間でもないし、飲んで帰った様子でもない
ホテルで密会にしちゃ時間が短い

そもそも誰かと付き合ってたら毎日こんなに規則正しく帰ってこないしね

じゃ
一体何してたんだろね
この時間」

この刑事の物言いは
何となく亡くなった女性を馬鹿にしているようで

私の勘に触りました

「私もありますよ
夜中に出かけて
珈琲ショップやファミレスで本を読んだりする事

誰かとおしゃべりしてたのかもしれないし」

刑事は鼻で笑いました

「こんな時間に?おしゃべり?
ああ
でも本は好きだったみたいだね
部屋に小山になってたから…

村上春樹とか椎名誠の冒険ものとか」

キュッと全身の毛穴が縮んだ気がしました


「もうひとりの方は?金子…」
「金子希美さん
彼女、離婚してひとりだったんだけど
元夫とも実家とも疎遠だったみたいで、
家賃かかるからって
行方不明になって3ヶ月で
親元が業者を呼んで部屋をさっさと整理しちゃったんだよね
何ひとつ残らず処分ですよ

だから手がかりないの
もう二年半経ってるからね
冷たいもんですよ」


「冷たいもんですね」
私も繰り返しました


小滝刑事は急に
私をマジマジと見つめ

「ねえ
ちょっと聞いていい?
単なる好奇心ですけどね

いまどきの三十代の独身女性は
なんでひとりでいる事を選んでんですか?

男といるのが嫌なの?

男といるより快適なんですか?」

不躾だなと思いました

でも何故か笑ってしまいました

「刑事さん
どうしてくくるのかな?
三十代独身って…

みんな
手に入るものと諦めるものの兼ね合いの中で生きてるでしょ?

三十代独身女性も一緒だと思いますよ」


小滝刑事はわかったようなわからないような顔で私を見ていましたが

「んじゃこれで
お休みのところどうも」

と片手で挨拶すると

来たときのように唐突に門に
向かいました

小滝刑事の背広のすそが
秋咲きのバラの開ききった花びらをかすめ
竜の髭の上に散らしました

門の閉まる音に刑事の姿が消えると


その薄ピンクの紋様をたどりながら
私の思考は

戻りたくない
ある人物への疑念に帰っていました

限られた時間の密会
世の中とのつながりの薄い女性
椎名誠の本


笹倉さん…


おととしの初夏
その人との出逢いの詳細を
私は覚えていました


珈琲ショップかめやに折れる路地に
笹倉さんはすでに立っていました

私が彼を通り越し
店に入ろうとしたのを確認して
「あのすみません
おひとりですか?」
と声をかけたのです

見知らぬ女性に声をかけるのに馴れているようには見えませんでした

「人に聞いて来たんです
ここの木イチゴのタルトがすごく旨いって」

「もし嫌でなければ一緒に入ってくれませんか?
何となく男ひとりは気が引けて…」

用心深く生きてきた私が
何故あの人には警戒心を持たなかったのか…

自分ではわかっています

すでに私は彼に強く惹かれていたのです

私達は一つのテーブルで
タルトと紅茶を挟み
まるで昔からの知り合いのように
なめらかな時間を過ごしました

思い出すとまだ胸が痛いほど

その出逢いは完璧ですてきな時間でした


もし
入澤さんが
金子さんが
私の様な出逢いをしていたら?
普段は堅く閉じている扉を
その人にだけ開いていたとしたら?


考えたくないのに
思考は先へと向かっていきます

あの別れの日
凍りついたように一点を見つめていた笹倉さん


彼は私の背後に何を見たのだろう

余韻も懐古もなく
不自然なほどすっぱりと終わってしまったのは

目的を果たせない何かの状況が
私にあったからなのではないだろうか…


「ありっこないでしょ…」
気持ちの入らぬ独り言をつぶやき

痺れた足を伸ばそうとしたら
脇のビールが倒れました

ひとときウッドデッキを白く広がった泡は

やがて黒い染みに変わってゆきました

(続く)

季節は移り
涼風に蝉の声も聞こえなくなり
私の生活環境も大きく変わりました

笹倉さんが去り
アサさんが去り

私はひとつ自分に残された職場で
黙々と仕事をこなしました

週の何日かは残業で
夕食は外ですませる日も増えました

時に職場の同僚や上司の男性が食事に誘ってくれる事もありましたが
口実を作っては避けていました

悲しいことに
私は他人と談笑しながら食事をとるということが
苦痛とも言える恐怖なのでした

気のきいた会話
オヤっと思わせるひらめき
時には辛辣な批判

とにかくそういったウィットや人としての魅力を持ち合わせていない私は

他人とリラックスして食事の時間を共有する事ができませんでした
きっと相手に失望の色を見る事が怖かったのです

そうして私は
すっかりひとりきりで
ふた月あまりを過ごしました



例の殺人事件は未解決のまま
世間の興味も醒めつつありました

ただひとり私だけは
その事件に心を捕らわれたまま
戸締まりが万全な事を確かめてまどろんでも

林の木の葉を踏みしめる足音が自分に近づいてくる幻影に心臓がぎゅっとちぢむ思いで目を覚まし

安眠を許されずにすごしていました

これまでの
新聞やニュース報道で知ったところによると

殺害されたのは
静岡県から上京して十年あまりひとりぐらしだったOL
入澤さつきさん(36歳)と

離婚後この街のワンルームマンションで暮らしていたアルバイト店員
金子希美さん(32歳)


どちらも近親者との付き合いも交友関係もうすく

無断欠勤をいぶかった職場からの通報で行方不明であることが確認されたのでした

ほとんど抵抗したあとがない事から
くぬぎ山までは自力でたどりついたと考えられていました

つまりは顔見知りの何者かと同行し
殺害場所に向かったということでした

私が対面した遺体は入澤さつきさん

世の中に自分の存在をアピールする事もなく
自分の居場所でひっそりといきづいていた彼女を思い浮かべました

上手な生き方ではなくても
大切な時間やお気に入りの場所があり
新しい朝を迎えるたびに
今日起こるかもしれない素敵な出来事を思ってワクワクし

些細な事で傷つき泣く夜をすごす

さつきさんは悪意の罠にはまったもうひとりの私でした

くぬぎ山に花をたむけたい思いが募りましたが
もう一度あの場所に立つ勇気が私には持てませんでした



10月後半の小春日和のある日
残業が続いたあとの私は
久々の休日を日が高くなるまでベッドでダラダラと過ごしました

午後になり
空腹に負けて下に降りて冷蔵庫を探りましたが
気のきいた食糧は何も見つからず
唯一たっぷり貯えてある缶ビールを二本掴んで庭に出ました

小さなウッドデッキにあぐらをかいて一本目のビールに口をつけたところでギョッとしました

例の小滝という刑事が生首のように門から顔を突き出し
こちらを見ていたのです

「何なんですか!」
怒りを込めて私は叫びました

意外にも彼は驚きたじろいで
「何というか…
いや申し訳ない
ご無事で良かった」

ともじもじ赤面しながら謝罪したのでした

(続く)