ここで言うウクライナ人は今のロシア系農民のことです。

ロシア人vsハザールマフィアが場所を入れ替えて戦っています。

 

ハザールマフィア=ナチス=アシュケナジーユダヤ人です。

1200年以上も続いているので本当に根が深いと思います。

 

ハザールマフィアのことは何度も取り上げていますが、

ユダヤ経典にサタン崇拝を織り交ぜ、

生贄をともなう悪魔の儀式を定期的に行い、人肉食をします。

アドレノクロムもそこから発展して製造されるようになりました。

麻薬、人身売買、金融マフィア、、、元をたどれば全てハザールマフィア(悪魔)に行きつきます。。。

 

プーチン大統領が、浄化という言葉をよく使いますが、一番適切だと思います。

今回の作戦でもすでにたくさんの子どもたちが救出されています。

 

わたしも、この地球から悪魔は消滅して欲しいと切実に願いますお願いお願いお願い

 

 

 

 

 

■■第5章:第二次世界大戦の勃発とロシア人の英雄ジューコフ元帥の活躍


■大戦前に軍幹部と知識人を粛清したハザール系ユダヤ人


第二次世界大戦が始まる前に、ユダヤ人たちはもう一つの陰謀を企てていた。

それはロシア軍隊の幹部たちを粛清することだった。少なくともその当時、約3万人の将軍や将軍クラス、大佐クラスの軍人が殺された。彼らはちょうど第二次世界大戦が起こる1、2年前に殺されたのである。

ユダヤ人たちはヒトラーからの侵略の脅威を感じなかったのだろうか。ロシアを外敵から守る必要がありながら、なぜ優秀な軍人を殺すことに躊躇しなかったのだろうか。

彼らにとっての問題は国外ではなく国内にあったからである。ロシア人の将軍や大佐などが赤軍を指導し、反ユダヤ感情が高まってきたために、ユダヤ人たちは危険を感じて軍隊の幹部たちを殺した。

実に第二次世界大戦が起こる直前のことであった。それら将軍の中にはユダヤ人も交じっていたが、ユダヤ人であろうとも、不穏な動きを一掃するためには無差別に殺されていったのであった。

 

■ナチス・ドイツとの闘い ─ ソ連を勝利に導いたジューコフ元帥


戦争が始まった。優れた司令官をすでに失っていたロシア軍は、はじめの1、2年間は敗北を重ね、モスクワまで撤退して敵を迎え撃つ戦法をとることにした。そして、後のモスクワ戦線では激烈な戦闘の結果、最終的にロシアが勝利を収めたのだが、そのときには、ようやく世代交代がなされ、次世代の優秀な軍人たちが指揮をとっていた。

それらの指令官の中でも、最も優れた司令官がジューコフ元帥だった。

 

 

 

1941年10月、ドイツ軍はモスクワ大攻撃を開始した。それに対して、その年の12月、ジューコフ元帥の率いるロシア軍が大反撃を行ったのである。これをロシアではモスクワの「大祖国戦争」という。翌年のスターリングラードでの大規模な市街戦は1943年2月まで続いたが、ついにドイツ軍は降伏し、ロシア軍の勝利の第一歩が印された。

ジューコフ元帥の果たした役割は、すべての戦争において最も大きいものだった。

 

 

 

 

 

戦争が終わると、急速にロシア人の民族的自覚が高まっていった。ドイツとの戦争で勝利を勝ち取ったからである。ユダヤ人はロシアを恐れた。

危機を感じたユダヤ人は1948年、ロシア人に対して攻撃を開始した。優秀な政治家たちを次々と裁判に送り、ロシア人知識階級を殺していったのである。カガノビッチがそれらの指揮をとっていたが、スターリンもそれに同調していた。

 

 

■■第6章:スターリンとジューコフ元帥の反乱


■ユダヤから離れて暗殺されたスターリン


スターリンはその頃からユダヤ人のやり方に反発するようになった。スターリンの妻はカガノビッチの妹であり、その前のスターリンの2番目の妻も同じくユダヤ人だった。それにもかかわらず、スターリンはユダヤ人に対抗していった。

