予期せず
私は涙がこぼれそうになりました
意識しなくとも
噂を聞いての訪問は
私の心を緊張させていたのでした

私の良く知っているアサさんの声は何より私を安堵させてくれました

アサさんは
庭仕事の最中だったのか
はめていた白い軍手を脱ぐと
その中指あたりをふたつ揃えてパンパンっとはたき
それをくるりと中折りにしながらニコニコと門の前までやってきて
少し灰色がかった瞳で私をちゃんと見据えて言いました
「お仕事忙しいのね?
少し痩せたんじゃない?」

私は玄関先で手渡して帰ろうと思っていた手土産を差し出すと
「アサさんとお茶が飲みたくて来ちゃいました」と口走っていました

アサさんは、手籠を受け取り、少女のように片目でラッピングの隙間を覗きこみ
「まあ!初物ね」と悪戯っぽく言うと、木戸を開け私を中に入れてくれました

ふと足元を見ると
アサさんはいつだったかに私が自分用と一緒に買ってきた
ベージュのクロックスを履いているのに気づきました
(いつも素足に同じサンダル履きで…)
なるほど!

通されたキッチンで
お皿やお鍋やカップの佇まいから
私にはアサさんがしっかりと毎日の生活を送っている事が見てとれました

これ以上の詮索は必要なし

私は判断をくだし
アサさんとの久々のお茶を楽しむ事にしました

私はザルでさくらんぼを洗い
隣でアサさんはティーポットで桃のアイスティーを入れてくれました

マリービスケットをお皿に盛ると
そのままキッチンテーブルでお茶がはじまりました

アサさんは私の近況を聞きたがりましたが
特に話せるような事が見つからなかったので
私は聞き役に回りました

アサさんは庭の百日紅の花が
年々紅さを増している事や
紫陽花の花芽を間違えて切ってしまったので、来年は期待できない事
軽トラックで月曜日と金曜日にやってくる移動八百屋さんのお米が、思った以上においしかった事
新しい水道局の検針員さんはとても感じが良くみえる事…

誰かと暮らしていれば、その時々に話して手放す出来事を
一人暮らしだと
ずいぶんため込んだりしてしまうものなので
今日はアサさんの独り言の袋が空になるまで
私は耳を傾けるつもりでした
(続く)
キッチンの出窓に置いた
少し遅れ気味のねじ巻時計が
10時になるのを見届けて
私は昨日用意した紅茶の包みを手に家を出ました

着るものに少し悩みましたが
いろいろな場合を想定して
生成でノーカラーの七分のブラウスに
アーモンド色のクロップドパンツに落ち着きました


アサさんの家は、棟ごと半階ほど高くなっていて
周囲は、竹垣を模した塀で囲われているので
隣のこの家からも中の様子を知る事はできません

自分の家の玄関を出て、くるりと半周
アサさんの家の玄関に着きました

インターホンはなんとなく嫌で
私は門の木戸を少し開け
「アサさーん、わたしですー」と呼びかけました

長いお散歩に出かけていれば
お留守の確率大と思っていましたが
意外にもすぐに庭の奥から返事がありました

「あら!輪ちゃんね」
すぐにアサさんの朗らかな顔が近づいて来ました

(続く)
水曜日

私は6時前には起きていて
今日のアサさんへの訪問を考えていました

アサさんは着た切り雀で
何かを拾い集めている
という橘さんの話から
私の連想はゴミ屋敷に繋がりました
私の知っているアサさんは
それには全然似つかわしくなくその話を鵜呑みにはできない私がいました

でも

一番最近アサさんを見たのがいつか思いだそうとしましたが
それもできませんでした

お隣の様子が全くわからないなんて
我ながら冷たい話だと思いました

10時になったら訪ねよう

とにかく、会って
そのあとに考えようと決めました

アフタヌーンティーで買った
特大のカップに
濃いインスタントコーヒーと豆乳を入れてカフェオレを作ると
クロックスをつっかけ
小さな庭に出ました

まだ消えない朝霧に隠れて
私は休日の朝のひとときをくつろぐ事にしました

一人掛けの椅子に座ると
庭の西側に去年球根で植えたカサブランカの
大きな白い花の際立った香りに気づきました


この香りのするどこかで
何か心躍る出来事があった気がしましたが
思い出せませんでした

小さなトゲにおおわれて赤い実をつけた木イチゴの葉にはカマキリの赤ちゃんが首を傾げていました

足元には
アサさんの庭から移植した竜の髭がふっくらと茂り
その葉陰にトカゲの卵が4つならんでいました

思いつきと自己満足で気ままに作った小さい庭にも
今では沢山の住民が暮らしているのでした

そして住民一号の私にとっても
この庭が唯一の寄りどころなのでした

彼らと私の距離感は常に心地よく
壊れる事のない関係に思えました

なぜ人との付き合いも
こんな風にできないのだろうかと思ってしまう私は
人としての落伍者でした

カフェオレを飲み終える頃
湿気を帯びた空気は払われ
日差しが強く庭に射し始めたので
私は密やかに部屋に引っ込みました

(続く)