アサさんは悲しみに満ちた目で私をじっと見ました

木立がザザッと鳴って
湿った風が
アサさんの髪を好き勝手に乱しました

燃料が切れてしまった様に
アサさんはげっそりして見えました

足元に目を落とし
泣きそうな声でつぶやきました
「自分ではしっかりやっているつもりでいたけれど
周りから見たら
おかしな人に映っているのでしょうね」

ここでアサさんを拗ねさせる訳にはいきません

私は言葉を選びながら頼みました

「アサさん
電話で呼び出され
こんな状態見せられたら
誰だって混乱するでしょ

私が理解できるように
説明してくれるかな」


アサさんは私に
おいでおいでをして
遺体のそばにもう一度しゃがみこみました

「女性ね
恐ろしい目にあったのでしょうね
可哀想に

私は沢山人の死を見てきたから
この姿を見ても
怖いとは思わないの

人は亡くなればみんな傷んでこうなるの
私も
輪ちゃんだって…

だから輪ちゃん
怖がらないで

怖いのはこの人じゃないの
怖いのは
人をこんな風にした
人の姿をした何者かよ」

アサさんの言う通りだと思いました

私はかたく目を閉じ
心を満たした恐怖を追い出すために
無理やり口角をキュッとあげ
両肩をくるくるとまわしました

(この仕業はアサさんじゃない)