戦争の勝利で自らのイメージが上がったこともあり、ユダヤの横暴なやり方に我慢できなくなって、反ユダヤの態度をとりはじめたのであった。1949年から亡くなる1953年までの間、スターリンは実際にそうした行動をとり続けていった。

 

 

 

 

 

スターリンの身辺には常にベリヤがいた。ベリヤは国家保安省のリーダーであり、スターリンと同じくグルジア人だったが、ユダヤとのハーフであった。ベリヤは終始スターリンの見張りを怠らず、スターリンの行動をすべてカガノビッチに報告していた。そのため、スターリンはベリヤに隠れて密かに反ユダヤの陰謀を画策していった。

 

1952年、「医者事件」が起こった。「医者事件」とは、1948年、ユダヤ人の医者たちが多くのロシア人の新生児、それも男児を毒殺した事件である。そのときに殺された男児の数はかなりの数に上った。とくに大都会のレニングラード、モスクワ、キエフなどで多くの男児が殺された。

なぜユダヤ人たちはこのような暴挙をやるのか、このまま多くの男児が殺されるならば、いったいどのようなことになるのか──。

スターリンは1952年、この事件に関係した医者をすべて逮捕し、ユダヤ人自身がつくった収容所に送って、その半数を殺したのであった。

スターリンはさらに大きな反ユダヤのプランをもっていた。シベリアの極東地方にビロビジャンというユダヤ人の自治州があったが、彼は大都会からすべてのユダヤ人を集めて、シベリアのビロビジャンに送ろうとしたのである。

だが、それが実行に移される前に、彼はベリヤによって暗殺された。1953年3月のことであった。

 

 

 

 

 

スターリンは自然死であるという説があるが、実際はそうではなかった。ユダヤ人による暗殺であった。ベリヤによってスターリンは殺されたのである。スターリンの息子ワシーリーは空軍の将校だったが、彼はこの事実をよく知っていた。彼は隣人にこの経緯をすべて話している。しかしワシーリーもまもなく暗殺されてしまった。

 

■ソ連の全権を握ったカガノビッチ


ユダヤ人は強大な力をもっている。彼らは世界的な規模で力をもっており、ユダヤ民族が不利な状態になったときには一致して攻撃に出ることができる。スターリンは強力な独裁者といわれたが、その実は彼らに操られたロボットであり、自ら独裁者ぶりを発揮したとたんにユダヤによって暗殺されたのである。

 

スターリンが亡くなった後、ベリヤはカガノビッチの真の右腕になった。この2人はスターリンが暗殺されてから約3ヶ月間、実質的にロシアを支配していた。この間、彼らは何をやろうとしていたのだろうか。それは、ソ連の分裂への策謀であった。ベリヤが逮捕されて後に、こうした計画のあったことが発覚している。

 

 

 

 

 

今から40年前の1953年、カガノビッチは当時のソ連の全権を掌握した。このとき、ロシアは本当のユダヤ国家になってしまったのである。

ロシアのユダヤ人とアメリカのユダヤ人たちはこうした事態を大いに喜んだ。なぜならば、ロシアのユダヤ人もアメリカのユダヤ人も、いずれもアシュケナジー・ユダヤ人という同胞であり、すっきりと手を組むことができるからだった。

 

ユダヤ人たちはソ連とアメリカという2つのユダヤ国家が力を合わせれば、全世界を支配できると考えた。当時の誰がこのような陰謀を阻止できただろうか。

その当時、国家保安省のエージェントはあらゆるところにいた。そして、密告が制度として国民の義務となっていた。当時のロシア人は、こうしたユダヤのネットワークには、何らの抵抗するすべをもたなかった。

 

