10月12日 (3) | h

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焼失前の本丸御殿天守閣

本丸御殿は徳川家康の命により慶長20年に建てられた。

その後、寛永11年に上洛殿を増築。

昭和20年の空襲で天守閣と共に全焼。

 

 

復元された本丸御殿。

平成21年に復元を開始。同30年から全体公開。

 

冷暖房なし。トイレなし。飲食禁止。

写真撮影可。フラッシュ不可。

無料ロッカーあり。100円玉入れて戻ってくるタイプ。

100円で音声ガイドの貸し出しあり。

ロッカーに荷物入れた後で音声ガイドの事を知った。

財布を取りに戻るのが面倒で音声ガイドを諦めた。

後悔している。音声ガイドを借りるべきだった。

本丸御殿は建築や内装自体が貴重な展示であるから

壁に大きなパネルがあったりすることは勿論ないし

腰丈くらいの看板は時々あるけど情報少なめ。

予備知識なし・音声ガイドなしで入った自分は

へーうわーすごいー!で終わってしまった。

(後日、バーチャルツアーで補完。)

でもでも、何も知らんでも見応えあった!

殆どの部屋が冗談みたいにキラッキラ!

どんな時代劇でも見たことのない豪華さだった。

すぐにでも再訪したい。音声ガイドつきで!

 

 

車寄。偉い人用の玄関。

本丸御殿への正式な入口で

将軍など正規の来客だけがここから上がる。

上がってからまず通される部屋まで含めて玄関。

対面を待つためのその部屋は二部屋。

 

 

車寄から上がって真正面にある二之間。

 

 

その隣にある一之間。

玄関よ?お待ちいただくためだけの場がもうこれよ?

 

キンキラキンな輝きが写真では分かりにくく残念。

こういう部屋はどこも立入禁止だし、明かりも少なく、

自分の腕とカメラじゃきれいな写真は撮れなかった。

日の差し込む部屋だともう少し明るく撮れたのだけど。

 

 

普段使いの出入口は別にある。

そこから伸びる廊下はこのような華美でないもの。

伝統的な床張りの廊下を靴下で歩くと、、、

ドタドタと大きな音をさせてしまう。恥ずかしい。

普通に歩くとそうなる。歩き方がなってない。

音を立てないように気をつけて歩くようにする。

自然と小股になり、すり足気味に。

そうだよ。これが日本式の歩き方。

和服着ないし伝統的な日本家屋に上がる事もないしで

日本式の歩き方が身についておらず。嘆かわしい。

 

見ての通り新しくてきれい。

匂いも新しい。木の匂いがする。新築の家の匂い。

感動した。来て良かったと強く思った。

創建時から現存する建物のほうが文化的価値は高い。

が、この"新しさ"は復元だからこそ感じられるもの。

どんな遺跡だって出来た当時は新しかった。

当時の人らにとってそれは新しい物だった。

その時の彼らと同じ感覚を得られる。これは貴重。

この匂い!新しい匂い!新築の城の匂い

慶長20年の出来立てほやほやに入城した当時の人らは

わーきれー!わー新しい匂いー!って思った筈。

今の世に復元されて、今の人が同じことを思っている。

 


表書院三之間。

表書院とは藩主が公的な謁見に用いた広間のこと。

 

 

表書院一之間。雅!

 

 

同じく一之間。別角度から。

 

 

表書院上段之間。

表書院の最奥に位置する藩主の座。

床の間などの設備つき。

 

 

対面所次之間。

表書院が公的な謁見の場であるのに対し

対面所は藩主の私的な対面や宴席に用いられた場所。

次之間を彩る風俗画は和歌山がテーマ。

 

 

対面所上段之間は京都がテーマの風俗画。

 

 

対面所納戸一之間。

藩主が最後に身支度を整えた部屋。

 

 

鷺之廊下。

壁の上から下までキンキラキン+鷺の絵。

将軍や藩主はここを通って上洛殿へ向かう。

鷺之廊下、梅之間、上洛殿は寛永11年に増築された。

 

 

梅之間。先ほどの絵の裏側にある控えの間。

将軍をもてなす役割の上級家臣がここに控えた。

 

 

上洛殿三之間。

上洛殿の絵は狩野探幽の筆によるもので

写真正面に位置する四枚の襖絵が「雪中梅竹鳥図」、

左面「芦鷺瀑辺松樹図」、右面「雪中竹林鳩雀図」、

手前の襖内側には見えないが「柳鷺図」が描かれている。

これらはレプリカだが本物も現存。

 

 

天井にまで美しい装飾が施されているし

欄間はなんだか物凄いことになっている。

豪華絢爛とはこのこと。

 

京都行くから途中で寄るわー

って家光に言われ大慌てで超豪華な部屋を建てた

というドタバタ劇を想像してしまう。

寛永11年、将軍家光のために増築された上洛殿

本丸御殿の中で最も格式の高い区画。

創建時は謁見の場である表書院が最も格式高かった。

家光様の御成りに合わせそれを越える上洛殿が作られた。

 

 

上洛殿二之間。

描かれているのは「琴棋書画図」。

 

 

上洛殿一之間。奥に上段之間が見える。

正面の襖絵は帝艦図「明弁詐書」。

 

 

同一之間。別角度から。

写真正面は帝艦図「褒奨守令」。

残り二面の帝艦図は「高士」「蒲輪徴賢」。

 

 

欄間から鶴がはみ出してる。

採光や通風のためにある欄間が

本来の存在理由を飛び越えて別の芸術に。

正月飾りの羽子板みたいなもんよね。

 

 

上洛殿上段之間。

帝艦図は三面で「高士渡橋」「露台惜費」「不用利口」。

最上級の間だから最も豪華かつ細かな装飾。

天井も凄い。"黒漆二重折上げ蒔絵付格天井"という。

 

 

天井の格子一つ一つに蒔絵が嵌め込まれている。

 

 

上洛殿は廊下も抜かりない。襖の外側がキンピカ。

 

 

そして廊下にまで欄間があってこれもんよ。

 

 

しかし足元が残念。

廊下も畳敷きになっているのだけど

この通り無粋なシートで覆われている。

こうでもしないと畳がすぐにダメになってしまう

というのは分かるけど、、、これはあまりにも、、、。

もうちょっとどうにかならんか。せめて色だけでも。

畳色の畳っぽいシートあーがん。あれにしないや。