興味深いのは、

ある日、不思議な体験をしたとき

自分はむしろそれまで
アンチスピリチャルであり

目に見えるものしか
見てなかったし

別に、批判的な
感じではなかったけど


「経験」という体験が
先んじて、不思議な体験をし
本を読んだりすることになった


だから、求めたことがない


けれど、遊んで

情熱で 遊び心で

遊んで生きていた


その後に、色々な本を
読みはじめた


なんて呼んでもいい


多くの人たちは
事細かに分析する
分析屋になっていたけど


そんなこと
どーでもよかった


なにを、話してるんだろう?


まるで、体験したことのない
タバコの味でも
お互いに語り合ってるようだ


不思議だった


いまは、リーダーを
インスパイアしたリーダーたちが

どこまでゆき
なにを行い

なにがどこにいって
どうなったかを

ずーっと、調べてきた気がする



どーでもいいんだけど

真実が何であろうが


信じる対象や

物語をどーしても

いいと思うんだけど


自分は、遊び心があって

楽しい道を歩みたいと思っている



何回か訪れる
不思議な体験たちは


自分にとって
かけがえのなく

また、

「なんなんだ?」


を増やしてくれる存在
となった



眠りと目覚めと言うけれど


何回も、何千回も

往き来している

存在にとって


何が絶対で

何が絶対じゃないんだろう?



そーいう硬いことでなく


遊び心は、

ぞんぶんに解き放ってくれた



遊び心って

ぱっと見

合理的な意味を持ってないように
見える

それは、利害を計算する
マインドから
見たときの傾向なのだろうか



遊び心って面白いと
思う

未知な扉も
ノックすると思う


完結した結論
(そうと決めた結論)


をすてて

旅が始まる


個人的には
密教は、好きだ


遊び心でしかないように
思える


だって、
そっちに、飛んだって

合理的な計算からすると
何もないんだもの  笑


頭良く計算し
結論づけ

こうと決めた仮定を
実証するプロセスの中では


かなりのランダムな動き



「なんで、そっち行ったんですか?」



「わからない」


という風に



密教は、存在にとって
合理的な生への帰還

を何か
横っ飛びしている


それは、
まったくの横っ飛びに
見える


説明する
基準点がない



この
わけわからん

横っ飛びする


心の余裕


遊び心


もっと、遊んで
触れ合って


突飛な冒険が

人生にスパイスをくわえる


突飛な冒険


そう


まぎれもない


遊び心に富んだ人生♪