■ユダヤ権力を壊滅させたジューコフ元帥


しかし奇跡が起こった。

第二次世界大戦におけるファシズムとの戦争で勝利をもたらしたジューコフ元帥が、1953年にユダヤとの戦いでも勝利を収めたのである。

スターリンが暗殺されてから約3ヶ月後の1953年6月26日、モスクワ郊外でジューコフ元帥は陸上演習を行っていた。この演習の途中で、ジューコフ元帥は突然、自ら戦車部隊二個師団を率いてモスクワ市内に入り、国家保安省本部に向かって進撃を始めたのである。国家保安省はこの動きをまったく感知していなかった。そのため、ジューコフはあっという間に国家保安省本部の占拠に成功することができたのであった。

 

 

 

 

 

ジューコフ元帥はまずベリヤを逮捕した。そしてその後にカガノビッチらを逮捕した。

これはまったく異例の事態であった。ロシア人の民族性からすると、こうした過激な反発行動に出ることはあり得ないことであった。しかしジューコフは、誰にも相談せずに、自らの判断で直ちに戦車部隊二個師団を動かし、モスクワに入って国家保安省本部を乗っ取ったのである。

 

そのときからロシアは新政府となり、ユダヤ人は国家保安省や軍隊の司令部を含めて、あらゆる組織から追放された。少なくとも1960年まで、ほとんどの政府機関からユダヤ人が一掃されたのである。

 

ようやく、ロシアをロシア人が指導するところとなった。一時的にではあったものの、明らかにロシア人の勝利であった。このとき1953年から、1985年にゴルバチョフが書記長となり、翌年にペレストロイカ(改革)が始まるまでの間、ロシア国内にハザール国家は存在することがなかったのである。ユダヤ人たちはそのままロシアに住んではいたが、もはやユダヤ人たちが「国家内国家」をつくるようなことはなかった。

第5代ソ連最高指導者ブレジネフの時代(1964~82年)はロシア人にとって歴史上非常に安定した時代であったといえる。ユダヤ人たちはこの時代を「停滞」時代という。革命が起きていなかったので、彼らにとっては「停滞」と呼ぶにふさわしい時代なのである。

 

 


 

■■第7章:ソ連崩壊の舞台裏 ─ ロシア人とユダヤ人の民族闘争が原因


■1991年8月のクーデターは「ユダヤ第二革命」だった


共産主義体制崩壊後のロシアの政治を、日本では、改革派(民主系)と保守派(旧共産党系)の対立を軸にしたものとしてとらえ、そこに中間派系、民族派系などの諸派が絡んだ政争の流れとして見ている。しかし、本当の問題は「民族闘争」なのである。ロシア人とユダヤ人の対決、それがロシアで起きていることの根本にあることである。

 

1991年8月、世界を揺るがしたソ連のクーデターはあっけない失敗に終わった。しかしその結果起きたことは、紛れもない革命だった。これはユダヤ人によるクーデターであり、「ユダヤ第二革命」と呼ぶべきものだった。過激派のユダヤ人たちは、穏健なゴルバチョフ政権を倒して自らが政権を握ろうとしたのである。

クーデター失敗後、エリツィン・グループが政権を握ったが、エリツィン大統領を取り巻くロシア政府高官のほとんどがユダヤ人であった。

エリツィンはユダヤ人の妻を持つが、彼自身は純粋のロシア人である。しかし彼は頭が悪く、しかもアルコール中毒である。彼は使われているロボットにすぎない。彼の補佐官は80%がユダヤ人であり、彼の補佐官の中には20人のアメリカ人がいた。そのアメリカ人の中でも指導的な役割を果たしているのは、ジェフリー・サックスというハーバード大学の教授であり、もちろんユダヤ人である。

 

 

 

 

 

ロシア国内のユダヤ人たちは、8月クーデターでロシア政府内の実権を握ったことを幸いに、次に海外のユダヤ人と相呼応して、ロシア経済を支配下に置こうとした。そのため、欧米の、中でもアメリカのユダヤ資本が怒涛のようにロシアになだれ込むことになったのである。

エリツィンと取り巻きのユダヤ人たちは、8月クーデター以後、急進的な市場開放路線を議会で承認させると、ガイダル政権を発足させた。そして年末の連邦崩壊・CISの形成を経るや、一気に市場開放、価格自由化というショック療法を実行に移したのである。その結果ロシアでは、国際派ユダヤ人による猛烈な「ゴールド・ラッシュ」が起きた。

