ヒグラシが鳴きはじめた夕暮れ時
二人で庭の水まきをしていると
かたんと木戸が開き
私たちを送ってくれた刑事さんが顔をのぞかせました

玄関には回らず
ひょいひょいと庭の飛び石を踏んで
縁側にストンと腰掛けました

アサさんは
抜け目なくボンヤリとしたお年寄りに戻り
私はせかせかと麦茶をだしました

「おかまいなく」
と毛深い手で麦茶を啜って

何気ない風に
「ここのサルスベリも見事なもんですね~」
と見上げました

気まずいような間をわざと作ったあと

「昨日おばあちゃん言ってたでしょ
サルスベリって

どうも気になりましてね

林のサルスベリの下をかたっぱしに掘ってみたんですよ」

私もアサさんも
ただ黙っていました

「出ちゃいましたよ別の一体」
「少なくとも
二年は経過していましてね
ほぼ白骨化して
野犬に食べられた形跡もありましたが
犯行の手口は一緒ですね」

私達は沈黙を保ちました

「ふたりとも三十代前半
女性」
そこで私をチラリ

「まだ身元は確定しませんが
あの林まで連れてこられ
顔にビニール袋
テープでくびの根元をぐるぐる巻かれ
窒息死させられているのはわかってます」

「おばあちゃん
よくお散歩してたらしいけど
あのあたり臭ったでしょ?
何か気づいた事はありません?」

刑事さんは
職業柄身につけたうたぐりぶかそうな表情の上に薄い笑顔をうかべ
訊いてきました

アサさんは口をすぼめ
「さぁ」と
小首をかしげました

刑事さんは答えなど求めてないとばかりに
すくっと立ちあがり

「まぁ何か気づいた事がありましたら連絡ください」
とこの間もくれた「小滝」という名前の入った名刺を私に差し出し

子供の様に飛び石を片足でケンケンすると

「どうも」と手を挙げ
木戸から出ていきました

「私と同じ年頃」

アサさんは無言で麦茶をかたずけていました


その晩
二人で布団に入ってから
私はとうとう心に引っかかったいくつかの事をアサさんに確かめる事にしました

「アサさん
私にしきりにサルスベリの話をしていた日
アサさんは埋もれた遺体のこと私に伝えたかったのね?

私が帰るのをあんなに留めたのはそのせいでしょ?」

アサさんは眠ってしまった様にしずかでした

「ここしばらく
シャベルを持ってお散歩していたでしょ?
アサさんはあの亡くなった人たちと何か関係があるの?」

「いいえ!全く知らない人たちよ!」
耐えきれず震え声で答えた
アサさんは
小さなため息をつくと

「小さな探し物をしていただけなのよ」

「でもこれが私の役目だったとわかったから」

「アサさん私わからない」

「これから話す物語を
おしまいまで黙って聞いてほしい
私の記憶は日に日におぼろになってきているから
輪ちゃんに聞いてもらえるのも何かの縁かもしれない」


私は黙って聞くと約束しました
そして
アサさんの密かな打ち明け話が始まりました

(続く)

