先日、

サロンの音声回答でお答えした

ご質問の1つが

とても興味深かったので

ブログにシェアし、さらに

解説を加えて書いてみます。

 

 

以前、ネガティな感情を

眺めるようにしたら

事態が好転したのですが、

その時のことを思うと

「感情をなくしていた」ように感じます。

「感情をながめる」とはやはり心がつらく、

生きてないような感覚がするものなので

しょうか?

 

(要約しています)

 


・・・・・・・・・

 

結論から先に書くと

自分が一体今どんなネガティブな

感情や思いのパターン(思考)

を持っているのか?


 

客観的に眺める練習をしていくと

 

今は、ただそうであるんだな、、、、

一切の反応や状態を

否定することなく

受け入れられるように

なっていきます。

 

 

なので最後は

私はただ愛であったのだ。

 

という感覚を思い出すので

 

生きてるだけでステキなことだ!

私はこれでいいんだな。

 

と、ただここ(地球)に在ること

だけで素晴らしいのだという

自分の本質の感覚(魂の感覚)を

思い出していきます。

 

 

しかし、

そこにたどり着くまでに

いったん「空虚な感じ」とか

「何も感じてない気がする」ような

感覚が出ることはあります。

 

 

これは通過すると次第に消えていき、

 

やがて、

ああ、私自身を全て

まんま感じることが

素晴らしいのだな〜

 

というあたたかい

愛の感覚に戻っていくので

 

何を感じても大丈夫と思って、

途中の空虚な

感覚でさえも「それでいい」と

眺めていたらいいです!

 

 

で!

 

ここまで書いた内容は

自分自身のネガ感情を眺める

ことに対しての話です。

 

 

自分以外の人のことを

客観視するようになったらどうなるか?

 

についても書いてみますと、

 

これはとても面白くて

 

自分以外の人が、

何かにとても強烈に怒りを

感じていたり、

ものすごい剣幕で誰かを責めていたり

(悪口や愚痴も含む)

するのを見たり聞いたりしたとき、

 

 

感情を眺めるということを

するまでは、

 

一緒になって自分も

そのエネルギーを感じてたり

(自分も一緒に腹をたてるとか

そうよね!と怒り劇場に入り込んで

同調するなど)

 

 

していたのが、

 

「ああ、この人は

 この体験をしたかったんだなー」

 

という反応に変わっていきます。

→これも愛よ。

 

 

自分以外の人の感情状態を

遠くから見る時は、

 

以前みたいに

一緒になって怒ったり

「そうよね!」などとも

同調できなくなって、

 

「ふむ、なるほど」と冷静に、



「そうか、、あの人は、あの体験を、、」

と、ある意味、


感情をなくすような

(もはや反応ができない自分)

感覚を感じるかもしれませんね真顔

 

 

感情を失ったのかしら?

感じる部分があるとしたら

これかもしれません看板持ち

 

 

 

さて、昨日は午後雨でしたけど

長期講座8期さんオフ会で

いちひめ神社に

参拝してきました。

昨今の状況で、現地に

来れなかったメンバーも魂参加飛び出すハート


繋がっている〜

 

 

いつもお読みくださり

ありがとうございます。

・・・・・・・・・・・

 

 

 

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