1991年8月クーデター以後しばらくの間、ニューヨークからモスクワ行きの飛行機は、ほとんどユダヤ人たちに占められていた。

 

■やがてロシア人の解放運動が巻き起こるだろう


8月クーデターで、彼らユダヤ人たちは再びロシアの権力を握ったと思っているだろう。しかし、70年余年前の10月革命のときとは、その事態には根本的な違いがあることに彼らは気付いていない。

 

ユダヤ人たちは1917年10月革命当時には大きな力をもっていた。しかし今日のロシアのユダヤ人たちには力がない。彼らは二度目の革命を起こしたが、今日のロシア人は75年前のロシア人とは異なっている。当時のロシアは農業国家であった。多くの農民たちは読み書きができなかった。しかし今は違う。共産主義時代に受けた教育レベルは非常に高いものである。ロシア人の年輩者もそして若い人たちも、ますますユダヤ問題がわかってきている。そして愛国心の高まりとともに、ユダヤ人に反発する行動をとるようになり始めているのである。

 

ユダヤ人はモスクワやサンクト・ペテルブルグ、キエフなどの大都会では力があるが、農民や労働者の中にはユダヤ人はほとんどいない。これは喜ばしいことである。さらに、ユダヤ人たちの影響はまだ地方にまでは及んでいない。ロシアの地方には本当のロシアが残っている。

ロシア人たちの反発は、ロシア人によるユダヤからの解放運動として、すでに地方に広がりはじめている。ロシア人たちは必ず自分たちのロシア人のリーダーを選ぶだろう。

 

以前ゴルバチョフはペレストロイカは地方からの革命ではなく「上からの革命」であると言った。しかしこれは「革命」というよりは反ロシア的な陰謀であった。決して下からの解放運動、革命ではなかった。

私たちロシア人はすでに革命の歴史をもっている。最初の10月革命、これは明らかにユダヤ革命だった。そしてまた、2年前の1991年8月にあった革命も、ユダヤ革命であった。ロシア人たちはユダヤ革命はもう十分だと思っている。我らはもうこれに我慢できない。ロシアのユダヤ人たちは、ロシアにおいて悪質なことをやってきたし、今もやっている。しかし彼らはすでにやりすぎている。

今後、ロシア人とユダヤ人との闘いは、もっと激しくなっていくにちがいない。やがてロシア人の解放運動が巻き起こるだろう。私(イワノフ)は固く信じている。〈後略〉


── 1993年夏 ──

 

 


 

■■おまけ情報:スターリンとカガノビッチについて

 

 

 

●ノンフィクション作家の広瀬隆氏が書いた大著『赤い楯』(集英社)には、スターリンとカガノビッチについての興味深い記述がある。該当する部分を一部抜粋して載せておきたい。

 

「ソ連が生き延びるための外貨を獲得する目的で、ウクライナの小麦が西ヨーロッパへ輸出され、その収入が鉄鋼産業を育てることになった。この当時の鉄は、現在とは比較にならないほど、全ての工業を支配する巨大な動力であった。“鉄の人”スターリンは小麦を売って鉄を買ったのである。ここに、西ヨーロッパでこの小麦を買ったのは誰か、という歴史上最大の謎が生じてくる。

ソ連貿易の実作業を取り仕切った人物、それはユダヤ人リトヴィノフ外相と連動して、恐怖の1930年代のソ連を動かしたラーザリ・カガノビッチという男であった。〈中略〉」

 

 

 

 
 

カガノビッチは1893年、キエフの貧しいユダヤ人労働者の家に生まれ、スターリンの側近として1930年代には終始、ソ連でナンバー2の地位にあった。1925年には、ウクライナ共産党の第一書記となり、ウクライナ共産党リーダーの粛清を行った。1928年から中央委員会の書記となり、ウクライナなど各地にスターリンの代理人として赴き、何百万人という農民とその家族を死と流刑に追いやる恐怖活動を指導した。