期せずして訪れた休暇は
その後私の記憶に深く刻まれる事になりました

朝炊けたご飯から立ち上る湯気の香り

お味噌汁にはわかめと花のかたちの麩が浮かんでいました

窓の向こうには入道雲が浮かんで
今日も暑くなるぞと
踏ん張っているようでした

私には縁がないと思っていた
「夏休みの帰省」を
お隣で体験させてもらっていると感じていました


朝ご飯を食べながら
胸にしまっていた会社の話をしました

自分なりに頑張って
小さな役職がつくことになった事

直上の女上司がそれ以来
針の穴をつつくように
ダメ出しをしてくるようになった事

休暇の電話をいれたら
「もう来なくても大丈夫」と言われた事

「このまま辞めてしまおうかと思っているの」

アサさんは卵焼きを箸で切り
大根おろしをのせながら
黙って話を聴いていましたが

突然コロコロと笑い出しました

「思いだしたわ
観察日記
主人がやっていたの

会社で苦手な人を観察しては
マメにつけていたわ

大学ノートの真ん中にこう線をひくでしょ
左側にその人のことば
右側にその人の行動」

正直なひとほど
言葉が少なく行動とのブレが
あまりない
だけれど
必要以上にしゃべる人
意地悪の為に怒る人は
言葉と行動が一致しないって

それを付け続けているとね
心が見えてくるって

その人が何を嫌がっているのか何を恐れているのか…」

アサさんは箸を置いて
お茶を一口飲みました
そしてきれいな灰色の目で私を見つめ言いました

「会社を辞めてもいいでしょう
でも今じゃない
辞めるのは会社からの評価を自分のものにしてからよ
今辞めてはダメ
ただの逃げ道になってしまうから」

そして
私の大好きないたずらっ子の表情を浮かべ

「敵は輪ちゃんの手のひらの上を転がってる
もう一息よ!」
と微笑みました

ああそうなのか
何だそうだったのか

あんなに苦しかった仕事場の日々が
すっと霧が晴れるように
見通せた気がしました

母と子はこんな風に日々の出来事を語り
生きてゆく智恵を受け継いでゆくものなのかと思いました
アサさんはシャキンと背筋が伸びた頼りがいのある母親だったろうと想像しました

心の底にあの遺体の
重暗い体験を引きずったまま

けれど
その事が二人のつながりを
強くしていたのだと思います

二人ともじっとしていられず
少し高めのテンションを保ち続けていました
赤色灯が
非日常を際だたせていました

亡くなった人は
自分の遺体が発見される事を
喜んでいるものだろうか…

そんな事を考えながら
警察官のやりとりをぼんやり
ながめていました

アサさんは
したたかにも
“お歳のせいで少しボンヤリしてしまった女性”
になりきる事で

警察の聴取を早く切り上げる
作戦を敢行してました

「発見したのはおばあちゃんね」の問いに
「はいそのようで」

「あんな所まで何しに言った?」の問いに

「はい腐葉土をいただきに」と答え
「あんな時間に?
との問いに
「涼しくなってからとおもいまして」と涼しい顔で答えました
そして
「こまかい事柄は忘れる前に
この方に言いましたので
お聞きください」

私に丸投げしました

そのための私だったか

と気づき
私もアサさんの書いた脚本に乗り
お隣に住んでいる
ちょっと徘徊気味の
アサさんのお世話係
という設定で
呼び出されてから遺体発見までの話をしました

アサさんのショッピングバックに入っていた
虫除けスプレー
シャベル
レジ袋という持ち物や
アサさんの年齢から
警察もアサさんに疑いをかける気はなさそうでした

アサさんの年齢も気遣って
その日の聴取は早めに切り上げられ
私たちは刑事さんの車で
自宅前まで送られました

さすがのアサさんも
ぐったりで
車内ではじっと目を閉じていました

私も異常な緊張が解け
ひどい疲れで椅子に座っている事すら難儀になってきました

それまで意識になかった
林の中の異様な臭いが
薄い膜になって体中に付いていて口の中や鼻の穴まで臭っているようで
家に入り一刻も早くシャワーを浴びたいと思いました

アサさんの自宅前で
車は静かに止まりハザードをつけた刑事さんが
「着きましたよ
お疲れさま」
と運転席からふりむきました

わたしは先に降り
アサさんに手を延べました
それを見ながら
刑事さんが何気ない風に

「おばあちゃん
教えてくれるかなぁ
あそこの場所掘ったのは
何か理由があった訳?」
と尋ね

アサさんは
「はい
百日紅が紅く咲いてましたので」と答え
会釈をして車を降りました


車が行ってしまうと

アサさんは
「今日は本当に申し訳ないです
色々話す事もあるけれど
とりあえずは体を休めましょうね」と言って
階段に足をかけました

つい今までの自分の家に帰りたくてしょうがなかったはずが

突然
一人家に入る恐怖に襲われました

「アサさん
お願い!今夜泊めて」
と言葉が先に出ていました

アサさんは
その言葉を予期していたみたいに
にっこり笑うと
「下の和室にお布団並べてねましょうか」
と言ってくれました


そんな事情で
私たちは
順番にお風呂に入り
アサさんのパジャマを着て
三時過ぎに
話もしないまま
深い深い眠りにおちてゆきました


翌朝

私はとりあえず会社に電話を入れました
「身内に不幸がありまして
二、三日お休みさせてください」と

電話をとった年下の女性の上司は
鼻で笑うように
「ああそうですか
二、三日といわず一週間くらい休んだらどうかしら?
なんならもう来なくっても
こっちは心配ないから」と
おっしゃいました

私は
「ご親切にありがとうございます」と電話を切りました
悪いけれど私の興味は

会社の細々とした意地悪や
足の引っ張り合いとは
別の世界に飛んでいました


結局その日から4日間
私はアサさんの家ですごしてしまいました

(続く)