5月25日(2) | h

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空海生誕1250年記念特別展

「空海 KŪKAI ―密教のルーツとマンダラ世界」

 

さすが!桁が違う!生誕1250年!

100周年とか200周年とかでなく!1250年!

 

珍しく音声ガイドを借りて観覧した。

(ガイドの声は斉藤壮馬さんと恒松あゆみさん。)

借りてよかった。何故なら混雑してたから。

人だかりでパネルの文字が見えなかったりしたから。

盛況な展示こそ音声ガイド。覚えておこう。

 

弘法大師坐像(室町~安土桃山時代)

上のポスターに写っている木像で

奇跡的な逸話から萬日大師とも呼ばれる。

弘法大師こと空海様は一般的に右を向いた姿で表され

この像も元は右向きに作られていたとされる。

ある人が30年間(約一万日)!お参りを続けたところ

夢に空海様が現れて左を向いた。

次に像を見ると像も左を向いていたという。

 

国宝 五智如来坐像(平安時代)

大きくて立派な五体の像。

広く空間を使って曼荼羅と同じ配置で展示されていた。

このように公開されることは滅多にないのだとか。

 

両界曼荼羅(1708年)

胎蔵界曼荼羅金剛界曼荼羅とで一対の曼陀羅。

目玉の高雄曼荼羅(平安時代)よりも好きだった。

特に胎蔵界曼荼羅の方。胸がときめく。

すんごく細かくて美しくて…。

こうして写しを取っといてくれた江戸時代の達人に感謝。

儀式に使ったりして劣化が進んでいくので

良い状態で残すには写しを作って保存しておくしかない。

花を投げる儀式は是非やってみたい!

目隠しをして曼陀羅の上に花を投げる。

花の落ちた所の仏様と縁が結ばれる。

空海様の投げた花は!勿論!大日如来の元に落ちたそう。

 

曼荼羅の仏様はインドの神様と雰囲気が似てた。

現代でも見るインドの神様の絵と似た描き方。

密教はインドで誕生したものだから絵もインド式?

別の曼陀羅で顔だらけの部分があってちょっと笑った。

仏様の顔顔顔顔顔顔。小さな顔だけが隙間なく並ぶ。

でも丁寧な仕事に感動。一つ一つしっかり描かれてる。

あんなに小さくて、あんなに連続してるのに。凄い。

 

大変難しい密教の教え。

それを分かりやすく絵にまとめたのが両界曼荼羅。

空海様が一生懸命考えて作って下さったと思うのだけど…。

博物館で解説も読んだけど…。全然分からない…。

でもやっぱり興味は芽生える。

美しい・素晴らしいと思うだけでなく

知りたい・勉強したいと思わされる。

 

真言八祖像(鎌倉時代)

八祖の8人目が空海様。

それぞれ台上に座した姿で描かれているのだが

ご丁寧に脱いだ靴まで絵にしてあるのは何故だろう。

時代や格の違いを表すため?

一人はお付きの人もフレームインしてた。

八祖に数えられるような人達はやはり超人的で

何百年も生きた人とか含まれてた。

 

国宝 梵夾(中国・唐)

横書きされた梵字の合間に縦書きの漢字。

密教の経典はインドから中国へと伝わり翻訳された。

そこに関わった人々の努力を感じられる。

 

金剛界曼荼羅彫像群(インドネシア・10世紀)
インドネシアの遺跡で出土した密教美術作品。

日本や中国の仏像と違い装飾等がエキゾチック。

インドネシアっぽい、いやインドっぽいのか。

密教伝来ルートは陸路だけでなく海路もあるのだ。

インド→スリランカ→インドネシア→中国。

四面毘盧遮那如来像のにゅっと出てる動物が可愛かった。

 

 

一級文物 文殊菩薩坐像(中国・唐)

"長安にあった安国寺の跡で発見された。文殊菩薩とされるが、服装や持物は胎蔵旧図様の金剛波羅蜜菩薩に近い。遺跡からはこの像とともに複数の密教像が見つかっており、長安での密教の興隆を物語る。"

唯一撮影が許可されていた展示物。

大理石製。西安碑林博物館所蔵。

西安碑林博物館には一度行ったことがあり

この像も当時見たかも知れない。が全く記憶にない。

西安はかつての長安。空海様が留学された地。

西安旅行中には空海様の像や記念碑を見ることができた。

写真も撮ってある。後日、懐かしく見返した。

 

弘法大師請来目録(平安時代)

遣唐使という使節として唐に留学した空海様。

帰国後、その成果を記したレポートを朝廷に提出している。

今も昔も同じ。そりゃそうさ。国の事業で行ったのだから。

唐から持ち帰った物の目録に加え

密教の素晴らしさが熱く語られているそう。

 

20年の約束で留学したのに、たった2年で突然帰国。

密教の全てを授けてくれた師匠が亡くなり、夢に出てきて

私は日本で生まれ変わっとるから君も早く戻って来い

みたいな事を言うので予定を変更して帰国した。

って話だけど、本当かなあ。

2年目にして猛烈なホームシックに襲われたとかじゃないの?

そうは言えんからそれらしい理由つけただけでは?

夢のお告げなんて言ったもん勝ちだしさ。

しかし凄い。空海様ったら天才。

わずか2年で密教の全てを理解したのだから。

中国であれだけ認められ日本に帰ってからも大活躍。

ただし約束を破って帰国したことでペナルティも受けている。

帰港した九州に留め置かれ何年も都に上がれなかった。

 

孔雀明王坐像(鎌倉時代)

快慶の作品。精緻で立派で美しい。

尊像であり、それ以上に美術品である。

孔雀が信仰の対象となっていったのは

大きくて綺麗だからというだけでなく

蛇を食べるからなんだって。