つきつめて言えば、

自分が何であるかを知るためには、

自分ではないものと

対決しなければならない。

 

これが相対性の理論の目的であり、

すべての物質的な生命の目的だ。

自分自身を定義するのは、

自分ではないものによってなのだ。

 

さて、あなたがたがつきつめた自分を

知る、つまり

 

創造者としての自分を知る方法に

ついて話そう。

 

あなたがたは、実際に創造するまでは

創造者としての自分を体験することは

できない。

 

そして、自分自身を創らない

という体験があってはじめて、

自分を創ることができる。

 

「何かである」ためには、まず

「そうではない」ことを

体験する必要があるからだ。

 

 

 

もちろん、あなたがたには、

自分でなくなることなどできない。

 

あなたがたはもともと、

神の子供、「純粋な、創造的ないのち」

なのだから。

 

そこで、あなたがたは

次善の方法をとった。

自分がほんとうは何者であるかを

忘れたのだ。

 

物質的な宇宙に入ったとき、

あなたがたは記憶を捨てた。

忘れることで、たんに王国の城で

目覚めるのではなく、

自分が何者であるかを

選べるようになった。

 

あなたは神の一部であると

聞かされるのではなく、

神の一部としての生き方を

自分で選びとる。

 

そうすればすべての選択肢を

与えられたうえで、自らを

体験することができる。

 

すべての選択肢、それが神である。

ふぁが、選択肢のすべてであれば、

選択の余地はない。

あなたがたはどんなに努力しても

わたしの子供でなくなることは

できない。

 

だが、忘れることはできる。

 

したがって、地上での

あなたがたの仕事は、

自分が何者であるかを学ぶことではなく

(すでに知っているのだから)

思い出すことだ。

 

そして、ほかのみんなが、

何者であるかを思い出すことだ。

 

 

ニールドナルド・ウオルシュ

吉田利子訳(2001).

『神との対話』

(サンマーク出版)pp.68-69 

 

 

 

私の2つ目の大学生活で

この本が必修教科のテキストの1つ

だったんです。(専攻と何の関係も

なかったためものすごく驚いたあんぐり

 

 

まさかの初めての出会いが

こんなタイミングでした。

 

当時、いきなりこれを3冊

(普及版で3巻までテキストとして

 買うように言われていた)

読んで、当時はまだ「?」がいっぱい。

 

 

あまり頭に入ってこない感じがして

レポートに苦労した記憶があります。

 

自分の専攻と何の関係もない

本をいきなり読まされて、

レポート書いてきなさいと

言われたこの衝撃的な出会いから

18年!あんぐりが経ち、

 

 

ようやくこの本に自分が

追いついてきた気がします。

 

 

一時期カバンの中に入れて

持ち歩いていた時期があり、

雨に濡れたりして

もうしわっしわ笑。

 

付箋つけたり赤線引いたり

気になるところを

チェックしていました。

 

 

 

 

・・・愛とは感情ー

憎しみ、怒り、情欲、嫉妬、

羨望など・・・・

ないことではなく

あらゆる感情の総和だ。

あらゆるものの集合、すべてである。

 

魂が完璧な愛を経験するには、

「人間のあらゆる感情」を経験

しなければならない。

 

自分が理解できないことに、

共感できるだろうか?

 

自分が経験しなかったことについて

他人を許せるだろうか?

 

そう考えれば、

魂の旅がどんなに単純で、

しかもすごいものかがわかるだろう。

 

そこでようやく、

魂が何をめざしているかが

理解できるはずだ。

(同pp.181-182)

 

 

願いを叶えることもとても

楽しいし喜びがいっぱいです。

でもそれ自体が(最終)ゴールや

魂の目的ではなく、

 

叶える体験(これは通過)を通じて

何を学びとっていくかが、

我々の(魂の)真の

ゴールなのでしょう。

 

私が今一番伝えていきたいのも

この部分です。

 

 

 

いつもお読みくださり

ありがとうございます。

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