最愛の人・・・大腸がんとの闘い、そして・・・ | 動物や人間の健康など「しあわせな生き方」を考えるブログ@東京都調布市、筋膜リリース、メディセルミニ

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動物や人間の健康など「しあわせな生き方」を考えるブログ。痛みやむくみなど身体の不調改善の対処療法ではなく根本解消を考えるサロンオーナーのブログ。東京都調布市で筋膜リリースを主体としたメディセルミニ・ハイブリットを使用したオイルケアをしています。

この記事は病気や死別のことに触れています。

 
2011年8月。
 
 
お盆直前のときに
「喘息かなぁ?咳が止まらない」と
夫に言われ、急に不安になり
休日診療を探し受診。
 
 
というのも、2000年に彼は
大腸がんを患っていたから。
 
 
その当時、血便や下痢があり本人は痔かな?
くらいの感覚のようだった。
 
 
その頃、格闘家のアンディ・フグが
白血病で亡くなり
あんなに強い人間でも
命は永遠ではないと思ったようで
すぐに受診を決めた。
 
 
近くの総合病院の泌尿器科に
本人のみ診察に出向いた。
 
 
その際、触診で
「あれ?腫瘍がありますね・・・。
大腸がんかもしれません。
詳しく検査しますか?」と、医師に言われ
予期せぬ結果に検査を拒否して帰宅。
 
 
わたし自身もあまりに突然のことで
アタマが真っ白になった。
 
 
このまま何もしなかったら
死んでしまうかもしれない!
 
 
がんに対して知識もあまりなかったので
思ったわたしはインターネットで
ひたすら検索をした。
 
 
大腸がんとは?
現在の症状から見た進行度は?
などを調べた。
 
 
そして内視鏡で腫瘍を取ることのできる
病院があることがわかり予約を入れた。
 
 
車で40分かからないところの
個人病院だったが検査機器が充実していて
予約から2日ほどで検査になった。
 
 
後日、子どもたちを近くに住んでいた
義母にあずけ検査結果を聞きに病院へ。
 
 
結果は大腸がん
しかもリンパ節付近にあるので
浸潤や、転移の可能性もあると。
 
 
できれば大きな病院で
見てもらったほうが良いということになり
国立がんセンター中央病院を紹介して
もらうことになった。
 
 
3番目の子どもが、お腹にいた時のことだった。
 
 
告知は2人で聞いたのだが、
あまりに突然で放心状態。
帰宅後、子どもを迎えに行く前に
2人で泣きはらしたのを覚えている。
 
 
その後、国立がんセンターで
詳しく検査をすることになった。
 
 
検査は1週間に1~2検査。
 
 
前日の夜の食事を抜く検査や
2リットルの電解質様の飲み物を飲み干し
内臓をキレイにしたあと、内視鏡で検査など。
 
 
正直、ダイエットでもしているのか?という
くらい過酷なスケジュールである。
 
 
それがほぼ1ヶ月。
 
 
食べてないのだからみるみる
痩せていったのは言うまでもない。
 
 
結果は大腸がんステージⅡB
 
 
リンパへの転移は見受けられないのと
現状の大きさだと取り切れるので
安心してほしいとの内容だったので
少しだけ安心した。
 
 
手術当日。
朝早くのバスに乗り移動。
 
 
術前の彼がベッドにいた。
彼は「取っちゃえば終わるから」と。
 
 
手術前の病室での処置を終えて
手術室へ向かった。
 
 
手術中、絶対に大丈夫!と
言い聞かせていたが
予定より時間が大幅に過ぎ
もしかするとリンパ節への転移が
他にもあったのだろうか?などと
余計なことばかりが頭をよぎった。
 
 
テレビモニターの手術終了の文字。
 
 
どうだったんだろうか?
問題なかったのだろうか?
 
 
そんなことがグルグルしているときに
担当医師に呼ばれ
手術自体はほぼ予定通りとの説明を受けた。
 
 
ただ、予想外だったのは
直腸のところに転移が認められたため
急きょ内容を変え切除したとのことだった。
(術中、万が一の可能性があった場合の
内容説明から同意書は提出済)
 
 
もうひとつ予定外だったのは
肛門の括約筋を予想よりも浸潤があり
切除しなくてはいけなかったこと。
 
 
そのことが今後QOL(生活の質)に
大きく影響していくことになる。
 
 
肛門の括約筋を切除する
しないに関係なくストーマを一時的に
付けることは決定していた。
 
 
術後2人でストーマを使用する際に
必要な物品の購入の仕方や
装着の仕方などの説明を受けた。
 
 
ストーマについては
(国立がん研究センター情報サービスに飛びます)
 
 
ストーマのストレスも実はかなりのもの。
「慣れです」と言われますが
慣れる部分はあるかもしれないけれど
正直メンタルのダメージは大きい。
 
 
それでも生きていくということは
折り合いをつけていくしかない・・・。
近くに理解し協力してくれる人が
いることはおそらく必須だろうと思う。
 
 
その後、術後の経過が良好のため
再手術にてストーマは取り外しになった。
 
 
ストーマの交換や付けている!と
いう内外的な負担は減ったが身体的に
2回の手術はかなりのダメージ。
 
 
けれどそれは、彼のこの先の人生の
序章にすぎなかった。
 
 
術後の大きな戦い。
 
 
肛門の括約筋を
半分以上取ってしまったので
日常、便をしたくなったとき
脳からの指令にて
肛門を締めガマンをするところが
とくに下痢などのとき
肛門を締めることができず
漏れてしまうことになった。
 
 
彼のショックは計り知れなかったはず。
 
 
お腹が痛い=下痢=漏れる
 
 
次の日が仕事でも
夜通し痛みがなくなるまで・・・
トイレに行きたくなくなるまで・・・
ずっと起きていた。
 
 
パットをしいたり、色々すれば
するほど本人の自尊心を
傷つけてしまうので
 
 
手段を伝えてどうするか?は
本人に決めてもらい
私も昼間、子どもの面倒があったけれど
できるだけ起きているようにした。
 
 
できるだけ負担や不安のないように。
 
 
括約筋も完全ではないにしろ
徐々に再生をしてきてトイレの回数もグッと
減っていった。
 
そして、ありがたいことに
5年後、大腸がんは寛解!
 
 
それからは子どもたちとの距離を
縮めようとキャンプしたり、
 
 
ちょっと時間があると
ドライブや、旅行に行ったりを
楽しんでいた・・・
そんな矢先の出来事だった。
 
 
 
 
そして、休日診療の先生に
 
「レントゲンで影が見えますね。
今総合病院の呼吸器外科の先生に
お約束を取ります。
紹介状をお渡しするので詳細は
総合病院で見ていただいてください」
 
 
そういわれ、翌日総合病院へ。
 
 
「良性か悪性かはわかりませんが
腫瘍ができていますね。
詳しい検査していきましょう」と。
 
 
再び、何日間もの検査がはじまった。
 
 
それでも以前と同じで手術で
取り切れるレベルだと思っていた。
 
 
なのに
結果は、ステージⅢB肺がん
 
 
すでに
手術ができない状態であると告げられた。
 
 
その時、正直なところ
 
 
大腸がんの告知の時よりも
放心状態にはならないにしても
頭に浮かんだのは
「この人は死んでしまうんだ?」ということ。
 
 
つらいとか悲しいとか
言葉にできるものは
何ひとつなかった。
 
 
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