浅田真央選手の引退について、グリーフケアの立場から | 動物や人間の健康など「しあわせな生き方」を考えるブログ@東京都調布市、筋膜リリース、メディセルミニ

動物や人間の健康など「しあわせな生き方」を考えるブログ@東京都調布市、筋膜リリース、メディセルミニ

動物や人間の健康など「しあわせな生き方」を考えるブログ。痛みやむくみなど身体の不調改善の対処療法ではなく根本解消を考えるサロンオーナーのブログ。東京都調布市で筋膜リリースを主体としたメディセルミニ・ハイブリットを使用したオイルケアをしています。

緊急速報で流れるほど

日本にとって希望だった

フィギュアスケート選手、浅田真央さん。

 

 

15歳、年齢制限で出られなかったトリノ。

 

 

その年は流行語にもなったが

イナバウアーが入った

とても美しい演技をした

荒川静香選手が金メダル。

 

 

そして4年後のバンクーバー。

 

その後、お母さまの死。

 

 

フィギュアスケートは

親が占める役割が

本当に大きいスポーツだと感じます。

 

 

あれだけ密接に彼女を支え

そしていなくなることを知っていた

お母さまのお気持ちを察すると

胸が苦しくなります。

 

 

その後の浅田選手を見ていると

自分が楽しむという試合ではなく

常にお母さまが傍らにいて

お母さまに

見せたい試合をなさっていました。

 

 

グリーフケアではよくあることで

愛する人を亡くし、

死を認めてはいるけれど

亡くなった人の存在を常に感じ

 

 

その人が生きているかのように

その人に認めてもらいたいと

行動するときがあります。

 

 

彼女はお母さまと

オリンピックで必ず金メダルを取る

そう約束をしていたと聞きます。

 

 

彼女にとってお母さまは

過去から現在に至るまで、最大の愛する人。

 

 

この密接さは通常の親子関係を

超えているのは間違いありません。

 

 

彼女自身を心配する周りの方たちは

スケートを離れた一時期、

 

 

外へ連れ出したり

やったことのないことを提案したり

たくさん話をしたそうです。

 

 

そういった周りの優しさを感じながらも

さらに自分を追い込んだのかもしれません。

 

 

お母さまは真央さんにとって

はじまりであり支えです。

 

 

今度は自分自身のための

楽しいスケートをしてほしいと

心から願ってやみません。

 

 

トップスケーターとして残した功績は

人々の記憶に残り励みになります。

 

 

感動をありがとう!

 

 

いまは、休息の時期。

自分の思うまま、直感で行動し

エネルギーをアップして

また銀盤での美しい演技を見せてください。

 

 

 

~浅田真央さんのブログから~引用

 

ご報告致します。

突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。

 

今まで、長くスケートが出来たのも、たくさんの事を乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います。

 

ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました。

 

復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。

 

そして、去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。

 

これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。

 

皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました。

 

浅田真央