今あるその生活環境は当たり前にあるんじゃない。今、これからのあなたの人生において最も理に叶った、あなたの為に天が用意した最高の花舞台である。今はまだ不自由かも知れないが居てみることだ。

 病に倒れることは決して不幸せなことではない。「苦しい」と叫んで倒れても結局のところ、最終的に人も輝子さんも自らの力をふるいたたせて立ち上がることになる。怖くて宿直室に行ってもちょこっと白湯を飲ませてもらって自分の足で部屋に戻らされて終わる。少なくても輝子は助言を効いて生還しています。わたしは倒れることができません。ずっと倒れてしまいたかったけど倒れられません。今、輝子さんの脳は覚醒されてます。

「この悪夢が早く覚めてくれたら・・・。」

 輝子の脳はときどき錯乱状態に陥るけど医学上では健康だと診断されました。だけど、脳が麻痺し、脳に酸素や栄養がうまく行き届かずにその活動が一時停止するのです。それはもう慢性的な脳の放心状態。脳のガスが抜けて輝子さんの魂の気が飛んでしまう。

 なにかが少しずつ変わるのだ。毎日はちょっとずつだが変動しています。同じ時が流れているんじゃない。それは髪の毛が1日に1ミリずつのびることである。足音がとても小さいだけで耳を澄ませば時計の秒針のカチカチの音さえもとてもうるさく感じてやんなっちゃいます。

 さまざまな、数えきれないほどの無数の色が協調なく不揃いにあって、輝子さんのこの書斎だけでも、いったい何種類の色で成り立っているんだろう。どの色も少しずつ違ってて、同じ色の物が一つもなかった。

 いったいどこに焦点を合わせればいいのか。たたけばそれぞれに音も違う。

私たち人は、輝子さんも、知らず知らずに、そう深く追求することもなく、さまざまに異なる色や音の中で無意識に生きているのだから、それだけで輝子の目も耳も脳も魂的にも疲れてしまう。

 輝子さんのこの部屋には色の統一性がなかった。同じ色も音もなかった。それは人の動きも同じなのです。人も輝子さんもそれぞれに異なる動きをします。同じじゃないんです。

 昨日までの輝子には無かった真新しい、新たな今の輝子さんの変化がある。

『今日のあなたは昨日までには無かった。』