GWの思い出。


国営昭和記念公園のネモフィラです。



娘と撮影遊びカメラ

彼女は新しいEOS を買ったそう。


私はiPhoneで。

新しいiPhone欲しくなってきた…

もっと綺麗に撮れるのかなぁ?



ところで私のMRIが終わり、

「腱鞘巨細胞腫」(良性)じゃないか?との診察。

ちょっと動きに違和感あるのと

弱い痛みを時々感じるので

取ってもらうことにしました。



診察室出てすぐケアマネに連絡して

ショートステイ予約の段取り。


日帰り手術だけど

利き手だし、義母の世話できないからね…


無事 予定の日程取れて安心おねがい


手術日まで1ヶ月以上あるし

術後 思うように家事できないし

色々 調べておこう〜



今日は良い天気。


最近、掃除を頑張ってる⭐︎

半期間隔の掃除箇所をどんどんこなしています。


利き手右の親指のしこり除去手術を

夏あたりにする予定なので、

その後しばらくは念入り掃除ができなくなるのでねぼけー


来月、造影剤MRI予定。


実は2年前も足裏に良性腫瘍ができて

歩くのに不自由になり入院、摘出。

その後、心配なく歩けるようになるまで

2ヶ月かかった。


なんか2年おきに手術してるしー


でもそれ以外は元気ラブラブ




ところで、昨日の義母。

喉乾いたわーと言いながら

冷蔵庫を開け、料理酒を出そうとした…


それは水じゃないよ、おばーちゃんガーン



ご無沙汰しております…

同居の義母の認知症は進んでいます。
旦那を兄弟だと言う時があったり。

じゃあ私は誰の嫁?と聞くと
知らない。って。

おいおい…

今年90歳になる義母。
デイサービスは週3日、
そして、最近は入浴サービスも週1日
お願いすることになりました。

お風呂に入っても
身体洗うことを忘れるし、

もう3年前からリハビリパンツ(紙パンツ)。
下着を汚して隠したまま忘れて
部屋に異臭がこもったことがあったのでね…

実母も足が弱り、
頭は割とはっきりしてるけど
寝たきりに近い。

親達が人生の最終ステージに入って
そこから学ぶものがたくさんあります。

そうは言っても、
やっぱり日々ストレス溜まるねえ〜ぼけー


過去を思い出して書いています。

 

【入院一日目】

病棟に案内され、説明を受けて荷物を配置します。

術後は動けないだろうし、寝ていても届く範囲に必要なものを置きました。(特にスマホ)窓側だったので、ちょっと嬉しい。

外が見えるって大事と思う。明るいし。


翌日が手術。胃を空っぽにする薬(下剤)を初めて飲みました。

お腹いたくなるのかと思ったら、そうでもなくて安心した〜

 

【手術当日】

水分のみで何も食べられない。

手術は12時から。

ドラマみたいに寝ながら運ばれるかとおもいきや「さ、行きましょう!」って普通に歩いて手術室へ。


1枚目のドアが開き、名前確認。

2枚目のドアが開き、また名前確認。

手術室は驚くほど広かった。そして促されて手術台に自分であがります。

 

看護師さん数人、担当医、あと、麻酔の先生なのかな?

あっという間に自分を取り囲んで、

「すぐに眠くなりますよ〜」

(そんなすぐ?ま…(爆睡))

あっという間に手術が終わってました。


「終わりましたよ~これから病室戻りますよ~」って笑顔で言われたのをぼんやり覚えてるけど、その後の記憶が途切れ途切れ。いつの間にか病室にいました。


酸素マスク、点滴、足には血栓防止のポンプ、いっぱい管をつながれてる自分にちょっと驚く。

 

【そして退院まで】

術後、少し出血が少しあったものの順調に回復して退院できました。面会禁止だから病院ロビーで待ってる娘のところまで自分で荷物を運ぶのがちょっと大変でした。

小さいスーツケースでキャスターで転がせるけど筋力落ちてて歩くの疲れた・・(荷物多すぎたかも)

 

【経過1】

家族に手助けしてもらいながら生活。

家事は休みながらこなしていました。

 

【経過2】

入院中も気になっていた傷口からの微量の出血。経過観察で通院しているときから、赤く腫れていて痛みもある。


先生が抗生薬を出すも、すっきりと改善しませんでした。

その次の診察の後、診察科の受付でまっていたら呼ばれて抗生薬の点滴をされることになり・・

別室で5分に一回血圧を測られ

30分くらい点滴したかな?

点滴した翌日からは腫れも痛みもひいていき、やっと本当の回復へ。

 

【経過3】

退院してから 1ヶ月後に初出勤。

有給休暇初めて使い切った。

時短で働かせてもらって身体を慣らしていきました。

 

 

前兆も全くなく、急性胃腸炎で救急車で運ばれた先のCTで見つかった卵巣嚢腫8センチ。

 

人生初の入院手術。

ずっと健康なタイプと思っていたけど

今まで心身ともに無理をしてきたかなぁって反省する出来事でした。

 

アメーバで同じ病気にかかった人の記事を検索し、参考にさせて頂いて入院に臨むことができました。

 

私の記事が参考になるほどのものではないけれど誰かが知りたい内容が少しでもあったなら幸いです(^^)

(過去を思い出して書いています)

また間隔あいてしまいましたが

書いちゃいます。

 

【PCR検査の日になりました】
今は違うようですが、この時は救急外来に来るように指示されました。

行くとゆったりと待っている人が私を含めて4人。外国の方もいます。
2人ずつ声をかけられ、 廊下に離れて並ぶように言われました。
自分の番がきて小さな小部屋の中に入り、全身を厳重に保護した防護服の方に検体を取ってもらいました。

結果は陰性。
通知してくれる訳じゃなく、2、3日後の間に連絡が来なかったら陰性と言われました。

今思えば、この時に入院手術できて良かったのかもしれないなぁ。

感染者500人いなかった頃だったから。

 

【入院】

PCR検査から入院まで数日あり、準備もあせることなくできました。当日は義母の送り出しをしてから病院へ。

それぞれ仕事やアルバイトがあるので、1人に負担が行かないように家事の内容や分担の表を作り、家族のグループLINEで共有しておいたので、安心(๑˃̵ᴗ˂̵)

病院には娘が同行してくれました。
この時既に娘は彼さんと一緒に住み始めていたのだけど、入院から2週間家に帰ってきてくれて。。本当にありがたかった。。

そして、コロナ感染対策の為、病棟には患者のみ向かいます。


私が入る準個室は婦人科だけの設定だそうで、4人部屋で各ベッドの床頭台に机がついてます。それがパーティションのようになっていて仕切られています。個室感があって落ち着けて良かったです。


続く。