なんとしても自分の運命を変えなければならない私は、ナポレオン・ヒル博士をはじめ、マーフィー博士やユング博士、カーネギー博士、アインシュタイン博士、インド思想、量子力学、瞑想の本を必死に読みあさりました。
実力や特別な才能を持たない私が、すがる方法はそれしか思いつかなかったからです。
この法則を使って最初に実現したいと考えたことは、好きな飛行機に乗り、世界中をタダで観て回れる海外添乗員になる夢を叶えることでした。
しかし、それまでの私は、海外へ行った経験は一度もなく、
まして英語なんてまともに話すことができないという有り様でした。
なんとか、添乗員の仕事に就くことはできたものの、仕事は国内のバスツアーや、北海道、沖縄へのアルバイト添乗員という有様だったのです。
添乗員になって、周りを見て現実を知れば、英語だけでなく、フランス語やドイツ語を話せる添乗員が多数おり、海外を飛びまわるなんて夢物語であることがハッキリと理解できました。
30歳で、英語もまともに話せない私に、海外添乗のチャンスが巡ってくるはずなどありません。
しかし、あきらめられない私は、「運命を変える力の法則」を実行することにしたのです。
先ず、私の人生で初めてとなるパスポートを取得し、憧れのパリ・ロンドン・ローマなどの海外旅行のパンフレットを集めました。
これを使って、自分が海外添乗員として、世界中を飛びまわっているイメージを心の中に植えつけ、祈り念じたのです。
しかし、現実は、毎日、アルバイト添乗員として、国内を駆けずり回っていました。
ところが、運命を変える力のトレーニングを始めて3ヶ月がたった頃、不思議な出会いが突然訪れたのです。
それは、小さな添乗員派遣会社の社長と、偶然、知り合ったことから始まります。
彼に海外添乗の仕事を希望しているが、現在の大手旅行会社では、経験者が多数在籍しているので、実現しそうにないという話をしたのです。
この出会いから、わずか1週間後、この社長から、ヨーロッパ視察ツアーの仕事を紹介されました。
その仕事は、青森県六ヶ所村に原子力の核燃料再処理工場を建設するため、当時の通産省が主催した、イギリスのセラフィールドとフランスのコジェマへ原子力再処理工場の視察ツアーでした。
非常に高度な知識が必要な視察ツアーなので、海外添乗の経験がない私は、何度も断ろうと考えました。
しかし、この社長から、ロンドン到着時から最終日のパリまで、通訳が付くから簡単だという説明があり、仕事を受けることにしたのです。
ところが、出発前日、この視察ツアーを通産省から委託されていた東急観光の担当者と青森で打ち合わせをしている最中に、社長にだまされていたことがわかったのです。
なんと、この小さな派遣会社の社長は、東急観光には、私のことを、ヨーロッパ専門で、10年以上経験のあるベテランだと説明して仕事をとってきていたのです。
担当者に詳細を確認すると、簡単などころか、通訳は原子力の再処理工場だけに同行し、それ以外のパリやロンドンでの日程は、すべて、私自身が行なわなければならないと聞いた瞬間、足は震えだし、頭の中は真っ白になり、何も考えられなくなってしまいました。
内心、担当者にヨーロッパの経験はないと、白状して帰ろうかと悩みましたが、
初めて憧れのヨーロッパへ行くことができる魅力と、この先、私の人生で体験できるかどうかわからない往復JALのビジネスクラスに搭乗できるという魅力に負け、翌日の出発を決意したのです。
ところが、不安だらけだったこの原子力視察の仕事が成功したことにより、念願の企業視察専門の海外添乗員になり、独立までの5年間、夢にまでみた世界中を飛びまわることができ、さらに億万長者になるチャンスにめぐり合えたのですから、運命とは不思議なものです。