少なくともそれだけはわかりました

その事がわかっただけで
私のパニックはスッとひいていきました

次にすべき事は何か

通報

私はアサさんに言いました

「アサさんはこの人を発見したのよね

そのいきさつは後でゆっくり聞くからね

その前に
少しでも早くおまわりさんにきてもらって
この人をここから出してもらいましょうね」

アサさんはコクンと頷きました
私は五歳の少女の母になった心境でした

携帯で警察に連絡を入れ

遺体に合掌してから
林道を下って看板付近にもどり警察を待つことにしました

暗がりに目が慣れ
最後に遺体をもう一度よく見ると
ビニールの中の顔は
酸素を求める金魚の様に
目と口をぽっかりと開けている事がわかりました

(続く)
タクシーの中から
アサさんに電話をかけ直しました

「アサさん
もうタクシーに乗ったから
少しだけ待っていてね」

アサさんは不安そうでもなく

「はいはい
看板のところね」
とこたえました

この時間は道もすいていて

ほどなくキャンプ場の看板付近に到着しました

アサさんはバスを待つ子供の様に、看板の柱にしっかりと掴まっていて
私を見つけ手をあげました

料金を払うのももどかしく
タクシーを降りると

矢継ぎ早に質問したい私の気持ちをわかりきっているとばかりに

アサさんは手のひらで私を制しました

きれいな灰色の瞳をきらきらさせて
「少し傷んでしまっているけれど驚いてはダメよ」
といいました

私は胸がドキドキと早打ちしましたが
黙ってうんとうなずきました

アサさんは引いていたショッピングバックをまさぐって
中から虫除けスプレーを取り出すと
シューシューとわたしの腕や
首筋にかけました

看板の先はキャンプ場へ続く
1キロほどの林道でした

「少し登るけれど、輪ちゃん大丈夫かしら」

82歳のアサさんが私に言いました

「それは大丈夫だけど何?何があるの?」

私の心は得体のしれない恐怖で満たされていました

アサさんは真顔で「行くわよ」と言うと
車輪付きショッピングバックを看板に立てかけ

すたすたと林道に入っていきました

「待ってアサさん」

わたしも慌てて後を追いかけました

ぽつりぽつりとある外灯の灯りだけをたよりに
林の中の道をすすんでいきました
時折ザワッと湿った風が木立を揺らし
プーンという耳障りな蚊の羽音が耳元できこえました

夜行性の動物の様にアサさんは元気に進んで行きました

白い髪と同じ様な色のワンピース
少し丸くなった背中を追って
私も進んでいきました


まもなく
私の嗅覚が
不吉な臭いをキャッチしました
嗅いだ事のない臭いなのに
私の本能がその正体を感じ取っていました

「アサさん帰ろう」
私は弱々しく懇願しました

アサさんは「もう少し」
と言うと

林道が大きく左へ曲がるあたりで
一度止まってキョロキョロすると
みちを逸れて木立の間に入っていきました

人の手の入った木立を行くのはそれほど大変ではなかったけれど
それでも
外灯からはずれて
林の中は奥に行くほど暗く

おまけに天然の腐葉土のふわふわとした感触が
私の平衡感覚を狂わせ
何度もつまづきそうになりました

突然アサさんがぴたりと止まりました

アサさんは的確にその臭いの根源に行き着いていました

アサさんのものらしきハンカチが
小さなシャベルを重石にして
かけられたその場所で

アサさんはしゃがみこんで
手のひらですくうように柔らかな腐葉土を払ってゆきました



最初に見えたのはビニール袋

アサさんが丁寧に払ううちに
それが人の顔をつつんでいることがわかりました

そこをてがかりに
アサさんは
肩、腕、縛られた手首をあきらかにしてゆきました


私は自分の頭皮がキュッと引っ張られ
膝がわなわなと揺れているのを感じました

「アサさんどうして?」
声にもならない甲高い声が喉を振り絞ると出てきました

「アサさん何?
これ何?アサさんなにしてるの?」
私はヒステリックに叫びました

アサさんは私を見上げて
近くの木につかまりながら
立ち上がりました

私は反射的に一歩うしろへ退きました

(続く)
白い木綿に
藍で染め抜いた桔梗が一輪
私の前を歩いています

鼈甲のかんざしを挿した
その白いうなじを追いかけていました

私は初めて履いた草履の鼻緒が合わなくて
指の間にできたマメの痛みと戦いながら
人混みを掻き分けて進みました

露天が道の両脇にずらりと並び
赤紫や群青のあさがおの花は
小さな打ち上げ花火が
一斉にひらいたようで

私の心を魅了しました

けれども

藍の桔梗の後ろ姿は

私が花を見られるように
歩調を緩めることも

私を気にして
振り返ることもせず

私から遠ざかっていきました

「待って」

「お母さん待って」

走ろうとしたとたん
つまづいて転びました

スイカの柄の浴衣が少し破れ
膝から血がにじみました

私は
母を見失い
母をあきらめました

これは夢の中

そう
夢の中にいることがわかっていました

わかっていながら

夢の中の10歳の私は

また今日も泣きました

涙が顎からポタポタと
地面に染みをつけていきました
朝顔みたいだ…
10歳の私は思いました


ひょいと誰かが
脇の下に手をいれてわたしを
起きあがらせました

しかめっ面で振り返ると

担任の小野寺先生が出席簿を持って立っていて
まるで避難訓練の様に

「グズグズ泣いてないで
早く神社に隠れなさい!」

と叫びながら私の背中を促しました

「まっすぐ
鳥居を
くぐって…」

先生の声が奇妙にくぐもって

ガクンと肩が下がり
動かなくなりました

みるみる

間近にある先生の顔が
赤黒く膨れ上がり

ボロンと目玉を落とすと

とろけはじめました


めくれあがった唇のふちから
ジージー
ジージーと不快な音がもれて…



携帯のバイブレーターが
うたた寝したソファーのクッションの下で
鳴っていました

慌てて飛び起きて
手を突っ込んで携帯を取り出してみると

発信者はアサさんでした

「もしもし」

電話を繋ぎながら壁の時計で
時間を確かめました

夜の10時を少し回ったところでした

「もしもし‥どうしたの?」

風か車通りが激しい場所なのか
アサさんの声はとても聞きづらいものでした

「したに…っていたら…がしたものだから
どうしましょう」

「アサさん
どこにいるの?」
私は大きな声でゆっくりとたずねました

「くぬぎ山キャンプ場の入り口の看板」
アサさんは一度で私の意図を理解して
ゆっくりと大きな声で答えました

「アサさんは無事?」

「はい」

「私が行くまで待てる?」

アサさんは朗らかに

「はいはい待てます」
と答えました


一旦電話を切って
タクシーを呼びました

とりあえず髪を結んで
ジーンズをはきながら

ここから10キロはあるくぬぎ山キャンプ場まで
アサさんが国道沿いをてくてく歩いて行くところを想像しました
「何故?」がたくさん浮かびましたが

それはあとにして
タクシーに乗り込みました

まずは私に連絡をくれた事で
少し気持ちが救われていました


タクシーの中で奇妙な夢を思い返しました

担任の小野寺先生…

誰?

生々しく壊れていったあの女性に
見覚えは全くありませんでした


(続く)