キリスト教会など重要な古い建築を無慈悲に破壊し、1930年代後半の粛清においては、逮捕と流刑を自ら実践し、航空産業大臣であった実兄ミハイルにも冷淡で、ミハイルはベリヤによる処刑の決定を聞いて自殺した。〈中略〉」

 

 

 

 

 

「カガノビッチの本名は、その人名録にKogam(コーガン)と書かれているが、西ヨーロッパの資料ではKagan(カガン)となっている。つまりコーガンまたはカガンという姓を、ロシア式の名前にしてカガノビッチ(Kaganovich)と変えたのである。

 

粛清者ラーザリには、自殺した兄ミハイルだけでなく、分かる限りモイシェ、ユーリイ、ローザの少なくても合計4人の兄弟姉妹がいた。問題はこの全員にあった。男4人は、スターリン政権の中で「カガノビッチ王国」と呼ばれるほど権力を誇り、前述のようにバクーを支配する石油産業大臣から、重工業大臣、航空産業大臣まで工業界を一手に引き受け、5ヶ年計画の利権を自在に動かしながら民衆とかけ離れた裕福な生活を送っていた。

 

その中で、ベリヤの前に恐怖の死刑執行人だった秘密警察の責任者エジョフがこの兄弟たちを“ブルジョワの手先”として告発したため、兄弟のひとり、ミハイルが自殺してしまったのである。驚いたスターリンは、そのあとカガノビッチ一族に手を触れないよう秘密警察に命じた。なぜなら、スターリン第3の妻が、粛清者ラーザリの実の妹ローザ・カガノビッチだったからである。〈中略〉

……そして第3の妻であるユダヤ人、ローザ・カガノビッチと翌年スターリンが結婚したのである。彼女をスターリンに紹介したのが、ナチスと組んだモロトフ外相(リトヴィノフの後任)で、モロトフは情報委員会(後年のKGB)の議長をつとめ、自ら秘密警察のトップに立った男である。〈中略〉」

 

 

 

 

 

 

モロトフは大量テロの組織には極めて積極的に参加した。1935年にソ連人民委員会会議に入っていた25の人民委員のうち、弾圧の時代に非業の死を遂げなかったのは、ミヤコン、ウォロシーロフ、カガノビッチ、リトヴィノフ、それに当のモロトフだけであった。ウクライナにおける虐殺キャンペーンの主席指揮官と指導者はモロトフとカガノビッチであった。

モロトフはユダヤ人反ファシズム委員会のほとんど全メンバーの逮捕など、戦後の全ての弾圧に責任を負い、その犠牲者となったのがモロトフ自身の妻ポリーナ・ジェムチュージナである。彼女はユダヤ人で、イスラエルに姉妹と甥が住んでいた。

第二次大戦後にモロトフは解任されたが、スターリンの死後に再び外相に任命され、妻ポリーナも釈放されるという時代に入ったところで、今度は1957年、フルシチョフとの衝突によって完膚なき敗北を喫し、モロトフの政治的履歴は事実上終わりを告げた。1984年にモロトフの復党願いを積極的に支持したのが(イスラエル建国を承認した)グロムイコであった。〈中略〉」

 

 

 

 

……しかしカガン家には、6番目の子供が存在したことを示唆する重大な事実が、フランスの文献に書かれている。その名をニコラといい、これが彼ら兄弟の暗い秘密を握っていた人物である。この男はカガノビッチではなく、父親アブラハム・カガンの姓をそのまま継いでニコラ・カガンといった。ウクライナの粛清者ラーザリの5つ年下で、モスクワに生まれ、のちフランスに帰化したフランス人だったのである。

 

表面上は、ソ連から派遣されたフランス駐在の銀行高官とされていたが、実は次のような履歴を持っていた。

 

先ほどのフランスの〈二百家族の大系図〉の一番上に示したように、ニコラは“赤い楯”の投資銀行として全世界に勢力を張る「セリグマン銀行」のオーナーで、共同経営者は勿論セリグマン一族であった。本書上巻タイタニック号の沈没で〈系図8〉に登場したのがこの一族のアメリカ移民である。カガンはそのフランス家とパートナーの関係を結び、トップの座にいた。

