玉井義臣オヤジの志と手紙 | マスコミに取材される方法

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新聞社とTV局に21年。PR会社に1年。その経験でプレスリリースの発信とマスコミ登場をサポートします。


ブラジルに行きたかった

昔話を書きます。
僕は学生のころ、本当にデキが悪くて。
大学には一応、通っていたけれど、
「このままではどうにもならない」と、
自分で分かっちゃうほど劣等生でした。

ただ、まっしぐらな面があって、
ブラジルに一度行ってみたいというのが
小学生からの夢でした。

ある日、大学の掲示板に
「ブラジル研修留学生を募集」という
緑色のポスターが貼られていたのを後輩が見て、
「荒川さん、あのポスターを観ましたか?」
そう教えられたのが人生の転機。

その研修留学制度を創ったのが
玉井義臣(たまい・よしおみ)
私が「オヤジ」と呼ぶ人です。

認めてくれたから今がある

交通遺児や病気遺児、災害遺児のための
あしなが育英会といえば分かるでしょうか?
玉井さんは紆余曲折を経て育英会の会長です。

先日、玉井のオヤジから求められて上京しました。
いろいろアドバイスできる立場になったことが
自分でも不思議でした。

会長室で待たされたので自撮り。
コンサル後、飲食を共にしました。



オヤジは昔と変わらなかった。
少しは弱ったけれど、心は青年のようです。

「アフリカの遺児を救いたいんや」
「荒川、人のために生きるんやで」

そう言って目を輝かせていました。

学生だった私はなぜか
玉井さんに気に入られ、
ブラジル研修留学を果たしたのですが、
(果たしたといっても
 当時は欧米留学が主流で、
 南米留学なんて驚かれるだけで・・・)
そのブラジルで新聞記者になると志し、
帰国して本当に新聞記者になりました。

つまり、玉井のオヤジが「お前、おもしろい」と言ってくれなければ、
今の私は存在していません。

オヤジと出会ったのは23歳の時でしたから、
もう30年近くの付き合いです。

僕も志を持っているよ

僕は19歳で父親を亡くしていて、
玉井のオヤジは呼び方だけでなくて、
本当に父のような存在です。

新聞記者として入社が決まった時、
玉井のオヤジが喜んでくれて、
奥さんの病床まで連れてって
紹介してくれたのも忘れられない思い出です。
その昔話を先日、話したら
オヤジも涙を浮かべていた。

奥さん、星になっちゃったから。

オヤジから昨日、手紙を頂きました。
手紙の最後にこう書かれていました。

貴兄が築地で働き、明治に通っていた頃をよく思い出す。
いきがよくてよく僕の事を自慢してくれていたように思っています。
気が合うんだろうね。(原文のまま)

オヤジの志は奨学金で救った学生ばかりでなく、
一般の学生だった僕の中にも根付いているよ。

★★★
メディアコンサルタント・荒川岳志@札幌