眠い 眠い

闇に溶け込むように

私の魂は懐かしい場所へと
いざなわれて

今日の諍いも
自分の立ち位置も
あんなにこだわっていたはずの出来事すら
全て手放し

無重力の深海に沈んでいく


魂にたずなをとられていた
私の肉体は

飼い葉を煩で
傷んだ手足を静かに伸ばす


さようなら
今日の私


抱えているすべての事象は


この深い闇から
再び戻れた明日の私に
そっくり委ねて


今宵はここまで


おやすみなさい

校舎をぬけて
ぼくはようやく校庭に出た

人々のざわめきと強烈な日差し
僕は何故か
父さんと最期に行った海を思い出していた

父さんは
「お前の僕はねって話し方が大好きだ」って言った

そしてぼくの乗った浮き輪を引っ張って
はるか沖のテトラポットまで連れて行ってくれた

誰もいないテトラポットの上で目をつぶって波の音をきいた

耳の中で風が鳴って
僕は父さんも幸せなんだと感じた


思いがけない事だけど
運動会の人混みは
僕を安心させてくれた


夏樹は、ちゃんといた

本部のテントの下に立って
プログラムを見ながら
先生の話を聞いていた

通り過ぎる僕を見つけて
一瞬、口元だけで笑った


一年生が
ダンスの準備で入場門に並んでいた
「かんちゃーん」
弟分のカズマが
僕に向かって黄色い旗を降ってみせた

僕は椅子を持ったまま肘を上げて答えた

「しっかりやれよ!
僕が見てるから」
届かないけど
カズマに呼びかけた


「みんなしっかりやれ
僕はここにいる!」

溢れ出してくるきもちを抑えられなくて
僕はズカズカ歩いた

「みんな元気でいろ
必ず生きていろ!」
僕は走り出した

… … … … … … …

五年生の徒競走が始まった時

夏樹がスッと僕の隣に寄ってきて言った

「スタートしたら手足を限界まで振るんだよ
あとは加速に乗って…
うちができることは
かんちゃんにもできるんだよ」
僕は、黙って頷いた


ブランコも
縄跳びも
跳び箱も


夏樹がこう言えば
必ず出来るようになったから


ゴーっと鳴る風の音


「位置について」


もっと高く
うんと低く


「ヨーイ」


オレンジ色の光に向かって



バ~ン!


僕は、スタートを切った


(終わり)
僕にはその子が生きてる人間じゃない事がわかった

淡い光の粒子が集まった様に
その子の体は透けて見えた

じっと僕を見つめる目が暗く
喋らないのにその子の思いが
一気に僕の心を占領した


「学校には
もう来ない
みんなも私が来なければいいと思ってる」


その子は
重そうな赤いランドセルを
苦労して下ろすと
膝の上にのせて
国語の教科書を取りだした

そして
僕に差し出した


予想はしていたけど

教科書の表紙に黒い太マジックで
(デブ!死ね!ブス!)となぐり書きしてあって
表紙の絵の手をつないだ親子の顔も乱暴に塗り潰されていた

教科書を脇に置いて
次にその子は筆箱を出した

僕はもう充分って気持ちだったけど
女の子はピンクの筆箱を
僕に差し出した

筆箱の蓋は尖った何かで
ビリビリと破かれていた

赤青えんぴつも
エルモの絵のついた5本のえんぴつも
折られてギザギザにささくれてその一本で、消しゴムが突き刺されていた

飽き飽きするくらい
何度も何度も
見せられてきたやり方だ

持ち物を汚して
この子を汚す

持ち物を壊して
この子を壊す

(大切に使っていたんだよ)

女の子の気持ちが僕の心を満たした

(わかってるよ
悲しかったね)


ぷっくりとした手で筆箱を見せながら
女の子は自分を恥ずかしいと思っていた

(わたしがこんな風だから…)
コンナフウってどんな風?

まわりの子と違うって事?

違うって事は、こんな目にあってもしょうがないって事?

違うよ

絶対違う!


座っているうちに僕の呼吸は
楽になってきた

座り直して僕は女の子に呟いた
(あのさ)
(オオカミがやったんだよ…)
(人間じゃないよ
こんな真似)

たまたまターゲットになっちゃったんだよ

奴らは
一度狙いを定めると
あとはひたすら攻撃し続ける
理由なんて忘れちゃうし
自分じゃ止められない

君が傷ついて壊れちゃうまで
自分じゃ止められないんだよ

だから、自分を守るんだよ
すばしっこく逃げるんだよ
ひとりじゃなく
誰かと一緒にいるんだよ


僕が話している間に
女の子はゆっくり立ち上がり
僕の両肩に手をのせた

飛び上がるくらいに
急に体中が寒くなり
肩のあたりは冷たさで
痛みを感じた


(あたしすばしっこくなんか逃げられない

一緒にいてくれる子なんかいない

だから

壊れてしまったの

ジブンノマモリカタナンカ
ワカラナイ…)

最後の方は、低い唸りの様な声だった

身動きできない僕に
覆い被さりそうな女の子の目が
ビー玉のような薄青に変わった

そして
粒子が分解するように
女の子の映像は分解した



ラジオのスイッチが入ったみたいに
外の歓声が響き

僕はつられて立ち上がり

椅子を持ち上げた

体はもとに戻っていた

階段を降りる前に
一度だけ振り返って

「何にもしてあげられなくて
ごめんね」

と廊下に向かって声をかけた。

(続く)