朝、散歩中に近所の幼稚園の前を通りますと、園児たちと先生が「ドンドンパン、
ドンドンパン」のリズムで手拍子をしてまして。
そうなると思わず口ずさみますよね。
~ウイーウイルウイーウイルロッキュウ!♪
園児のリズムでクイーン歌えるなんて、最高でした。笑
さて、
ひとはなぜ「心配する」のか。それは、自分がその(想像の)状況になって、
悲しんだり辛かったり苦しむのがイヤだから。
全部、妄想なんですけどねw
「誰かを心配する」のもそう。だれかが、その想像の状況になったとき「自分が」
悲しんだり辛かったり苦しむのがイヤだから。
いやこれも、全部妄想なんですけどw
つまり「誰かを心配する」という意識を深く掘ってみると、結局自分の事なんですよ。
これまでは「誰かを心配するのは思いやりだ、優しさだ」という常識でしたが、
とんでもない。
根本は「自分が辛くなりたくないから」、の発信だったわけです。
宇宙からすると、たとえば
「子どもが事故に遭わないか心配だ」
という発言からは、
「子ども」「事故」
という思考だけが拾われます。つまり、
そんな心配すればするほど、宇宙は「子ども」と「事故」を結びつけて、その
ひとに現実化するわけです。
逆にどんな状況であっても、
「うちの子は、大丈夫!」とこころから(←ここ重要)安心して信頼していれば、
宇宙は「子ども」「大丈夫」さらに「安心」「信頼」を結びつけて、そのひとに
現実化します。
ひと昔前、「もっと私を心配してよ!」みたいなことを聞いたこともありましたがw
これって「もっと私が酷い目に遭うように呪ってよ!」という意味だったんです。
まさに逆!
でもこれが、昭和・平成の「世の常識」みたいなものだったと思うんです。しかし
ただの「かまってちゃん全盛期」だったに過ぎませんw
そこから得られるコントラストな経験を求める時代だったからでしょうけど、もう
とうに時代は切り替わっちゃいましたし。
宇宙時代からすると、こういう意識も、すべて逆!となりますので、いつまでもこん
な意識で生きてると、そりゃあしんどいでしょうね。
でも知らずに周囲に呪いを振りまいている、というのはご勘弁いただきたい。
こちらの波動がそこそこ高ければ気にはならないのですが、いつもいつもだと、ああ、
またか・・・とも思いますしw
まあ、宇宙のセオリーからすると基本中の基本なわけですが
そのひとがいつか気付けるときがくれば良いのですが、目覚めないぞ!と決心して
る場合もありますので、
そういう方とは遠ざかる、あるいは今後はますます関わり合うのは最小限に、という
のが良いんでしょうね。とにかく、同調しないのが一番。
ああ、今日はかなり基本的なことを書きました^^
~ウイーウイルウイーウイルロックュウ!♪
今日もありがとうございます^^