 

しかし、彼ら“赤い楯”のマーチャント・バンカーには鉄則があり、少なくともこの当時は“一族以外は絶対にオーナーになれなかった”のである。では、ニコラ・カガンはなぜオーナーになることができたのであろうか。その答えは、ニコラ・カガン当人がロスチャイルド一族であった、と推測するほかないであろう。」

 

 

 

 

 

 

「ウクライナの農民数百万人の虐殺の手掛かりを求めて、カガンもしくはコーガンという人物を全世界の歴史上の記録で探したところ、注意を惹く二家族が見つかった。これを〈二百家族の大系図〉でカガノビッチの右に示すが、そのひとつは、ロシア支配者ギンズブルグ家と結婚したカガン家で、これはアメリカに渡ってユダヤ教で高位のラビ一族となっていた。もうひとつはカガンの息子がアルゼンチンのブエノスアイレスで生まれ、まぎれもなくヘルガ・ロスチャイルドと結婚している一族であった。

仮にこれが全て同じ家族だとすれば、ソ連(ロシア)とフランスとアルゼンチンを結ぶキー・ワードが存在することになる。その共通項は、穀物の他にないであろう。実名で言えば、ロシアの穀物をウクライナのオデッサから独占的に買い付けてきたフランスの穀物商社「ルイ=ドレフュス商会」である。これがアルゼンチンに進出して、のちに現代アメリカで世界第4位の穀物商社になったことはすでに述べた通り、穀物業界の常識でもある。

では「セリグマン銀行」と「ルイ=ドレフュス商会」の関係を調べてみよう。〈二百家族の大系図〉では2枚目右下の位置になるが、その穀物商社一族であるフランス・ルイ=ドレフュスという女性がアルゼンチンのブレノスアイレスで誕生し、彼女がフランスのヌーヴェル・ヴォーグ時代に二枚目として登場した男優ジャック・シャリエと結婚したのである。『アンネの日記』の舞台に立っているところをマルセル・カルネに認められたシャリエは、『危険な曲り角』でパスカル・プティと共演して映画デビューし、『熱い手』『今晩おひま?』『禁じられた肉体』など、題名から想像される作品群に次々と主演した。このルイ=ドレフュスと結婚する前にシャリエの妻だったのが、神がアダムと共に創った女ブリジッド・バルドーである。〈中略〉」


……この家系の元をたどってゆくと、そちこちに危険な曲り角はあるが、ロシアのロスチャイルド=ギンズブルグ家を通って、ウクライナの粛清者カガノビッチ=スターリン一族のパートナー、問題のセリグマン家に達する系図を見なければならない。これがフランス“二百家族”の秘密であった。

そして穀物商社と「セリグマン銀行」についての関係は、いま説明した血族関係をそのまま金融界にも反映し、正確な全体像を描いてきた。つまり「セリグマン銀行」は「ルイ・ヒュルス銀行」と合併したのち、1968年に問題の穀物商社「ルイ=ドレフュス商会」に吸収合併されたのである。こうしてスターリンの使者としてフランスとソ連のあいだを行き来したニコラ・カガンは、まぎれもなく穀物商社の代理人だったことが明らかになる。

 

 

 

 

 

「結局、ウクライナで数百万人の農民が飢えたまま枯れ木のように死んでゆき、数百万人が収容所に送られていった時、そこには『屋根の上のバイオリン弾き』の主人公テヴィエのようなユダヤ人の農民も大量に含まれていたはずだが、当時についての数々の資料が示すように、クレムリンにはロールス・ロイス、キャデラック、リンカーンなど西側世界の最高級車がずらりと並び、指導者は美食家ぞろいで、ボルシチに鴨や鹿など、豪華な食事をたらふく食べていた。

ある者はスターリンことグルジア人ジュガシヴィリ、ある者はカガノビッチことユダヤ人カガン、ある者はリトヴィノフことユダヤ人ワラック、ある者はモロトフことスクリャービンたちであった。……〈後略〉」


以上、広瀬隆著『赤い楯』(集英社)より

 

 

引用終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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