〜意図の法〜 | Kenaz光(ひかる)の占いブログ

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【意図の法】


あなたが明晰さを得れば、ためらいなく決断できる。
これによって、宇宙のエネルギーはあなたを助けるように動き、あなたは力強く進むことができる。
あなたの意図が純粋なら、結果がどうであれ、カルマを得ることもない。


たとえば、恵まれない人々を助ける意図を持ってあなたの事業を拡大するためなら、不幸にも雇い人の中に失業者が出た場合でも、あなたにとって負い目にはならない。
一方で個人的に多大な利益を得る目的で人々の不幸を顧みずに雇い人を首にした場合、あなたの魂の準備ができ次第、カルマを負うことになる。







自己の意図・神の意図



これまで何度も言葉が持つ力や、思考が現実化する話はしたと思います。
まだ実感がないなら気がついてないだけで、意識的に使うことでよりハッキリと感じられるようになってきます。


自分が思うことや使う言葉で色んな体験を創り出すのですが、その意図は純粋なものでないと中々上手く行かないのです。


純粋な意図は素晴らしい体験を創り出します。
「お陰さま」達、いわゆる目に視えない存在すらもその意図に協力的にサポートします。
宇宙の采配は、人間が想像もつかないことを簡単に、しかも全てにおいて調和した状態で配置するのです。


そのお陰で力強く進むことも出来れば、恩恵を頂いたりできるのです。


純粋な意図はカルマすらも創りだしません。
「結果」というのは、その時その時の、最高最善がもたらされるのですから たとえ自分にとって悪い結果のように感じても、 それ自体はカルマを創り出してはいないのです。
大抵の場合、その後の思考からカルマを創り出してしまいます。


思考を現実化させるのが上手くいかないのなら、一度、その意図が純粋かどうかを 見つめ直すといいでしょう。


純粋な意図であれ、どうしても「叶わない願い」と言うのが時折あります。
何度か思考の現実化を体験してる場合は、疑問に感じることでしょう。


まだ時期が早いのか、あるいは何処かにエゴがあるのかと理由を探したくなるかもしれません。


「どうしても叶わない願い」にはちゃんと理由があるのです。





物事をやるのに2つの方法がある。
1つは、あなたがやること。
もう1つは、神があなたを通してやることだ。


もし、あなたがやれば、あなたは 自分で自分を不安に陥れる羽目になる。
なぜなら、そうしたとき、あなたは結果志向になるからだ。
そうしたら、絶えず懸念があり、何が起こっても欲求不満になるに違いない。


人々が悩み、苦しみながら生きるのは、ある目的を成就しよう、ある成功や野心を達成しようと考えているからこそだ。


それが達成されないと…。


達成されない可能性の方が大きい。 そして、あなたは苦しむ。


また、達成したとしても同じだ。なぜなら、それを達成しても、何も達成されていないことがわかるからだ。

~OSHO~





1つは私達に与えられた自由意志から創造する「自己の意図」で創造します。
もう一つは、神が私達を通して創りだす創造、「神の意図」です。


自己の意図と神の意図が同じ場合は、簡単にその結果は創造されます。


ですが、神の意図が違う場合、それは私達に必要な学びが含まれて いなかったり、 結果によってエゴや欲が発生する場合など様々ですが、「叶わない願い」になってしまいます。


OSHOは「何も達成されていないことがわかるからだ。」と言っていますね。


これは、「自己の意図」は「神の意図」によって創りだされていることを言っています。 神は、私達人間を通してこの世界 を体験しているのです。私達が創りだしているものは全て、神の意図によるものなのです。


実は「自己の意図」だけで創りだしたと思っていたら大間違いなのです。


聖者ラマナ・マハリシはこう言います。


「私がやっているという感覚が邪魔者なのである」


自分が創りだすことは可能です。
ですが、「やっている」という感覚は宇宙の全面的サポートを受け取れません。


純粋な意図を持ち、その全てを神の采配に託した時、神の意図との一致で初めて全ての完全なるサポートが働きだすので す。


結果に拘ることなく託すことが出来た時、どんな結果であれカルマすらも創らない最高最善のギフトが受け取れるのですよ。




ブログCrystal breathより転載

http://s.ameblo.jp/raphia/entry-11534548236.html